2004年12月

メコンの風にふかれる人、滑走路を走る人

2004年12月24日

サワナケートでは生活必需品のほとんどはタイやベトナムから入ってきています。日用品の購入には品数も豊富で安いタイへ行ったほうがベターなのです。我々は生活道具や電気製品の買出しのために、二度ほどタイへ行きました。

埃っぽく、担ぎ屋が右往左往するイミグレで手続きを終えると、落ちそうになるほど急な階段をビビリながら岸辺へ降り、渡し板を使ってフェリーに乗り込みます。乾季の今は水量が落ちて、建物から水面までかなりの距離があります。階段の高い位置に水跡がありますから増水時はものすごい水量だということが判ります。

タイへのフェリー船は、乗客が来ると待ってあげるので定刻の出発はありえません。乗客は黙して待つのです。遅れてすまん、早く出発しなきゃという気配は全然なく、事前点検、諸注意合図号令等全ての前触れなく、思い出したようにエンジンが始動し、古い船体がブルブル振動を始め、ゆっくりと岸から離れるのです。
小さなフェリーでも船出はいいものです。メコンの風をしみじみ受けながら私は東南アジアに浸ってしまうのですが、東南アジアの何に浸るのかといっても特になんということも無いわけで、メコンを渡っているということで感激しているという程度のことなのです。津軽海峡を渡ったときには、これまた理由もなく演歌の旅情に浸ったものですが、メコンの風に吹かれて眺める風景からは演歌の旅情は沸いてこないのですネ。

およそ30分ほどで対岸に着きます。船頭は河の流れを考慮した巧みな操船で船着場へ誘導しますが、船体が岸へ近づいた部分で待ち構えている若者は我先に岸に移ります。日本なら厳しいホイッスルか注意のアナウンスが響き、乗客の冷たい視線が浴びせられるところでしょうが、船頭その他我関せずです。アジアのこの鷹揚さはいいのですネ。ちなみに上写真は一般船室の屋根より一段高い所にある操船部分によじ登って撮ったもの。白い建物はイミグレーションです。

タイのムクダハンは街も大きく賑わっています。河を隔てただけですが、かなりの違いに驚きます。しかし、人の良さはどちらも変わりません。もちろんムクダハンもタイ北部の田舎町ですから人情豊かなのかもしれませんが、やはり驚きです。これは、いつも警戒心を緩められなかった前任地マレーシアとは大違いです。マレーシアでは、田舎町でも日本人と分かるとぼったくられる可能性が高く安心できませんでしたが、このエリアではそのようなことも少なく、日本と同じでいいということではありませんが、気持ち的にはずいぶん楽です。マレーシアの場合、宗教の違う多民族社会がその原因かもしれませんが、ラオスやタイ、日本(最近はかなりひどくなっていますが)など、当たり前すぎて我々が日頃忘れている、安心して暮らせる社会の幸せというものを再認識するのです。

滑走路を走る住まいの近くには最近閉鎖されたサバナケート空港があります。軍用機は時々離発着しているそうで、レーダーは回っています。公式には立ち入り禁止ですが、ゲートの通用門は開いていますので自由に入ることができます。小さいとはいえ滑走路を走るのは爽快です。写真は、アジアの鷹揚さを身につけていないワタクシの静止を振り切り、チャリで滑走路中央を走り去る連れ合いです。

ラオス・サワナケートに来る

2004年12月16日

ラオスに来て早二ヶ月になろうとしています。
現在は、学校祭に出品するためのセミダブルベッドを担当学生と共に制作しています。学校祭まで時間がないのでたいへんです。

首都ビエンチャンには、オリエンテーションや表敬訪問等のスケジュールで一週間滞在し、赴任先のサワナケートへ来ました。現在は利用者不足から飛行機の運行が中止されており、車で7時間前後かかります。休航に関しては聞いていませんでしたのでちょっとショックでした。ビエンチャンへ気軽に出れないということは業務に関してもかなり支障が予想されるからです。

タイ側を見る任地到着後、様々な役所に表敬訪問し、職場や作業場の確認、前任者との業務の引継ぎ、銀行口座の開設、住まいの選定、同契約、各種申請書類の提出等々、何かと忙しい日々が続きます。その間、空いた時間には実習場の諸設備や学生の実習をチェックです。
住まいが決まるまでトータルでおよそ40日間ホテルに滞在しました。ホテルではインターネットの利用ができませんでしたので、引越し後にプロバイダーとの契約を終えました。そのためにメールの返事が遅れ大変ご迷惑をおかけしました。

実習場には旧ソビエトとフランス製の古い木工機械が入っていますが、おそらく長い間無調整で使われてきたのでしょう、すごい状態です。先ずは機械類の調整から始めることにしました。
日本からの援助で手押し鉋盤、自動鉋盤、昇降盤、角鑿盤、ベルトサンダーが入っていますからかなり助かります。しかし、角鑿の材料押さえ装置が機能していなくて、この原因究明、修理に一日かかってしまいました。
次はソ連製のモータイザー(柄穴加工機)です。テーブルに凄まじいガタがあったため、全ての摺動部をばらしてチェックしました。摺動部は削り直しか作り直しをしなければならないレベルでした。とりあえずガタは取りましたが、限界状態です。
さらにソ連製ラジアルアームソーのスライド部分の調整を行った所で学校祭の開催が決定され、急遽、依頼されたベッドのデザインを決めて図面を描き、学生を指導しながら制作に取り掛りました。そのころ、実習場に盗人が入り、日本製昇降盤の縦挽定規を持っていかれたのです。これには立ち眩みものでした。

機械の調整に加え、どういうわけか家具製作用の基本的各種治具類が何もありませんから、合せて治具類も制作しなければなりません。盗まれた縦定規の代替品もです。治具を作るといっても木ネジや下穴用のドリルビットもありませんし、便利な横切盤やベニヤを切る昇降盤用治具も無いのでもう笑いがでるほど楽しめるのです。

では、どうやって家具を作っているのかといいますと、基本は柄組み工法です。木ネジはないので締結は釘打ちです。押さえ装置の作動しない角鑿はあまり使わず、すごいガタのモータイザーで柄穴を開け、テノーナー(柄加工機)はありませんから柄の角をヤスリで丸くして組み立てていました。勿論、現在は修理の終わった角鑿盤を使っています。

初めてビエンチャンのワッタイ空港に降り立ち、ゲートを出たところで、出迎えに来ていたラオスの方々と初めて対面しました。「人の良さ」という波動が感じられる人垣は明らかに前任地マレーシアとは違いました。もちろん犯罪の発生はありますが、夜の町を歩いてもワニ目で威嚇する人々も、ガンを切り通す必要もなく、たしかに「微笑みの国」といわれるだけのことはあったのです。
ラオスはアジアでの最貧国の一つといわれますが、仏教精神に裏打ちされた精神的な豊かさを人々に感じるのは新鮮でした。サワナケートは物質的な側面で見れば貧しくて不便な土地ですが、私にとってこの国に来られたことは幸運だと思っています。そして、何かお役に立って帰国したいものだと―。
(写真はサワナケート側からメコン河をはさんでタイのムクダハンを望む。AM6時半頃。)