2006年02月
  1. 2006年02月28日: 私の徹夜本 9(気分はだぼだぼソース) (1)
  2. 2006年02月26日: 団塊世代田舎へ (0)
  3. 2006年02月24日: グリーンツーリズムどこへ (0)
  4. 2006年02月21日: 椅子専門 (8)
  5. 2006年02月19日: バターの逆襲 (0)
  6. 2006年02月17日: 椅子と人体 (2)
  7. 2006年02月15日: 実射 (0)
  8. 2006年02月13日: リアルカントリーライフ (0)
  9. 2006年02月11日: とどまる意志 (0)
  10. 2006年02月09日: ストレスに値せず (0)

私の徹夜本 9(気分はだぼだぼソース)

2006年02月28日

若い頃(せいぜい30代前半まで)に読んだ本の中で、時間の経つのを忘れるほど夢中になれたものを紹介しています。現物が手元にありませんので曖昧な記憶での感想をお許しください。

■気分はだぼだぼソース:椎名誠
一世を風靡した(?)椎名誠の初期のエッセイです。他に、「さらば国分寺書店のオババ」「哀愁の街に霧が降るのだ」なども同様に非常に強く記憶に残っています。

日常の些細時をこの人ほどユーモラスに、「そーなんだよ」と共感させる視点を持ち、それを独特の文体で実に巧みに表現してしまうエッセイストを知りませんでした。

日常感じる、ちょっとしたこと、何か変だけれども、ちきんと言葉に置き換えたり、分析することもなくそのまま見過ごしてしまうことを掘り下げてしまう観察の巧みさ。私だったら数行で書き終えてしまうことを、そのテーマで数ページ書ける、読ませるというのはすごい才能です。

初期の様々な雑誌の批評は実に爽快でしたが、有名になるに従っておとなしくなっていったのは残念ですが致し方ないところです(仁鶴もたけしも最初の頃のラジオDJではすごかったですから)。

有名な方で、大量の著作があり、ここで取り上げる必要も無い位ですが、取り上げたいインパクトがあったわけです。基本的に才能があって健全なんですね。

団塊世代田舎へ

2006年02月26日

都市部に住む団塊の世代の多くが田舎へ移住したい、もしくは週末を田舎で過したいと考えているという。

内閣府が昨年11月に行った、「都市と農山漁村の共生・対流に関する世論調査」では、田舎への移住を希望する50歳代が3割前後いた(ただし、回答率は58%)。
この結果に伴い、政府は今年度から地方の空き家情報の提供などを積極的に推進する意向である。

北海道の市町村は、旅行業者のJTB、ANAセールスと協力し、移住を視野に入れた体験ツアーを実施し、参加者からの高い評価と多くの問い合わせを得ている。
また北海道は、移住促進を目的に、「北海道移住促進協議会」を設立。つい最近、民間による移住ビジネスを促進するためにに実行委員会を設け、情報発信や現地での体験実施、サポート体制等、ビジネスとしてどう発展させていくかを検討していくという。

移住に力を入れ始めた自治体は北海道に限らず、愛媛など各県に広がっている。
20年近く前から田舎暮らしの特集記事や、田舎暮らしの本などが出版されていたわけで、今頃?という感想を持ってしまうが、過疎化に悩む町村と田舎に住みたい希望を持つ方は時代を通して一定の割合でいるわけであるから、どのようなきっかけであろうとも、縁ある土地に会えれば、取りあえずは、双方に好ましい。

「北のふるさと探しの旅」体験ツアーを実施したのはANAセールス。ホテル宿泊3泊コースだという。気軽に移住体験できるのが売りらしいが、ホテル宿泊では、私には単なる旅行にしか映らない。
それよりも、空き家を整備し、田舎体験の宿泊場所として使ったり、ツアーとして組み込んで利用し、気に入っってもらった方には購入してもらえばいい。例えば、旅行会社は企画情報発信、現場までの送迎。町村は家屋の管理(寝具・食器等)を行うのである。

