2007年01月
- 2007年01月31日: ゴルフGT TSI ツインチャージャー (0)
- 2007年01月30日: トランスファット対策 (0)
- 2007年01月23日: 定員割れ (0)
- 2007年01月21日: 柴イヌをつれて (0)
- 2007年01月15日: 「外資系社員」の事件に思う (2)
- 2007年01月12日: 振り出し (2)
ゴルフGT TSI ツインチャージャー
2007年01月31日
最近の車はすごいことになっている。大排気量、大出力化である。
ベンツやレクサスを始めとする高性能マシンが矢継ぎ早に発売され、シェアの覇を競う。片方で環境対策が叫ばれ、売りにするが、その自己矛盾に対する批評が聞こえることは殆どない。
今、それを批判するつもりはない。大袈裟に言えば、さながら、民族の優劣を競うに等しい戦いが展開されているようにも見える(だから批判をしないということでもないが)。
所で、多くの内外の高性能エンジンでは、ターボチャージャーという過給器が取り付けられ、排気ガスの力を利用してタービン(回転翼)を回し、その回転力を用いて空気を多量にエンジンへ送り込んで出力を増すということが行なわれ、ターボを謳い文句にし高性能をアピールしてきた。
過給器には、エンジンの排気ガスでタービンを回す方法と、エンジン自体や、モーターでタービンを回す方法がある。詳しくは触れないが、共に一長一短があり、ターボチャージャーは、排ガスの勢いの弱い低速域では効果が低く、機械式チャージャー(今日の日本ではこのことをスーパーチャージャーと呼ぶ)は高回転域でロスが発生する。
最近発売されたゴルフGT TSIには、排気と機械式の二つの過給器が装備されているという。つまり、二つの過給方式の弱点を補って高性能化を図るということらしい。
更なる、高性能化と穿ってしまいがちであるが、その設計意図は、単なる高性能化ではなく、小型エンジンの高効率化にあるという。
欧州では、現在、エンジンをコンパクトに作ることは、省エネルギー上きわめて有効な手段であることから、省燃費と高出力を両立させたストイキ(ストイキオメトリー=理論空燃費)ターボが脚光を浴びている(RESPONSE:【VW ゴルフ GT TSI 日本発表】高出力と低燃費を両立(2007年1月22日)より)。
このような考え方であるのなら納得できると思えた。
例えばの話、1500CCの運動性能を必要としている営業担当者が、燃費に優れ、パワー(馬力とトルク)が同等であれば、過給器付きの1000CCで問題ないはずであるし、更に、製造上及び、廃棄までに使われるエネルギー総量が低減されれば環境にとって実にいいわけである。もしも、そのような意図のための過給器エンジンであれば実に素晴らしいことだと、個人的には思えたのだ。
話は違うが、友人のリトルカブは普通でリッター100kmほど走るという。暖かくなったら、カブや125ccでいいから買い物に使いたいと思った。走ると少し寒い、早春の風を切るのは清々しいだろうなと・・。
ベンツやレクサスを始めとする高性能マシンが矢継ぎ早に発売され、シェアの覇を競う。片方で環境対策が叫ばれ、売りにするが、その自己矛盾に対する批評が聞こえることは殆どない。
今、それを批判するつもりはない。大袈裟に言えば、さながら、民族の優劣を競うに等しい戦いが展開されているようにも見える(だから批判をしないということでもないが)。
所で、多くの内外の高性能エンジンでは、ターボチャージャーという過給器が取り付けられ、排気ガスの力を利用してタービン(回転翼)を回し、その回転力を用いて空気を多量にエンジンへ送り込んで出力を増すということが行なわれ、ターボを謳い文句にし高性能をアピールしてきた。
過給器には、エンジンの排気ガスでタービンを回す方法と、エンジン自体や、モーターでタービンを回す方法がある。詳しくは触れないが、共に一長一短があり、ターボチャージャーは、排ガスの勢いの弱い低速域では効果が低く、機械式チャージャー(今日の日本ではこのことをスーパーチャージャーと呼ぶ)は高回転域でロスが発生する。
