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私のカウンターパート(仕事上の相棒:通常技術移転の相手)は、ラオスの多くの先生の例に洩れず、勤務時間外にアルバイトをしている。給与が低いせいだが、彼の場合は、トゥクトゥクというラオスでは非常にポピュラーな改造オート三輪を使って、いわばタクシー業を営んでいる。
自前の交通手段を持たない庶民は日常生活の足として通常このトゥクトゥクを利用し、何でも運ぶ。豚がくくりつけられ、ブヒーブヒーと叫び声を発しながら走り去っていったトゥクトゥクを見た時は笑えた。

ツクツクちなみに、小型の多くは125㏄の日本製モーターサイクルのエンジンを利用している。首都ビエンチャンでよく見かけたトゥクトゥクは、古いSUZUKI製2ストローク、ロータリーディスクバルブ、2エギゾーストという今の日本ではほとんど見かることのないエンジンを使っているものが多かった。信頼性が高いのだろうが、このエンジンばかりよく集めたものだと思う(写真右)。確かに友人のモーターサイクルは同じ形式のSUZUKIの90㏄だったが、大学時代に皆に散々こき使われて全くトラブルフリーだった。

ところが、私のカウンターパートであるシーニャのトゥクトゥクは一回り大きいダイハツ製水冷660㏄エンジン搭載のもので彼の自慢である。もちろん日本の軽自動車のものだ。彼は「ミツビシ、ミツビシ」と誇らしげにいうのだが、確認してみるとダイハツ製で、それを指摘すると少し悲しそうな顔をした。しかし、価格は20数万もするので、皆そうそう買うことはできない貴重品なのだ。

ツクツクからの先日、我々夫婦は木工科のスタッフの結婚式に招待された。副校長の車を断り、気が楽なシーニャのトゥクトゥクで参加することにした。朝の7時に待ち合わせ、シーニャの奥さん、彼と仲のいい学校のスタッフの合計8人で出発した。
それが普通なのかもしれないが想像以上に飛ばす。少しびびった。トゥクトゥクのフロントフォークは小回りをするために異常に立っているが、直進性に欠け、トゥクトゥクのような三輪車の場合、急ハンドルでおそらく瞬時に逆方向に横転するに違いないのだ。
バイク用のウインドウシールドしか付いていないトゥクトゥクでは、乗客は風をもろに受ける。早朝は気温も低く、寒さと予想外のスピードで私は震え上がっていたが、皮ジャンパーを着たシーニャは、時折するどく山羊や牛をかわしながら孤高の運転を続ける。それが妙に板についていて学校の仕事よりよほど向いているのかもしれないと考えてしまう(写真は街を抜けようとするトゥクトゥク。この先、車両は少なく、道は直線が多くなり、時折山羊や牛が道を遮る)。

ダート路舗装路をターンして村落への道を進む。深い砂と、ギャップでエンデューロ用のモーターサイクルなら最高の道に違いないが、サスペンションストロークの少ないトゥクトゥクには厳しい。雨季になったらこの先の部落の人々は国道に出ることが可能なのだろうかと思ってしまう。水温計が機能していないのは不安だったが、シーニャのトゥクトゥクは、激しいギャップも深い砂地も急な坂もワッセワッセと乗り越えてしまった。シーニャはエンジンを叩いて、矢っ張り「ミツビシ、ミツビシ」と誇らしげにいった。口の中はじゃりじゃりしていたがトゥクトゥクは侮れないのだ(注1)。

ラオの田舎民家国は違うけれど、熊本の田舎の我が家がそうであるように、この地域の祝い事も盛大だった。田舎のまつりごとはどこか似ている。近隣の部落からも人々が集い、明け方まで盛り上がるに違いない。
カウニャウというもち米とラープというおかずを食い、酒を飲む。こういう場に同席することも我々の仕事の一つだと実感した。国籍、習慣が違っても、人は根っこの部分で人として同じものを確認することができたとき、信頼が生まれ、垣根が解けていく。けっしてどちらが上でも下でもないのだ(写真は結婚式の様子を二階(いや高床式だから一階)から見つめる子供や部落の人たち)。

ローカルの連中は元気だったが、片道2時間のトゥクトゥクの旅は疲れた。しかし、車を購入しない限り、我々は今後もシーニャのトゥクトゥクを利用するに違いない。帰る途中には、メンバーの親戚のお店に立ち寄り、カウニャウと近くの池で取れたエビ料理を楽しんだ。必ずカウニャウが出てくるのだ。チリ料理にカウニャウは相性がよく、思いの外、食ってしまうがヘビーである。その日の夜は寝付くまで胸焼けの嵐に悩まされてしまった。

