2005年09月
  1. 2005年09月25日: 地ビール悲し (1)
  2. 2005年09月19日: 片付け (0)
  3. 2005年09月14日: Ms.Yingさんの陶房 (1)
  4. 2005年09月08日: フランス製自動鉋ブン回る (0)
  5. 2005年09月02日: 哀れビール (4)

地ビール悲し

2005年09月25日

最近Asahi.comのニュースで、いわゆる地ビールメーカーの「銀河高原ビール」が、ごく一部での生産は続けるもののほとんどの地域での生産を終了するということを知りました(記事の詳細は、はっきり覚えていませんのでご容赦下さい)。

皆さんの記憶も薄れているかもしれませんが、細川政権下でビールの製造制限が緩和されたのが1994年です。
規制緩和以前から、ビール好きの私は、国内販売され始めた自家醸造キットを用いて自家製ビールを作っていました。これは缶入りのモルトシロップを適度な濃度に水で薄めてビール酵母を混ぜて発酵させるというものです。
また、当時は村おこしが絶頂期を迎えつつある頃で、私は村おこし運動の差別化のためには地元産ビールの醸造しかないと思っていましたので、町の有志と共に醸造の道を探っていました。調査の結果、当時は研究用以外での醸造は無理な状況でしたが、わが町には良質の水があり、古くから麦芽を用いた水あめ作りも行われ、ホップの原料である邦名「からはな草」の栽培にも気候的には適した地域であるということは分かっていましたから、何かビールの合法的な醸造方法は無いものかもがいていたのです。

規制緩和が行われるという確度の高い噂を聞いて後、即座に地ビール製造に向けてのプランニングチームを結成したのが1993年12月でした。地ビール製造への流れとしては全国的にも早いほうだと自負しています。

所が、緩和されたのは、年間2000Kリッターから、60Kリッターです。大幅に緩和されたのは間違いないのですが、検討の結果、この量ですと我々の住む小さな町ではまだ量的に多すぎたのです。例えば、醸造装置の他に、ビン詰め販売を行うとすれば、洗滌ビン詰め装置が必要となります。販売経費も膨らみます。極小ブリューワリーを予定していた我々にはまだ多すぎる量だったのです。結果として中途半端な規模のブリューワリーを不透明な販売見込みのまま設立しなければならないというリスクを負うことになり、結果的に利益を出していくのは非常に難しいという結論に達したのです。
年間60Kリッターは実に巧い設定であるとプランニングチーム一同、感心した記憶があります。

我々の結論は結果的には正解だったのかもしれません。
「銀河高原ビール」は熊本にもりっぱな醸造場と併設されたレストランがあり、そこで、出来立ての旨い、確かプリスナータイプの本当の生ビールを飲んだこともあります。
しかし、「銀河高原ビール」撤退で、地ビールというトレンドの幕が降りはじめたような寂しさを感じたのです。

片付け

2005年09月19日

実習場の大掃除をしました。
我々シニアボランティアが任地に赴任し、先ず行うことは、現場の掃除整理整頓だとということはよく聞きます。しかし、この作業も実は結構厄介であることを今回改めて実感しました。

実習場には多くの木製の廃物、使えない数々の木工機械が置かれていました。
廃物にしか見えない壊れた木製の机、椅子、ドアは、実は解体し、実習用の材料として使うという予定で保管してあるのです。実際、私はそれらの廃材を用いて子供用の椅子を作りました。

赴任当初から、これらの整理を訴えてきましたが、この国の体制では現場の判断では動くことができません。そこで校長とも何度も話し、校長の承諾をもらいながら、少しずつ整理を行ってきました。校長が決断できない場合は先には進めません(施設長の力量によって裁量は違う)。廃材利用の椅子作りも、私の整頓依頼のリクエストにたいする校長からの逆要請だったのです。

今回、JICAに申請していた木工機械の購入が認められ、それが搬入されたのをきっかけにほとんどの不動機械を処分することができました。同時に多くの木製の廃物を処分することができましたが、それは簡単ではありませんでした。
それは永い間、現地スタッフが、あるいは彼らの指導者が良かれと考えて保管していたものを否定することだったからです。

通常、彼らは私にOKとはいっても動きません。やはり、時間をかけて信頼関係を築き、私の考えを理解し、互いに納得しなければ動いてはくれないのです。だれしも自身を否定されたくないから・・。

予算が甚だしく不足しているということも大きな要因です。貧困は悲しいことです。そのために、廃材に近い木製品や屑鉄も保管し再利用しなければなりません、しかし、機械に関しては修理費用も捻出できないで今まできたのです。

木工科としての体裁は、まだまだだと思っています。しかし、赴任した以上できる範囲、嫌がられない範囲で協力したいと思っています。

(廃棄した大量の廃材はスタッフが自家用の薪として持って帰ります。僕は「ディークワー」(Better)と叫ぶのです)

Ms.Yingさんの陶房

2005年09月14日

Yingさんの工房メコンを挟んだ対岸のタイは、ムクダハンの町です。タイの中では、マレー半島を除いたほぼ中央、最東部に位置しています。小さな町ですが、我々の住むサワナケートよりは大きく、最近は道路も整備されてきれいになり、国力の違いを見せつけられます。
我々は、サワナケートでは手に入りにくい食品や工具の購入のためにときどきここを訪れます。また、ここのポロイホテルには、町で唯一(多分)のプールがありますから、泳ぐためにはここへ来なければなりません。

先日、この町で陶房を構えるMs.Ying(イン)さんの工房へお邪魔しました。インさんはムクダハンで事業を行うファミリーのスタッフとして働き、週末に作陶を行っています。

