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/022006
スーパーカブが生産累計5000万台を達成したという。
アジアでは、「この能無しが」、と忌々しくなるくらいに中国ベトナムコリア製の、コピーカブで溢れている。
エイシアンスタンダードの源であるホンダスーパーカブも安いコピー機に混じって走っている。その健闘振りには敬意を表したくなる。
一時、アジアで安い中国製にシェアを奪われたが、徹底的なコストダウンを図って盛り返している。なんといってもホンダクォリティは希望であり垂涎なのだ。
カブと、そのコピーバイクは、スタンダードとして確立してしまっているから、全ての部品は容易に入手できる。これは強い。
クボタの耕運機と共にカブは、アジアでの生活必需品であり、移動に輸送に酷使される。バイク屋の店先で簡単にミッションがばらされ修理を受けている。部品の共通化と供給体制が整っているのはマーケットでの自然発生的保障制度のようなものだ(ただし部品は、当然純正ではない)。
これもひとえに本田宗一郎の偉業である。
発売当時、カブは高価なものだった。それでも徹底的にコストを抑え、使い勝手を熟慮していた。プレス部品の多用、簡便な操作等である。しかし、2ストロークエンジン全盛の当時、敢えて部品点数が多く、コストの掛かる4ストロークエンジンを採用した。製造コストはかかるがランニングコストは低く抑えられるからだ。
クラッチレスのミッション操作。実はクラッチは存在し、シフトレバーを踏むと半クラッチ状態になり、続いてギアはロックアップされる。使いやすくシンプルで耐久性のある構造である。
アンダーバックボーン式フレームレイアウト。高さを押さえた水平レイアウトのシリンダーと共に乗り降りを容易にしたデザイン。アジアではこの空間は第二の荷台として実に有効に機能している。
プレス製フロントフォークとボトムリンクサスペンション。テレスコピック式に比べ見栄えは悪いが、強度を保障しコストを押えている(股下をテレスコピックにした中国製カブは付根が一点しかなく、ブレーキ時にそこから折れたのを目撃した事がある。極めて危険)。
(語られる事は少ないが、このサスペンションはダートでの安定性は抜群である。昔、浜松などでは、カブを改造したおっさん達がフラットトラックコースで遊んでいた。ハンドルを広くし、イン側のステップを上げ、膝支えを付け、オーバルコースでカウンターを楽しむのである。カブでのカウンター走行は実に安定しているのだ。これはボトムリンクサスのせいである。余談若干)
このバイクの設計思想には庶民への視点が凝縮している。人間への博愛、庶民への慈愛を基にしたモノ作りの基本が見える。本田宗一郎は逝ったが、その思想は今も貢献を続ける。
ウィンザータイプのサイドチェアーを作ろうとしている。ところが、それを作るようにするのがひと苦労。
先ず、古い旋盤のドライブセンターが大きいものしかなくて、爪がボロボロ。ライブセンターはベアリングが傷んでガタガタ。しかし、ドライブセンターの爪の加工ができる加工屋がこの町にはなかった。
最近になり、川向こうのタイの町で加工ができる店を見つけた。先ず、スピンドル加工に用いるための小径のドライブセンターの加工を頼んだ。
爪の先端がシャープではないこと、センター部分が大きすぎて材木への食い込みが悪いので先端加工をやり直してもらって受け取る。先端は少し焼き入れを頼んでおいた。
きれいに仕上がっていたので喜んだのも束の間、取り付け用のネジ規格が違っていた。現在再加工中。
ライブセンターはテーパーシャフトだった。機械加工用の標準部品が使えた。これはラッキー。
次に、座面の板剥ぎに必要なジョインターのブレードの交換を行わなければならなかった。
しかし、短大の研磨機は相当の時代物で今までは使う気になれなかった。スタッフはこの機械で学生に研磨をさせるのだが、まともな研磨ができない。前任者が入れた日本製ジョインター、自動鉋盤の研磨はその機械では行いたくなかった。そこで町内の研磨屋に持ち込んだが、研磨は鋸刃しかやっていなかった。
こうなったら学校の研磨機を使う他はない。自前で研磨をしなければジョインターと自動鉋盤は使えないのだ。研磨機のオーバーホールを決めた。
以前にチェックしたときには、砥石の移動レールは、問題無いようだった。今回、掃除して調べたが、問題ないことにした。きびしく調べて問題があってもどうしようもない。
ブレード押さえと、刃先の位置決めプレートの固定ボルトのうち傷んだ物を交換、タップの立て直し等で対処できそうである。
次にちびった砥石の交換である。ところが古い機械のために砥石のシャフト径が特殊なサイズで、新しく買ってきた砥石の穴径と合わない。我が町には特殊なカップ砥石などは売ってはいない。カウンターパートは意に返さず、砥石の軸穴を木工用丸ヤスリで広げ始めた。息を呑むような素晴らしい対応であった。暫くの後、砥石は無事に機械に取り付けられた。何とか研磨ができそうである。