最近発売されたゴルフGT TSIには、排気と機械式の二つの過給器が装備されているという。つまり、二つの過給方式の弱点を補って高性能化を図るということらしい。
更なる、高性能化と穿ってしまいがちであるが、その設計意図は、単なる高性能化ではなく、小型エンジンの高効率化にあるという。
欧州では、現在、エンジンをコンパクトに作ることは、省エネルギー上きわめて有効な手段であることから、省燃費と高出力を両立させたストイキ(ストイキオメトリー=理論空燃費)ターボが脚光を浴びている(RESPONSE:【VW ゴルフ GT TSI 日本発表】高出力と低燃費を両立(2007年1月22日)より)。
このような考え方であるのなら納得できると思えた。
例えばの話、1500CCの運動性能を必要としている営業担当者が、燃費に優れ、パワー(馬力とトルク)が同等であれば、過給器付きの1000CCで問題ないはずであるし、更に、製造上及び、廃棄までに使われるエネルギー総量が低減されれば環境にとって実にいいわけである。もしも、そのような意図のための過給器エンジンであれば実に素晴らしいことだと、個人的には思えたのだ。
話は違うが、友人のリトルカブは普通でリッター100kmほど走るという。暖かくなったら、カブや125ccでいいから買い物に使いたいと思った。走ると少し寒い、早春の風を切るのは清々しいだろうなと・・。
トランスファット対策
2007年01月30日
マーガリン等に使用されているトランスファット脂肪酸関連の検索で、当サイトの記事が拾われるケースが多い。
アメリカでは、2006年度始めから、全ての加工食品にトランスファット表示規制が開始され、同国の有名なレストラン(コーヒーショップ?)であるスターバックスでは、今年1月から提供している食品にトランス脂肪酸を使用しない決定をし、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドも、今後未使用の決定をしたというようなニュースを聞いた(読んだ)気がしている(記憶が定かではない部分もある)。
そんなニュースが流れ始めてから、急に検索キーワードで我がブログサイトに訪れる方が増えた。日本の人々の健康への関心の高さを改めて実感している。
そこで、以前、記事を書く際に参考のため、サイトを訪れた事がある、以前クローズダウンしそうになった某メーカーに対し、対策状況をメールでお聞きした。
回答は、サイトに書いてある内容のコピー&ペーストであり、何ら具体的な取り組みが行なわれているようでもなく、予想通りのむなしい内容だった。
今、健康対策マーガリンを消費者に対して提案する事は非常にタイムリーであり、また企業としてのサービスや責務でもあると思うが、やはり、政府の基準見直しや指導がなければ日本の食生活は欧米とは違うという理由で対策を先延ばしにするだけなのだろう。
ただ、生協や他の国内の小さなメーカーは、対策商品の販売を行っているので、用は理念や努力次第なんだろう。
以下はその宣伝内容の一部(ただし、このメーカーの宣伝を行なうつもりはないので、関心のある方はネット等で探して下さい)。
◎一般のマーガリンに10%前後含まれるトランスファットを1%以下に抑え、マーガリンより安心。
◎植物油脂100%、バターの1/40の低コレステロールで、バターよりヘルシー。
◎化学合成物は無添加、基準の厳格なヨーロッパの有機認証団体SKALの認証を受けたマーガリン。
アメリカでは、2006年度始めから、全ての加工食品にトランスファット表示規制が開始され、同国の有名なレストラン(コーヒーショップ?)であるスターバックスでは、今年1月から提供している食品にトランス脂肪酸を使用しない決定をし、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドも、今後未使用の決定をしたというようなニュースを聞いた(読んだ)気がしている(記憶が定かではない部分もある)。
そんなニュースが流れ始めてから、急に検索キーワードで我がブログサイトに訪れる方が増えた。日本の人々の健康への関心の高さを改めて実感している。