注1)
写真のダートは起伏の無い直線部分。激しいギャップではデジカメが床に転がり落ちた。このデジカメはSONY FVC-FD7、オートフォーカス、10倍ズーム。ラオス行きに備え、フロッピー録画式のほうが便利だろう思いオークションにて¥3800(バッテリー、チャージャー付き)で落札。気兼ねなく使えているが、SV仲間からビデオ?と聞かれるくらい大きい。

注2)
結婚式については再度、詳しく書く機会があるかもしれないと思っています。文体はその日の気分で何故か変わってしまいます。また、画像は私の好みでウォーム系に振っています

スクールにある多くの木工機械は古くて修理、調整の必要があります。加工を伴う重整備は難しいため、私にできる範囲は限られますが、可能な限り早急にメンテナンスを行わなければならない状況です。ただし、最初にレンチやスパナなどの工具を揃えなければなりませんので大変です。以下、木工機械の調整の状況を含めた私の活動を若干説明しておきたいと思います。

モータイザーフランス製の古いモータイザーです。モータイザーとは角鑿盤と同じように、柄穴を開ける機械です。ただし角鑿盤と違って横軸です。水平方向に取り付けられたルータービットのような錐で柄穴を開けます。ビットの先端はこちらを向いています。この機械はXY方向共に手でテーブルを動かしながら、所定のサイズまで加工します。Xは柄幅で、Yは柄深さです。
テーブルは、ガタがものすごく出ていましたので分解しチェックをしました。Z(高さ)方向を除く、全ての擦動面は磨耗し使用限度以下の状態でした。よく使う部分が考えにくいほど凹んでいるのです。メンテナンスの不備と材質が柔らかいこと等が原因だと思われますが、調整で直るレベルではありません。平らに削ると薄くなりすぎて調整代を超えそうです。当然部品などありませんので作り直すしかありません。
とりあえず清掃、調整は行いましたが、再度ガタが出るのは時間の問題だと思われます。ただし、国産の角鑿盤の押さえ装置を修理したので角鑿盤が使えること、またセットとなるテノーナー(柄加工機)が無いために、この機械はあまり使われなくなっていますから問題は少ないといえば少ないのです。

ラジアルアームソー「MADE IN USSR」と刻印された、旧ソビエト製のラジアルアームソーです。ソビエト製の機械に接することができるのは役得?。設計思想や発想が異なる機械に接するのは興味深いものです。ちなみに木工科にある古いソビエト製自動鉋盤は跳ね上げ式の定番が付いていて手押し鉋盤との複合機なのです。その送りローラーはヘリカルスプラインですから驚きます。
このラジアルアームソーは現在粗木取り用として使われています。ソーのティルトを含め、4軸可動のしっかりした作りのマシンです。やはり、アームのスライド面にガタがありましたが、これは調整で取ることができました。スライディングテーブルソーがないため、この機械を仕上げカット機として使う予定でいます。そのためには更にテーブルとフェンスの交換が必要です。ちなみに仕上げカット用の小型ラジアルアームソーは使用不能。
しかし問題は、鋸刃のシャフト径が50㎜で、そのようなポピュラーではないブレードの入手は難しいのです。現在のブレードにはクラックが3箇所も入っている危険なもので、それに学生が恐ろしく切れない自家目立てを施し、切り口をこがしながら使っています。

ベッドラジアルアームソーの調整を行っている時点で学校祭の開催が正式に決まり、学生4人と共にベッドの制作、指導を行いました。時間がないので、デザイン、図面も私が担当しました。
日数も限られ、機械の状態がベストではなく、日本から援助された昇降盤の縦定規は木工科に入った泥棒に盗まれて使えず、その上、同じ実習時間中に作業をしている他の学生の指導もするわけですから、やり甲斐はあります。
私の始めての仕事ですからデザインは日本的なイメージにしました。このデザインはミッションスタイルということもできますが。街でマットのサイズを確認し、ドローイング。木ネジ、木ネジの下穴用ドリルビット、パワードリル、KD金具等を購入して制作開始。仕上げはビエンチャンでSV仲間に購入してもらい、届けてもらったタイ製オイルによるオイルフィニッシュです。ヘッドとフットボードの上の笠木がみそ。これがないと締りません。
学校祭は12月29日で、前日にようやく完成。ベッドは校長が20ドルで買ってくれました。当地の一般的な賃金が30~40ドルですのでこれでも破格なのです。実習用の材料の足しになります。
こうしてラオスでの新しい生活と年の瀬があたふたと過ぎていったのです。