リタイヤ後の団塊世代の取り込みには多くの企業が熱心であり、田舎移住希望の割合もかなりあるというわけだから、空家宿泊田舎体験は民間がやってもグリーンツーリズムを進める町村が企画しても面白いと思う。

最終的に、移住希望者が望みを叶えられれば、地域にとってもいいことである。田舎には様々な問題もあるが、代え難い良さは確かにある。
そして、一度廃れていったものを元に戻すには大変なエネルギーが必要になることだけは間違いないから。

グリーンツーリズムどこへ

2006年02月24日

近年、日本の田舎ではグリーンツーリズムが大はやりである。農村の活性化の切り札的な流れとして様々な試みが繰り広げられている。
(グリーンツーリズムとは、単なる旅行ではなく、田舎に滞在して農業、牧畜などを体験しながら余暇を過すという、人との交流が介在した旅行の在り方である)

グリーンツーリズムも町村の取り組みによって様々であるので一概には言えないが、役場が主導するグリーンツーリズムの在り方には少し不安がある。農家に泊まっての農業体験が、実は農家の負担にならないのか、あるいは参加者にとって、イベントが手取り足取りで億劫面倒にはならないのかといったようなことである。

何か物足りない蕎麦打ち、充実感の乏しいモノ作り、安全第一の農業体験。作り笑顔が引きつって疲れ切ってしまう夕暮れが目に見えるようである。僕はだから、そんなイベントに参加したいとは思わない。

村おこしのブームと入れ替わってグリーンツーリズムが来たという印象が強い。本当に来てくれる人々が満足できるような時間空間を提供することができるかというと、俄かに受け入れても、接客に慣れていない農家の方には難しい。また、ホストへの配慮に欠ける、躾のできていない子供を連れた若夫婦が宿屋気分で宿泊しても迷惑になるのが落ちだ。そのうち、双方で疲れて嫌になってしまう。
そもそもグリーンツーリズムとはいっても、利用者の側から盛り上がってきたものではなく、行政がトレンドを作り出してきただけではないのか。

グリーンツーリズムという輸入概念が根付き、互いの価値を認め合う成熟した制度まで高まっていくには相応の時間が必要だと思うのである。

薄い掛け布団が心地いい少し肌寒い夏の朝方がいい。ほろ酔いで見上げる満天の星空がいい。遠くに聞こえるせせらぎがいい。囃子はいらない。そんな所に泊まる事ができたらいいのだ。

椅子専門

2006年02月21日

椅子専門の工房や椅子をメインで扱う工房がある。私の知り合いにもいるし、ネットでも見かける。

家具作りにおいて椅子作りはロマンである。個人的に、そう思う。だから椅子に賭ける思いはよく理解できる。
そして、椅子制作は難しい。造形的に完成度が高く、飽きがこないで掛け心地がいいものを得るまでには膨大なエネルギーが必要だからである。

不具合を直そうとしても治具から作り直さなければならない場合もあって、それは大変である。
作る場合も直角に鋸を入れる部分は少ない。つまり、「クセモノ」と呼ばれる部品が多い。

苦労して仕上げ、発表した後は、目の肥えたコンシューマーによる、マーケットの膨大な市販品との比較が待っている。どうしても批評にさらされる。

デザインでの比較、価格での比較、品質での比較である。かといって椅子の場合、手作りというイメージでカスタマーに訴求することは、広い一枚板を用いたテーブル等と違って難しい。しかし、手作りという手法を用いたという付加価値が見えないと訴求力は低い。
その場合の付加価値要素とは、作家性、あつらえの希少価値、量産が選択しにくい手法を採っている等であろうか。

量産品の場合は、プロのデザイナーが形状決定にその存在を賭けてきた歴史がある。こういったプロとの競合は全てではないが避けては通れない。
椅子張りも然り。その分野での専門職が存在する。

そして、市場においての最大の問題点が価格。デザイン、設計、治具制作、プロトタイプ等というプロセスが概ね必要となるわけで、これを正当に価格に反映すると、ほとんどの場合、カスタマーは飛び上がって退散する。
だから、賢明な指導者(及び親方)は椅子だけには手を出すなという。それでも、無謀(?)にも、椅子の魅力に負け、自分の可能性を信じて椅子をメインにする工房がある(注:下)。