そこで、以前、記事を書く際に参考のため、サイトを訪れた事がある、以前クローズダウンしそうになった某メーカーに対し、対策状況をメールでお聞きした。
回答は、サイトに書いてある内容のコピー&ペーストであり、何ら具体的な取り組みが行なわれているようでもなく、予想通りのむなしい内容だった。
今、健康対策マーガリンを消費者に対して提案する事は非常にタイムリーであり、また企業としてのサービスや責務でもあると思うが、やはり、政府の基準見直しや指導がなければ日本の食生活は欧米とは違うという理由で対策を先延ばしにするだけなのだろう。
ただ、生協や他の国内の小さなメーカーは、対策商品の販売を行っているので、用は理念や努力次第なんだろう。
以下はその宣伝内容の一部(ただし、このメーカーの宣伝を行なうつもりはないので、関心のある方はネット等で探して下さい)。
◎一般のマーガリンに10%前後含まれるトランスファットを1%以下に抑え、マーガリンより安心。
◎植物油脂100%、バターの1/40の低コレステロールで、バターよりヘルシー。
◎化学合成物は無添加、基準の厳格なヨーロッパの有機認証団体SKALの認証を受けたマーガリン。
定員割れ
2007年01月23日
二十数年前に私が赴任した短大では、深刻な定員割れに喘いでいた。
最初は塗装科でスタートしたが学生が集らない。そこで、工業工芸デザイン科に科名変更した。スタッフはそのままで、工業デザインの専門家が一人加わっただけで、名称・内容変更しての再スタートであった。表向きの募集要項のカリキュラムは内容をぼかす分けのわからない記述だったが、内容を簡単に述べると、デザインし、プロトタイプを制作し、塗装するということで、従来から勤務する塗装担当教官の地位保全かつ、学生増加のための小手先的な科名変更だった。
二人目のデザイン専門家としてその短大に赴任した私は、内容のお粗末さに寒気がした。学生への詐欺だと断言できた。意欲を持って入学してきた学生や保護者に申し訳がなかった(名誉のために記すが、勿論、熱意のある教官も少なからずいた)。
定員割れの問題は、科の存続、短大の存続に関わる問題だったので、中央では、労働組合も一緒になって存続のための方策を考え政府と折衝し(つまり自己保存)、現場では、学生のレベルという問題ではなく、定員割れを阻止しなければならないという教官と、レベル確保を優先する教官の対立が続いた。
論文では、誤字脱字の多いものを「不」とするか、誤字よりも内容を評価するかで判定は分かれた。私の記憶にあるのは(当時すでに)、自分の夢が叶わなかったら子供に託すと論文中に記した受験生が多々いたことだった。私は、そのような受験生には人間的な魅力を感じないが、選択となると中々難しいものであり、結果的に定員確保が優先された。
当時から予想されていた、少子化に伴う定員割れと、大学存続の危機が、最近になっていよいよ現実のものとなってきた。そして、ニーズ志向ということで、美容関係の授業を行なう大学が報道されたのは驚いた。大学の専門学校化ではないか。
少子化の反面、教師は溢れていて、大学に残れない先生は、高等専門学校や労働省系の大学に職を求め、それでもなければ専門学校に行く方もいると聞く。大学の専門学校化も悲しいが、当時は意欲のない教員がかなりいたことを覚えている。真に大学全体が問われている時代になったのだと思う。
余談:私の勤務当時、学生確保のためにデザインの適正は重視されなかった。入学者がいなくなるからである(それでも定員の半数だった)。その中の一人の女学生と彼女の卒業後に会った。彼女は、カーナビで有名なAL社のデザイン課に入社することができたのだった。
「大丈夫?デザインできてるの」と、ジョーク気味にいう私に、CADがあるから大丈夫なんですよと、彼女は明るく答えた。そして、田舎で家具工房を開き、家具を作っているという私を不思議そうに見ながら、「私はハイテクをやっていますが、先生はローテクに向かったんですね」といい放ち、私は気弱に微笑んだのだった。