機械の調子もイマイチだが、教えている教官のモチベーションもイマイチである。何のためにここに居るのかわけが分からなくなる事もたびたびあるのだが、ローカルスタッフはいたって平穏、昨日と同じように今日も平和なのだ。
ヤマハ発動機から、YAMAHA XT500が発売されたのは1976年だった。それは少しばかり衝撃的な出来事としてオフロードファンには受け止められたと記憶している(画像は前後のフェンダーを交換してある)。
それまでのオフロード仕様とは明確に一線を隔したコンセプトで仕上げられたものであり、カタログでも謳われているように、はっきりとエンディーロモデルとしての性格付けがなされ、4ストロークビッグシングルのトルクで荒野を走り抜けていくというイメージ付けがなされていた(元々はエンデューロレース用として開発されたマシンであるTT500を公道走行可能にしたものである)。
MXコースを走るには重すぎたし、サスペンションもプアだったが、公道仕様としてのこの車両はそのような使い方をするのではなく、ごく普通の林道のようなオフロードを気持ちよく走り抜けるのに適するよう意図されていたと理解している。事実、ハンドルは少し高くセットされ、それはMXには高すぎるのだが、ゆったりとしたポジションを取るように仕向けてあったのだと思う。
重い車体とトライアルパターンのタイヤを履いていたため、ダートではやや制動距離が延びた。慣れると強いトルクを用い、低回転でも後輪で向きを変えられる。それは低速でもアクセルコントロールを楽しめるということであり、同時にそのトルクを用いて容易にウィリーを行うこともできた。
車体各部の品質は実に高く、仕上げは丁寧で、各パーツの一つ一つは神経が行き届いた形状をしており、工業デザインのプロを唸らせた。また、クランクケース表面にオイルフィルターやコンタクトポイントケースを独立させ、機能美という感じを意図的に強調させた処理の方法は、その後モーターサイクルデザインにおいて、現代まで続いている手法だといってもいい。
また、潤滑方法はドライサンプとし、メインフレームをサンプタンクとした凝った方法を採り、オイルはダウンチューブを経由してクランクに戻る。車載工具は一般的な品質だが、タペットゲージが同梱されている点には驚かされた。
スタイル上の弱点としては、流用された灯火類が大きく、車体の良さとミスマッチであったし、前後のフェンダーがお粗末だと感じるが、この時代の傾向もあり、仕方がない部分かもしれない。また、左サイドのエンジンの形状が右に比べて弱くお粗末である。個人的にはこの点が最大のウィークポイントだと思っている。
その後、ホンダからXL500Sが発売されるが、旋回性の悪いフロント23インチホイールと共に醜悪な造詣は、XT500とは比べるべきモデルではない。
また、このバイクは海外での人気が高く、国内での販売はそれほど永くはなかったが、海外での販売はかなり長く続き、今でも世界各地でXT500のサイトが存在し、米国のオークションでは今なお、かなりの数の部品が動いているのを見るとその人気の高さが伺われる。
承知のように、このモデルはSRシリーズとしてリデザインされ、今だマーケットで生き延びており、多少のアレンジを受けたエンジンは現在でも使用され続けている。そして、ビッグシングルの良さはSRX600として受け継がれ(個人的にはそう信じている)、今また、トルキーな空冷OHVツイン、YAMAHA MT-01にその幻影をみるのである。
シンプルとはどういうことなのか、主に家具を念頭に置いて考えてみました。
シンプルなものとは一体何か(思いつくままに―)。
■余計なものを取り去ったもの。
余計なものとは・・。
装飾的なもののように機能に直接影響しないものでしょうか。
家電で言えば、ボディに印刷された花柄(ここラオスでは花柄の印刷されていない電気ポットなどを探すのが難しい)、プラスチックボディの表面に付けられた凹凸、家具で言えば彫り物(?)等でしょうか。
■さまざまな造形要素を整理したもの。
直線、曲線、及びそれらから構成される面 等の簡略化。さまざまな様式の混合を避けたもの。
例えば直線だけで構成された椅子(昔の小学校で使われていた木製の椅子)等。
■素材の整理・統合化。
違和感のある素材の組み合わせを避けたもの。
例えばオイルフィニッシュされたフレームに、ビニールコーティングされたペーパーコードを用いない等(この組み合わせを不自然と考えない方もいる場合は御容赦)。
ただ単に「シンプル=単純」と解釈したモノを作るのなら上記の条件だけでもいいのかもしれません。しかし、シンプルで綺麗、まとまっているなど、高い評価を受けている製品の場合、そこにはさらなる付加価値が含まれているように思います。
シンプルな椅子や家具というものは、全体のフォルムと共に、各部寸法のバランスの高さが重要なってきます。つまり、全体も部分も完成され、その調和がとれているということでしょうか。