かく言うワタクシも、椅子専門工房ではないが、止せばいいのに膨大で儲けにならない(?)時間とエネルギーを椅子作りに費やしてきた。しかし、まだ懲りないのが悲しいのであるが・・。

(注:これは実に尊敬に値するが、ここでは無責任にガンバってとはいわない。大変な部分はあるかもしれないけれども、自らの意志を仕事で示して欲しい。期待と評価に代えて(偉そうに書いた部分、御容赦下さい))

バターの逆襲

2006年02月19日

昔はバターは高価で優秀(?)な食品だった記憶がある。それがいつの頃からか、バターに含まれているコレステロールが健康に良くないということで、今では植物性オイルから作られているマーガリンのほうが健康にはいいという理解が概ね定着している。

所が、最近、そうでもないということを知った。安全に関する対策の早い欧米では、マーガリンに含まれているトランス脂肪酸が及ぼす健康への悪影響を認識しており、使用制限や表示義務を設けている。

日本のマーガリン製造メーカーや、マーガリン工業会は、要するに、科学的に結論付けられたわけではないし、日本人の平均的摂取量は欧米に比べて低く、バランスのとれた食生活を行えば問題ないという政府見解(内閣府食品安全委員会)を各々のサイトで事務的にアナウンスしているにすぎない。

余談だが、このブログサイトへ、「マーガリンの害」に関する検索で訪れる件数が多いのには驚く(注:少ないアクセスの中でも割りに多い)。健康への関心の高を改めて実感している。その傾向はメーカー自身も、問い合わせ等で確認しているはずである。政府の対策はアスベスト問題でも明らかなわけで、先んじて健康対策マーガリンの発売を行うほうが余程イメージも上がるだろうにと考えるのは少数ではないはずだが。

こうなってくるとバターには順風である。当然、「バターの害」関連の検索で当サイトに引っ掛かる件数も少しだが出てきた。バターを見直してみようという意識は当然である。

かくいう私も(社)日本酪農乳業協会のサイトを訪れた。

そこには、「バターのコレステロールが悪者だというのは、大きな誤解。むしろリノール酸の問題点に注目が集まる時代になってきました」とあった。

日本酪農乳業協会のサイトによると・・

日本で、「リノール酸の摂取を増やそう」という栄養指導が始まったきっかけは、1960年代中頃に人や動物を使ったテストで、動物性脂肪のほうが血液中の コレステロールを2倍に高めるという結果が出たからでした。しかし、この実験は短期間のもの(※)であり、その後の研究により長期間でみると、他の脂肪分でも体内のコレステロール値に大差はないことがわかったのです。
(※)2000年2月/(社)中央酪農会議・プレスセミナー(講師:奥山治美)より

コレステロールの摂り過ぎは心臓病や動脈硬化を招くといわれてきましたが、これは、多量の動物性脂肪を摂る欧米人に対してのこと。また、動物性脂肪たっぷりのアザラシを食べるイヌイット人が、デンマーク人に比べコレステロールを2倍多く摂っているのにかかわらず、血液中のコレステロールはむしろ低く、心疾患にかかる率も10分の1以下という報告もあります。

ではバターのコレステロールはというと、これも僅かの量です。日本人が1日の食事から摂取するコレステロールは、平均300〜500mg。バター10gを摂取したとしても、コレステロールの量は21mgです。日本人のバターの摂取量は1日1人当たり2g以下というのが現状ですから、バターがこれまでも無実だったのは明らかです。

云々ということになる。
ちなみに、雪印ネオソフトマーガリンを1日10g食べると、含まれているトランス脂肪酸を0.6gを摂取する事になる。バター10gに含有するコレステロールの量は21mg。どちらがよくないかは、私にはよく分からないし、はっきりした指針もない。イメージだけでいいと思い込んでいるのは危ないということ、日本人の食品への関心の高さは理解できた。

ついでに加えるならば、米国のBSE問題で、高慢な米国の姿勢に我国が押し切られたにせよ、このような関心の高さからくる不買行動は、今回の危険部位混入における米国政府のリアクションのように、多少は彼らの認識を改める事はできるのである。