最初、陶芸をやっていると聞いた時には、日本でも趣味で教室などに通っている方と同じようなイメージで捉えていましたが、実際に訪れて驚きました。
電動ロクロや1.5m角位のガス釜を備えた本格的なもので、彼女は実に意欲に溢れています。

Yingさんの作品工房は彼女が何度もスケッチをしてレイアウトの検討をし、多くの材料をリサイクル品でまかなって建てられています。その素朴さが落ち着きを生み出しています。
室内は実にきれいに掃除、整頓されていて、天井を含めた外壁内部は壁やドアを除いて、網戸というか防虫網のユニットで構成され、それが意図されたモダンなインテリアデザインの要素として写り、いい雰囲気ですが、これは暑さとモスキート対策とのこと。庭も自らの手で整備され、「私の部屋」(古いなあ)に出てくるような印象を持ちます。
ここでこつこつやっていく人を見たのは驚きでした。

首都からは離れていて、陶土や釉薬や用具の入手は大変そうですが、将来は様々な希望を持っているに違いありません。久しぶりに創作活動に熱意を燃やす方に会い、爽やかな印象を受けたのです。
(Yingさんは右、左は女房)

フランス製自動鉋ブン回る

2005年09月08日

フランス製自動鉋盤スタッフがとうに使用限度を超えたフランス製自動鉋盤の刃を交換していました。

このマシンには通常の定盤の他に、本体上部に跳ね上げ式の定盤が付いていて手押し鉋にもなり、サイドから取り出された駆動軸によって面取り装置(1軸モールダー)も付いているという、今までに見たこともない複合機でした。赴任後、使えなくなって邪魔なだけのこれらの補助装置は全て取り外しましたが・・。
さらに、このマシンにはチップブレーカーとプレッシャーバーが何らかの理由で取り外されてすでに無く、カッターブロック(刃の付いた回転胴)と前後の送りローラーがあるのみですから日本ではとうにスクラップです。

恐ろしいことにブレードはカッターブロックからを4mm近くも出してセットされていましたので、慌ててやり直しを指示しました。
本来直線であるべきブレードは大きく円弧状に研磨されていたのです。そのため、両端を適正にセットすると中央部が出過ぎるというわけです(実際は両端も出しすぎていた)。

円弧状に研磨された理由は、未経験者による重研磨と古い研磨機のひどいガタだと思われました。
最初は再研磨を指示しましたが、研磨機の調整を行わなければまともな研磨はできません。そこで研磨機の調整を行うことにしたのですが、カウンターパートは、注文されている材料の加工が間に合わないというのです。そこで今回はこの研磨のブレードを使うことにしました。私もあまりこだわってはいけません、「ボーペンニャン(ネバマイン)です」。

ブレードのセッティングの方法は仰天の目見当(!)。セッティング治具がないためです。
木材の移動量で確認する簡単なセッティング方法を示し、できるだけブレードを沈めてセットしました。ところが、ブレードを押さえる四角ボルトのうちの数本のボルトの頭の角が丸まっていて、とうとうレンチで締めることができなくなってしまいました。このボルトも当地では入手不能です。ここからの作業は、大丈夫だというローカルに任せました。こんなマシンでも使わなければならないのが現状です。

ちなみに、どのようにしてボルトを締め付けたかというと、センターポンチのようなもので頭の角を叩いて回すというもの。どの位の力で締め付けられたかはわかりません。後は天まかせです。

暫くして、壁を隔てた事務所にいる私の耳に、ブレード交換を終えたフランス製自動鉋盤の恐ろしい重切削の音が轟いてきました。まさしくブン回っているという印象です。サワナケートの木工科は今日も元気で凄まじいのです。

哀れビール

2005年09月02日

わが国のビールを取り巻く環境こそ最悪なものはありません。

日本へ戻ると、旨みのないドライビールにはうんざりしていますが、近年、発泡酒などという、まずいビールモドキが発売され、我々庶民は価格の安さからそれを買わざるを得ない状況が続いていました。しかし、発泡酒の価格破壊に伴う利益率の低下を改善するメーカーの販売戦略効果から、小売価格が適正価格(?)へ戻るのを見計らうように、S社からビールとはまったく異なる本当のビールモドキが発売され、それは以前から屋台で仕事帰りの労働者に飲まれていたホッピーの焼き直し版といっても良い物で、酒税法上は雑酒扱いのために税金が安く、販売価格も発泡酒以下で、とうとう我々庶民は不味い発泡酒の代わりに、今日では、極めて不味い雑酒麦酒風味を飲むことを強いられていて、「せめて発泡酒くらい飲みたいよ」などという情けない状況になっています。

食品をはじめ、安全性や本物が評価される今日にあって、まがい品を選択せざるを得ないビールを取り巻く我が国の退行現象は一体何なのでしょう。
世界を見渡してもビール風味を楽しむだけの偽物を頂く不幸せに甘んじる、珍しくも悲しく情けない国はあまりありますまい。これもひとえにビールに課せられた甚だ不公平な税制に他なく、これが国際的にも恥ずべき状況を与えているのです。

ビールに対する大昔の税制を抜本的に是正すれば、真ビールの消費は増え、メーカーも為ビールの製造に労力を費やす必要もなく、本来の美味い真ビールの新製品にその労力を向けることができるというものです。

ここラオス唯一のビールであるビアラオも美味いし、隣国タイのシンハービアーは実に美味いラガービアーです。
ああ哀れ、日本為ビール。