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/082005
「父殺し」「母殺し」。最も重い罪だそうです。その両方をやってしまった少年が、自分名義の母の定期預金を見せられて泣いたという記事に涙したことを友人のドットさんがブログに載せていました。
我が家の長男も高校時代は荒れていました。当時、長男は、多分、社会人の女性と付き合っていて、注意する母親を突き飛ばして出て行ったこともあります。
自分の行動への障害への反発、あるいは彼女を守るためかどうか判りませんが、そのことへの注意にはとりわけ反発が大きかったような気がしています。
私は、「おい、お前は〝女″を守ろうとしているのかもしれないが、お前が争っている相手はワタシの女だ」。「今は認めることは難しくなっているかもしれないけど、昔は若くてそれなりに華かだったのだ」。争いを眺めながらそんなことを思っていました。そんなことを考えている自分が何だか場違いだなと思っていましたが、私には「お前は一所懸命に守っているのかも知れないのだけれど、私の立場だって同じなんだ」ということだったのです。そのために複雑な面持ちだったのです。
そのまま飛び出して行ったので、ワタクシが出て行くこともなく終わりましたが、そういう光景を眼にするのは切ないことです。
そしてもっと切ないことには、突き飛ばされた母は、荒れる我が子を影で祈っていました。そこには気がつくこともされない、彼の最大の庇護者がいたのに。母は切ないのです。
(庇護も度が過ぎると窮屈ということもあるので難しいのですが)
私のビートルは長い間オートモービルセクションで修理を待っていました。
車検時には何ともなかったブレーキの効きが、ある頃からすこぶる悪くなってしまい、診てもらっていたのですが、結局マスターシリンダーが良くないことが分かり、交換することになったのです。
自動車担当SVの一時帰国時にヤフーオークションにたまたま出ていた純正未使用のマスターシリンダーをゲットすることができ、彼のラオス到着を待って交換作業を行ってもらったのです。そのマスターシリンダーは左ハンドル用のために、右ハンドルの日本では需要が低く、安く落札することができたのです。ラオスは左ハンドルですからちょうどよかったのです。
オートモービルセクションの先生方と担当SV、それにテゴ役の私での作業です。
純正部品には4つのホイールシリンダーに向けて4つのアウトプットがありますが、それまでに取り付けてあったISUZU製には2つしかありません。そこで、画像にあるように、地元で自作されている、オイルのディストリビューターというべき部品を介し、マスターシリンダーから来たオイルを2本に分岐させているのです(画像中右)。様々な車の修理のために、純正部品は無くてもアレンジのための部品は揃っているのです。ただし、ビートルの正規の配管がどうなっているのか私は知りません。
ISUZU製のマスターシリンダーには正規の取り付け穴の内側に、ビートルの取り付け位置に合わせて新しい穴が開けられています。どのようにでもアレンジしてしまうのです。
日本では珍しくなってきているかもしれませんが、ブレーキオイルの配管材も売られています。これをメートル指定で買ってきます。今回は、配管のかなりの部分を引き直しました。画像下は真鍮パイプにフランジ加工(つば付け加工)を行う工具です。手前のハンドルを回すと円錐状の先端がパイプの端面を広げて鍔(つば)を形成します。この鍔が密着してオイル漏れを防止するのです。
昔の日本の自動車整備工場に近い状況がここにはありました。かなりいい加減な部分はありますが、逆に広い応用力が必要です。協力隊で出て行く若い隊員の方で、途上国の実態からかけ離れた近代的な日本の現在の整備方法しか知らない方は ―多くがそうだと思いますが―、真のプラクティカルメソッドを習うことになるのだろうなと感じるのです(木工も近い部分はあります)。
ともあれ、私のビートルは格好の教材となり、修理費用はオートモービルセクションの収入となりますから、めでたしです(自動車担当SV氏の協力の賜物です。彼は疲れたかもしれませんが・・)。
すべからく自分でやってみないと気がすまない性分。何事も自分でやってみたい、作ってみたいという思いから何にでも手を出してきました。好奇心が旺盛なことは悪いことではないのかもしれませんが、飽きっぽいので長くは続きません。それが欠点なのです。
木工は小学校のときから好きで、木を使った工作はよくやっていましたが、ノコギリがまともに使えないので仕上がりが悪く、よく自分に腹を立てていました。また、隣の爺ちゃんの大工仕事を飽きもせずに眺めていました。子供心に驚嘆していたような気がします。木工は自分の中では最も興味のあるモチーフでありましたし、キャリアのある分野だと思います。そのせいで飽きっぽい私が今日まで続けてこられたのだと思います。ただし、アマチュア時代が最も楽しくて希望のある時代ではありましたが・・。
大学時代からの漠然とした夢は、田舎で暮らすことでした。自分でも信じられないのですが、大学の夏休みに故郷の県庁を訪れ、田舎情報を聞いたりしたこともあるのです。田舎には自分の目標や思いが全て存在していると考えていました。当時は自分の手で家を建て、野菜を作るというような漠然としたことではありましたが、年を重ねるにつれて、メタンガス発生装置、風力、水力利用への憧れ、家具作り等、夢は膨らむばかりであったのです。
結局、夢だった家作り――ログハウスは、自分の非力さ、景観との兼ね合い、費用問題でギブアップ。メタンガス発生装置は移住先が寒いために稼動率が低いのではないかという不安、予算問題で断念、川を利用した水力利用は落差を得るのが大変そうで諦念。長らく続けた野菜作りは、昨年中止。理由はまともな野菜を作るには相当の努力が必要であること、近所の農家からりっぱな野菜を頂ける事でした。残ったのは家具作りと古い家屋の改修修理でした。
そのような軟弱なワタクシではありますが、いまだに「自家賄い」全般が好きなことに変わりはありません。さまざまなジャンルでワタクシと同じ思いの方々とクロスオーバーな意思の疎通ができれば望外の喜びです。今後ともご意見をお待ちしています。
コメント頂けることは実に嬉しいことです。ありがとうございます。この速やかなリアクションはHPでは稀なことでした。
ハレーションを起こされたとのコメント、すいません。何度か確認して私のPCでは起きないレベルまで持っていってアップしたのですが、未だそのようなトラブルがあるのですね。しかしすいません、今は修正の気力がみなぎってきませんので耐えて下さい。
参考までに・・現在住んでいるサワナケートにはスイミングプールがないのです。上達するわけはないのです(つらい)。
ブログを始めたばかりで分からないのですが、コメントへの公開のお返事は自分で自分のコメント欄へ書いてアップするのでしょうか?。どなたか御教授頂ければ幸いです。
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