椅子と人体

2006年02月17日

例えばYチェアーの使用感に関しネットで感想を読むことができる。満足感と共に掛け心地が良いという意見を散見する。それも女性の意見が結構ある。日本の平均的な身長の女性が、特に家庭で素足で使った場合、Yチェアーのシート高、肘掛、奥行き寸法共々、少し大きいのではないかと思う。そうであるなら、実は掛け心地は多少スポイルされているのではないかと想像したりする。
しかし、気に入って買った場合、欠点を見ない努力をしがちであるので気にならないのこもしれない。ここでは藪蛇になることを言うつもりはない。しかし、それを差し置いても、人体、いや個々の使用者は、自分の座り勝手がいいようなポジションを探し、合わせているということに気がついた事はないだろうか。
椅子に限らず、車の運転ポジションも同様である。使い慣れて疲れなくなってくる経験はだれにもあると思う。
(ここでYチェアーを例に取ったのは、輸入されている椅子の中では非常にポピュラーで認知度が高いと思われるからである)

ここラオスのダイニングチェアーの多くは木製で、背もたれは垂直に作られているものが多い。座面は水平である。だから座りにくい。それで自然と前の方に座ることになる。そうすることによって背板を後方に逃がし、掛け心地を改善するのである。
座面の奥行きの浅い椅子の場合も同様の理由でやや前方に座る習慣がつく。また、肘掛の高さが自分の身体に合わない場合も座る位置で調整する。慣れると体が自然とそのようなポジションを取るのである。そして不都合を矯正し、疲れにくくなってくるのである。

逆にショップで座ってみて掛け心地がいいと思って買うと、暫くするうちに疲れ、矯正しにくい場合がある。ダイニングチェアーに安楽椅子的な座り心地を与えすぎた椅子を使うような場合がそれである(と思う)。
また、ショップで試し座りをする場合、日頃めったに座らないような深い位置に座った場合も通常の使用感の確認はできないと思う。時々そういったカスタマーの方がいるので戸惑う場合がある。そういった座り方をして、「すごくいいわネ」とおっしゃる方にそれは少し違うというのは水を差すようで怖い。その場合も、上記のように身体の自己矯正機能に期待すれば、多少の問題があっても緩和される場合はあるが・・。

だから私は、短時間のトライアルで掛け心地の良い悪いを性急に評価するのは難しいと思っている。逆に、短時間座るのに合わせたセッティングにすればその時の評価は上がるのかもしれないが。
勿論ここで椅子設計に於ける人間工学的な配慮を否定しようとしているわけでは決してない。人間の持つフレキシビリティと椅子設計の奥の深さを思うのである。

実射

2006年02月15日

実弾を撃った。ここには射撃場があることを知り、試してみたくて行った。金さえ払えば誰でもできるのだ。私はピストルを試した。他にライフルタイプ(呼び名はよく分からない。何しろ銃身の長いタイプ)を使う事ができる。

建物に入るとロビーからすぐに撃つようになっている。囲いもない。「えー、これでいいの」という感じ。振り向くと誰でも狙えるのだ。物騒である。

ピストルの的は25m先である。見た目では思ったよりも小さい、というか遠い。拳銃は、意外に軽い。銃口は4、5mm位。おそらく競技用だろうと思う。操作と狙い方の説明を受けて弾を込める。上部をスライドさせて充填(何というのかわからない)。結構緊張する。照準を合わせ、狙いを定める。合わせるといっても腕は微妙に動いて静止などしないので、適当にトリガーを引いた。「ばーーん」と、凄い音。予想よりはるかに大きい音がロビーに響き渡った。衝撃はそれほどでもない。
これで人が死ぬ。怖いなぁが実感。こんなものの所持を認める国が信じられない。不必要な殺傷事件が増えるのは当然だろうと思った。

