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  1. 2010/04/04  駄目だし (0)

訓練校を出た後、木工所で見習いの経験を積み、自分の工房を開きたいというのは、家具工房を目指す多くの方の希望だろう。

訓練校を卒業してすぐに独立し、自分の工房を始めるのは無茶だと、当たり前のように言われる。
特に、その道の先達には強く厳しく呆れたように諭される。
プロもアマも一般人も部外者も、常識的には、そう思うのが普通だろう。

今日の日本の事情を眺めた場合、そうはいっても、見習いを受け入れる木工房、木工所はほとんどなく、多少の手仕事を行っていそうな小規模の事業所さえ、受け入れてくれる所は皆無で、仮に実現しても、生活していけないほどの薄給が現実として控えている。

友人が数年前に言った。
「自分は、気がつかなかったが、確かに手作り家具のブームはあったんだなと、今となって思う」と。
寂しく笑ってしまったが、笑い事ではなかった。

家具屋で見習いとしての経験を積むことは、更に難しい状況になっている。
所で、業や技術の習得は勿論だが、見習いのメリットは何か。

それは、多くの駄目だしを食らうことだろうと、思う。

多くの駄目だしが、見習い職人に、フォームを植えつけるのだ。
機具の使い方、体の動き、作り方、ディテルの処理。
つまり、モノを作るための全てに及ぶフォームを刷り込まれる。

親方や木工所の型を摺りこめれたよさは、オリジナルの創作が苦手な職人達にも、一定の水準の品物を作ることができた。
帆立は8分、紐は3分、面の大きさ、台輪幅等々、凡そ決まっていたから、型から大きく外れたモノはできなかった。
これを習得することによって一人前になる。

実は、それよりも重要なことがあると思う。

それは、駄目だしによる自我(?)の否定が、職人としての倫理観を再構築していく。
仕事のレベルを要求される。
ただし、時間がかかってはいけない。
つまり、速やかで、上質でなければならない。
そして、その質を常にキープしなければならない。
これが習い性として刷り込まれる。

これが大切なことだと思う。

孤独なモノ作りの中では、自分に負けそうにもなる。
そんなとき、作業を規定するのは、その人が培った習い性としての倫理観である。
それが作るものに投影される。
そして、人の心を「打つ」のだ。

[追加]
大胆に言えば、状況的に仕方のないこともあるかもしれないから、自分のアドバンテージをひけらかそうなんて思ってはいない。
自分なりのフォームの確立。一定の姿勢を見出していけばいいと思っている。
これからの方々へ。

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