最近Asahi.comのニュースで、いわゆる地ビールメーカーの「銀河高原ビール」が、ごく一部での生産は続けるもののほとんどの地域での生産を終了するということを知りました(記事の詳細は、はっきり覚えていませんのでご容赦下さい)。
皆さんの記憶も薄れているかもしれませんが、細川政権下でビールの製造制限が緩和されたのが1994年です。
規制緩和以前から、ビール好きの私は、国内販売され始めた自家醸造キットを用いて自家製ビールを作っていました。これは缶入りのモルトシロップを適度な濃度に水で薄めてビール酵母を混ぜて発酵させるというものです。
また、当時は村おこしが絶頂期を迎えつつある頃で、私は村おこし運動の差別化のためには地元産ビールの醸造しかないと思っていましたので、町の有志と共に醸造の道を探っていました。調査の結果、当時は研究用以外での醸造は無理な状況でしたが、わが町には良質の水があり、古くから麦芽を用いた水あめ作りも行われ、ホップの原料である邦名「からはな草」の栽培にも気候的には適した地域であるということは分かっていましたから、何かビールの合法的な醸造方法は無いものかもがいていたのです。
規制緩和が行われるという確度の高い噂を聞いて後、即座に地ビール製造に向けてのプランニングチームを結成したのが1993年12月でした。地ビール製造への流れとしては全国的にも早いほうだと自負しています。
所が、緩和されたのは、年間2000Kリッターから、60Kリッターです。大幅に緩和されたのは間違いないのですが、検討の結果、この量ですと我々の住む小さな町ではまだ量的に多すぎたのです。例えば、醸造装置の他に、ビン詰め販売を行うとすれば、洗滌ビン詰め装置が必要となります。販売経費も膨らみます。極小ブリューワリーを予定していた我々にはまだ多すぎる量だったのです。結果として中途半端な規模のブリューワリーを不透明な販売見込みのまま設立しなければならないというリスクを負うことになり、結果的に利益を出していくのは非常に難しいという結論に達したのです。
年間60Kリッターは実に巧い設定であるとプランニングチーム一同、感心した記憶があります。
我々の結論は結果的には正解だったのかもしれません。
「銀河高原ビール」は熊本にもりっぱな醸造場と併設されたレストランがあり、そこで、出来立ての旨い、確かプリスナータイプの本当の生ビールを飲んだこともあります。
しかし、「銀河高原ビール」撤退で、地ビールというトレンドの幕が降りはじめたような寂しさを感じたのです。