的が引き寄せられる。端のほうにひっかかるように小さな穴が開いていた。

リアルカントリーライフ

2006年02月13日

ラオ語を習っている女性の家族が新しく家を建てているというので、早めにレッスンを切り上げて行ってきた。
町の中心部を少し外れた辺りで国道から細い路地に入っていく。ブッシュを切り開き、車がようやく通れるような道で、真ん中には巨木が残っていたりする。それでも民家が続き、住宅化が進んでいるのには驚く。進んでいくと完全な農村風景に変わる。といっても国道から車で10分ほどであるが・・。赤土の細い路地が続き、電線のラインが途切れた暫く先に彼女の土地があった。

両親はベトナム国境に近い村に住んでいたそうだが、水牛を処分し、次男の援助を加えてここを購入したそうである。
土地は広大だった。そして、その中央部に小さな小屋が作られていた。土地を大まかに整備し、井戸を掘り、家族でこの小屋を立てたのだという。
広さ4畳半程度の部屋が2部屋。壁はこの国でよく見られるもので、竹をテープ状にして編んで作った、一辺が3m程度のシートを打ちつけただけのものである。窓はなく、各部屋に出入り口が作られている。屋根はトタンで一部屋だけ葺かれていた。床はまだなく土を盛っている最中で、あるレベルまで盛ってからコンクリートを打つのか?。まさか?。
さらに炊事をする場所と、軒を延ばして食事をするスペースを作るのだという。

家屋の躯体は釘打ちで、全ての面にシート状の素材を張るだけなので簡単に形にはなる。しかし、ここの木材は大変硬く、釘もなかなか入っていかない。資金も、まともな道具も、電気もない所で素人が取り付け道路の整備、敷地の開墾(当然フラットにはなっていない)から家建てまで行うのは容易ではない。私は唸るばかりだった。

ちなみに井戸までは数メートル離れていて、そこで沐浴、洗濯をすることになる。そして、そこには我々がイメージするポンプはなかった。ポンプは全て塩ビパイプを利用していて、ハンドルは木で作られていた。おそらく塩ビパイプの中に入れて使う、弁の付いたピストンのような市販部品があるに違いない。それを用いた吸い上げポンプなのだろう。

この地方の伝統的な高床式住宅でもないし、窓もないから、かなり蒸すだろうし、夏の夜は暑くて眠れないだろう。しかも、電気もない。炭や潅木を用いての煮炊き。お天道様と共に生きる限界的田舎暮らしと思えた。

それでも彼女は幸せそうで、早くここで家族と暮らしたいという。そして、家畜を飼い、この地に適している落花生を植えるのだという。のどかで平和で大らかな郊外の庶民の生活が展開していた。

夜は大学教授の息子の結婚パーティに招かれて出席した。公用車ナンバーをつけた日本製高級4輪駆動車がずらりと並び、明らかに裕福な階層と判る方々が列席している。高級官僚の利権の話は憶測の域を出ないのでここでは書けないけれども、昼間見た光景との激しい対比が何だか虚構をイメージさせた。

とどまる意志

2006年02月11日

スーパーカブが生産累計5000万台を達成したという。
アジアでは、「この能無しが」、と忌々しくなるくらいに中国ベトナムコリア製の、コピーカブで溢れている。
エイシアンスタンダードの源であるホンダスーパーカブも安いコピー機に混じって走っている。その健闘振りには敬意を表したくなる。
一時、アジアで安い中国製にシェアを奪われたが、徹底的なコストダウンを図って盛り返している。なんといってもホンダクォリティは希望であり垂涎なのだ。

カブと、そのコピーバイクは、スタンダードとして確立してしまっているから、全ての部品は容易に入手できる。これは強い。
クボタの耕運機と共にカブは、アジアでの生活必需品であり、移動に輸送に酷使される。バイク屋の店先で簡単にミッションがばらされ修理を受けている。部品の共通化と供給体制が整っているのはマーケットでの自然発生的保障制度のようなものだ(ただし部品は、当然純正ではない)。
これもひとえに本田宗一郎の偉業である。

発売当時、カブは高価なものだった。それでも徹底的にコストを抑え、使い勝手を熟慮していた。プレス部品の多用、簡便な操作等である。しかし、2ストロークエンジン全盛の当時、敢えて部品点数が多く、コストの掛かる4ストロークエンジンを採用した。製造コストはかかるがランニングコストは低く抑えられるからだ。

