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2011/08/27 薪 (0)
2011/08/15 プライド (0)
2011/08/05 実験 (0)
/082011
薪が少ない。
今年はいまだに、薪の確保量が少ない。
通年なら梅雨明け位から薪を確保し、夏に乾燥させて、薪置き場にストックする。
だが、今年は、晴れた日が続かず、思うように乾燥できない。
だから、薪置き場が空っぽ。
ソーダストストーブを使用しているから、薪はそれほど必要ないと思われる方がいるかもしれない。
所が、昨年から使用している、ホンマ製作所製「カマドストーブ改造ソーストストーブ」から、多少状況が変わった。
最初にカートリッジに入ったソーダストを燃やし、燃え尽きる頃に、通常の薪を投入。
途中で薪が燃え尽きない場合は、連続で2~4日程度燃焼させる事も珍しくなかった。
そのため、ソーダストよりも薪の消費の方が多いという結果になった。
ここの所、薪を取りに行き、割り、ストックという作業を繰り返している。
雨が多く、材が濡れているのに、相変わらず雨が多くて乾かない。
薪の確保に投下するエネルギーに、毎年馬鹿馬鹿しくなる。
リタイアした方の田舎暮らし満喫、体力トレーニングなら、納得できるのかもしれないが、何しろ、この薪調達に関しての労力には、うんざりする。
しかし、炬燵や灯油ストーブを使った生活に戻りたくないのは事実。
炬燵のほこりっぽさや、灯油臭には接したくない。
だから、馬鹿馬鹿しいと思いつつ、今日も薪割りをする。
原爆投下記念日、終戦記念日では、「核廃絶の祈り」「不戦の誓い」が繰り返される。
毎年、日本の戦争責任を問う。
勝者に正義があるというのは、ある程度仕方が無いにせよ、敗者日本に正義は、大儀はなかったのか。侵略のみを目的に戦争を始めたのか。
何かがおかしいと、思い始めて久しい。
我々が小学生の頃、「少年マガジン」や「少年サンデー」の巻頭のグラビアには、小松崎茂や長岡秀三の描く、ゼロ戦や戦艦大和のイラストが載り、日本の兵器技術の優秀さを何度も何度も紹介していた。
ゼロ戦や隼の戦闘能力の高さ、世界唯一の酸素魚雷、戦艦大和の46センチ主砲に、軍艦で始めて採用された造波抵抗を減らす球形艦首(バルバス・バウ)、機体後部にプロペラのある局地戦闘機震電。
長岡の描くイラストに心躍った。
時代は大らかだったのか、しかし、敗戦という痛恨の思いは、明らかに残っていた。
次第に、日本悪者論が強まっていく。
日本は、アジアの侵略者だったのか。
私は、マレーシアに滞在した約3年、マレー人からは、日本軍による英国植民地からの解放に感謝され、廃墟からの復興に尊敬された。
マスコミという現在の権力は、多くの日本人に、自虐的な戦争責任を刷り込む。
執拗に、事あるごとに、核の恐怖、軍隊の恐怖を。
幾ら平和を祈ろうとも、戦争はなくならない。
全ての国は、自国の国益で動く、核廃絶を祈って、北朝鮮が虎の子の核を放棄するのだろうか。
日本を除く、全ての国々の自国の平和は、軍備で担保されることは、コモンセンスだ。
私は、マスコミの述べる、一方的な日本悪者論に疑問を覚えるようになっていった。
マスコミの言う、日本の平和憲法堅持、核廃絶は、中国、北朝鮮の国益に見事に合致しているのは何故?。
そこには、公平な評価がない。
自国への自虐と非難。
自国への誇りに根ざした国益への提案がない。
そのことに気が付いたのだ。
終戦記念日毎に繰り返される、「核廃絶の祈り」「不戦の誓い」には、客観的な反省も解決案も、方法論もない。
太平洋戦争を反省し、反戦を標榜するとき、必要な事は、日本を取り巻く当時の国際状況、日本外交の問題点、軍事戦略の分析評価を行い、教育科目に加え、以って、将来に生かすことこそ、犠牲になった英霊に報いる事になるのではないかと思う。