加飾で曖昧にされた各部の完成度のレベルが、加飾を取り去ることによって構成の本質的な関係の完成度というものが暴かれるのです。
そこで問題となってくるものは、その製品、作品の骨格であろうと思われます。骨格とは簡単に言えば「○○風デザイン」といってもいいような、基本となるイメージの主体です。その骨格がどこまでデザイナーやモデラー、あるいは作者や作家の解釈で醸成しているかにより、そのものの完成度が決まってくると思えます。
例えば、シンプルなデザインで多くの人々を魅了するシェーカーファニチャーでも、さまざまな様式をベースにアレンジされていて、シェーカーに於ける様式の影響について仔細に述べられた記事もあります。
また、さまざまな形状をアレンジする状況で、処理の整合性をどれだけ認識しているかという能力が重要になってくる場合もあるでしょう。
では、それで感動を与えられるような製品になるのかといえば、それだけではないという点が難しいのです。それで多くの方を納得させられる製品ができれば、私のような凡庸な才能の持主の苦労はありません。
永い間にインプットされたさまざまなイメージがある瞬間に昇華し、才能を超えるものが産みだされる場合があるようですが、この話はさておき・・。
洗練されたシンプルな製品を生み出すことは、相当の努力が必要になってくるのは間違いのないところです。そして、絶えざる努力が「シンプル=単純」ではなく、シンプルで魅力のある製品を生みだすことに繋がるのでしょう。
これは自分自身について書きました。他の方の方法や視点を視野に入れたものでも批判でもありませんので誤解のなきよう。
若い頃(せいぜい30代前半まで)に読んだ本の中で、時間の経つのを忘れるほど夢中になれたものを紹介しています。現物が手元にありませんので曖昧な記憶での感想をお許しください。
■真空地帯:野間宏
徹夜本とはいい過ぎかもしれませんが、何故か印象に残っています。
ネットで調べてみても、反戦小説、旧日本軍批判の代表として紹介されている場合がほとんどですが、純粋に物語として読んでも、前半は少し退屈ですが、後半の盛り上がりはなかなかのものです。毎日出版文化賞受賞作品。
同じようなジャンルで、大作「神聖喜劇」 大西巨人著があります。そのうちに読んでみたいと思っています。
この小説にも書いてあるような状況、軍隊内部の非人間性はよく語られることですが、私が思うのは、例えば軍隊という特殊な環境下において、日本人はこのように非人間的な行動をとるようになるものなのか、それは事実か否か、事実とするならば、それは何故なのかということを思います。
そうであるなら、その原因を追究し、フィードバックしていかなければなりません。敵が内側にいるような状況では戦えませんし、批判だけでは改善しないからです。これは軍隊のみならず、企業においてもある種同様だろうと思います。
余談ですが、日本人の常に共に行動する。行動しなければ仲間外れという意識は、実に特殊だと考えています。JICAの派遣前研修でも私は一人で昼飯を食べていました。飯時位は一人で好きなものを探して食べたいからです。しかし、このような行動は仲間外れの原因になります。最後には、私は一匹狼タイプだからと言われるのです。海外で長く暮らしてきた経験を持つ方が多いグループでもこれです。実に不思議で面倒です(私が変わっているということは充分に考えられますが・・)。
日本人は、基本的に過干渉でお節介が好きなのです。そして、同じでなければ納得しません。しかし、自分と同じではないのが普通ですから、他人の価値、違いを認めることが大事なのです。これが難しいのです。日本人には。
また、困った方を助けた場合、欧米人はすぐに立ち去るが、日本人の場合は感謝されるまで待つという話を聞いたことがあります。これも、基本的にお節介根性の表れです。優しいからこそクールに振舞うのです。
日本人はバラバラに見えて、命令一閃、団体で行動するのは向いているのですね。チャイニーズは、自分のことしか考えないから最後までバラバラ。自分しか信じないので、一族一派で固まるのです。
(余談の余談。徹底的に無駄を省き、高品質、効率的なモノ作りにができるのに、日本の営業は20年同じことをやっていると、日本で実績を上げる中国人経営コンサルタントがいっていました。今だ、無反省な精神主義が跋扈しているというのです。旧軍隊の体質にも似たとまではいいませんが、この二面性は不思議です)
マレー人(ブミプトラ)やラオス人は、実に他人を尊重します。だから、余計なことを言いません。仮に間違っていてもあまり口を出しません。温厚な人間関係を重視します。だから自分さえ良ければいいといわれる場合もありますが、中華系とは違うと思います。ただし、お節介をしませんから進歩が遅れるという面はあるように思います。文化の違いは興味深いものです。
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