クラッチレスのミッション操作。実はクラッチは存在し、シフトレバーを踏むと半クラッチ状態になり、続いてギアはロックアップされる。使いやすくシンプルで耐久性のある構造である。
アンダーバックボーン式フレームレイアウト。高さを押さえた水平レイアウトのシリンダーと共に乗り降りを容易にしたデザイン。アジアではこの空間は第二の荷台として実に有効に機能している。
プレス製フロントフォークとボトムリンクサスペンション。テレスコピック式に比べ見栄えは悪いが、強度を保障しコストを押えている(股下をテレスコピックにした中国製カブは付根が一点しかなく、ブレーキ時にそこから折れたのを目撃した事がある。極めて危険)。
(語られる事は少ないが、このサスペンションはダートでの安定性は抜群である。昔、浜松などでは、カブを改造したおっさん達がフラットトラックコースで遊んでいた。ハンドルを広くし、イン側のステップを上げ、膝支えを付け、オーバルコースでカウンターを楽しむのである。カブでのカウンター走行は実に安定しているのだ。これはボトムリンクサスのせいである。余談若干)

このバイクの設計思想には庶民への視点が凝縮している。人間への博愛、庶民への慈愛を基にしたモノ作りの基本が見える。本田宗一郎は逝ったが、その思想は今も貢献を続ける。

ストレスに値せず

2006年02月09日

ウィンザータイプのサイドチェアーを作ろうとしている。ところが、それを作るようにするのがひと苦労。

先ず、古い旋盤のドライブセンターが大きいものしかなくて、爪がボロボロ。ライブセンターはベアリングが傷んでガタガタ。しかし、ドライブセンターの爪の加工ができる加工屋がこの町にはなかった。

最近になり、川向こうのタイの町で加工ができる店を見つけた。先ず、スピンドル加工に用いるための小径のドライブセンターの加工を頼んだ。
爪の先端がシャープではないこと、センター部分が大きすぎて材木への食い込みが悪いので先端加工をやり直してもらって受け取る。先端は少し焼き入れを頼んでおいた。
きれいに仕上がっていたので喜んだのも束の間、取り付け用のネジ規格が違っていた。現在再加工中。

ライブセンターはテーパーシャフトだった。機械加工用の標準部品が使えた。これはラッキー。

次に、座面の板剥ぎに必要なジョインターのブレードの交換を行わなければならなかった。
しかし、短大の研磨機は相当の時代物で今までは使う気になれなかった。スタッフはこの機械で学生に研磨をさせるのだが、まともな研磨ができない。前任者が入れた日本製ジョインター、自動鉋盤の研磨はその機械では行いたくなかった。そこで町内の研磨屋に持ち込んだが、研磨は鋸刃しかやっていなかった。
こうなったら学校の研磨機を使う他はない。自前で研磨をしなければジョインターと自動鉋盤は使えないのだ。研磨機のオーバーホールを決めた。

以前にチェックしたときには、砥石の移動レールは、問題無いようだった。今回、掃除して調べたが、問題ないことにした。きびしく調べて問題があってもどうしようもない。
ブレード押さえと、刃先の位置決めプレートの固定ボルトのうち傷んだ物を交換、タップの立て直し等で対処できそうである。

次にちびった砥石の交換である。ところが古い機械のために砥石のシャフト径が特殊なサイズで、新しく買ってきた砥石の穴径と合わない。我が町には特殊なカップ砥石などは売ってはいない。カウンターパートは意に返さず、砥石の軸穴を木工用丸ヤスリで広げ始めた。息を呑むような素晴らしい対応であった。暫くの後、砥石は無事に機械に取り付けられた。何とか研磨ができそうである。

機械の調子もイマイチだが、教えている教官のモチベーションもイマイチである。何のためにここに居るのかわけが分からなくなる事もたびたびあるのだが、ローカルスタッフはいたって平穏、昨日と同じように今日も平和なのだ。