日米GNPの差を認識し、勝利の可能性の低さを自覚しながら、ハル・ノートを突きつけられ、戦争回避不能を悟った日本。
朝鮮戦争時、半島に立ったマッカーサーは、旧共産主義ソ連の脅威を実感し、日本の軍事行動は、侵略ではなく、防衛だったと証言した。
正当な歴史認識を思う。
[参考]
機動部隊の中心に航空母艦を配置する方法は、日本海軍が世界で初の試みだった。
真珠湾攻撃での機動部隊の効果にアメリカ海軍は驚き、空母艦載機を打撃力とした機動部隊の運用を開始した。
ラオスには2年滞在したが、複数のラオス人から、韓国は恐ろしいと聞かされた。
実は、韓国は、アメリカに申し出てベトナム派兵をしている。
その際、ベトナム各地で、韓国軍兵士は少なくともベトナム人住民9000人を虐殺し、強姦を行った。
生存者の証言では、無差別機銃掃射や大量殺戮、女性に対する強姦、家屋への放火などが挙げられている。
また韓国人とベトナム人女性との間に多数の韓越混血児が生まれたことが確認されている。
1966年2月、ビンディン省タイビン村では韓国軍猛虎部隊が住民68名を集めて婦女子を含む65名を虐殺している。
(韓国軍の参戦部はウィキペディア)
広島原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。
一方的、自虐的なこの一文に、違和感を禁じ得ない。
過ちを犯したのは誰か?
我々日本人か?
戦後教育からすれば、日本人が悪いということがフォーカスされてきた。
だが、米軍による原爆投下により、30万人の日本人一般市民が、無差別に虐殺されたのは紛れもない事実である。
今日では、非戦闘員を誤爆しても非難され、人類への尊厳への罪に問われる場合もある。
広島、長崎への原爆投下は、最大の「人類への尊厳への罪」だといえる。
アメリカの原爆開発は、「マンハッタン計画」に沿って行われた。
この計画の提案者は、アインシュタインである。
1939年8月、アルバート・アインシュタインとレオ・シラードは、「核分裂反応」が発見され、この現象を使うと、凄まじい破壊力を持つ兵器を作ることが可能であり、ドイツがこの兵器の開発を進めている可能性があることを指摘。
ドイツに先んじて、アメリカがこれを開発すべきだと主張した。
アメリカ政府は、1942年8月13日、原爆を製造するためのマンハッタン計画をスタート。1945年夏には製造見込みが立った。
計画は、ナチスドイツに対抗するために進められたが、ドイツが降伏したため、そのターゲットは、日本に変更された。
1945年7月16日、世界初の原子爆弾がニューメキシコのアラゴモードで爆発させられた。
計画を推進してきた科学者らは、原爆の凄まじい破壊力に肝をつぶし、計画の中止を大統領に訴えるが、トルーマン大統領は拒否。
彼らは、署名を集めるが、軍に妨害された。
原爆投下目標は広島・小倉・長崎・新潟の順だった。
(京都も目標に入っていたが、スチムソン陸軍長官の反対により外される)
これらの目標都市は原爆の破壊力がはっきり分かるよう、通常の空襲は行わなずに町並みを温存しておくことが決定された。
この広島への原爆投下は「実験」の色合いが非常に濃いものだった。
目標とした都市は、性能確認のため空襲せずに温存したが、その他、アメリカは日本に進駐して来た段階で、広島市の生存者の健康診断を行うとともに、それと本来似た分布を示すと考えられた近隣の呉市の住民の健康診断も行い、健康への影響調査を行っている。
「原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀」(鳥居 民著)
にも、広島への原爆投下は実験として行われたことが述べられているという。
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
と、述べ続けても、冷酷な事実は別にある。