最初は塗装科でスタートしたが学生が集らない。そこで、工業工芸デザイン科に科名変更した。スタッフはそのままで、工業デザインの専門家が一人加わっただけで、名称・内容変更しての再スタートであった。表向きの募集要項のカリキュラムは内容をぼかす分けのわからない記述だったが、内容を簡単に述べると、デザインし、プロトタイプを制作し、塗装するということで、従来から勤務する塗装担当教官の地位保全かつ、学生増加のための小手先的な科名変更だった。
二人目のデザイン専門家としてその短大に赴任した私は、内容のお粗末さに寒気がした。学生への詐欺だと断言できた。意欲を持って入学してきた学生や保護者に申し訳がなかった(名誉のために記すが、勿論、熱意のある教官も少なからずいた)。
定員割れの問題は、科の存続、短大の存続に関わる問題だったので、中央では、労働組合も一緒になって存続のための方策を考え政府と折衝し(つまり自己保存)、現場では、学生のレベルという問題ではなく、定員割れを阻止しなければならないという教官と、レベル確保を優先する教官の対立が続いた。
論文では、誤字脱字の多いものを「不」とするか、誤字よりも内容を評価するかで判定は分かれた。私の記憶にあるのは(当時すでに)、自分の夢が叶わなかったら子供に託すと論文中に記した受験生が多々いたことだった。私は、そのような受験生には人間的な魅力を感じないが、選択となると中々難しいものであり、結果的に定員確保が優先された。
当時から予想されていた、少子化に伴う定員割れと、大学存続の危機が、最近になっていよいよ現実のものとなってきた。そして、ニーズ志向ということで、美容関係の授業を行なう大学が報道されたのは驚いた。大学の専門学校化ではないか。
少子化の反面、教師は溢れていて、大学に残れない先生は、高等専門学校や労働省系の大学に職を求め、それでもなければ専門学校に行く方もいると聞く。大学の専門学校化も悲しいが、当時は意欲のない教員がかなりいたことを覚えている。真に大学全体が問われている時代になったのだと思う。
余談:私の勤務当時、学生確保のためにデザインの適正は重視されなかった。入学者がいなくなるからである(それでも定員の半数だった)。その中の一人の女学生と彼女の卒業後に会った。彼女は、カーナビで有名なAL社のデザイン課に入社することができたのだった。
「大丈夫?デザインできてるの」と、ジョーク気味にいう私に、CADがあるから大丈夫なんですよと、彼女は明るく答えた。そして、田舎で家具工房を開き、家具を作っているという私を不思議そうに見ながら、「私はハイテクをやっていますが、先生はローテクに向かったんですね」といい放ち、私は気弱に微笑んだのだった。
柴イヌをつれて
2007年01月21日
夕方は、念願だった柴犬を購入し、運動を兼ねた散歩に出かけている。それまでは、夕刻に散歩に行く習慣を持っていたわけではないが、柴犬を購入したので、(自分の中では)行かないわけにはいかなくなったのだ。
ところで、先日の夕刻、イヌの運動を兼ねた散歩の途中 ―
この二十年、自分は大して進歩のない人生を歩んできたのではないか。あるいは、多少なりとも進歩のある人生を送ってきたのであろうか。というような思いがふと気持ちの中に湧いた。
今現在、そう思ってその場に佇んだり、座り込んだりしてしまうほど深刻な問題を抱えているわけではないが、ふと、そのような思いが脳裏をかすめたので、ここでその事を取り上げると、いったい何を書こうとしているのか、改めて考えたりしている始末である。
生まれて間もない幼犬の、疑いを知らない、自然のままの仕草に感嘆し、その対極にある自分の姿を振り返ってみたということは間違いなくあるとは思うが・・。
世に影響を与えて来た方々だったら、内省的な思索に裏打された行動の積み上げというものがあるのだろうが、私の場合は、改めて振り返るほど、信念に満ちた行動の履歴があるわけもなく、それが自分でも情けないわけで、困ったものだなと思うのである。
所で、先に「進歩のない人生」と記したが、進歩のあった人生とは何かということになる。それは、経済的にも恵まれ、社会的にも認められるようになったという解釈ができるだろうし、また、詩人や純粋芸術を行なう画家や彫刻家のように、内なる声に耳を澄ませ、己の才能を以ってそれを具現化する努力を積み上げる方々の生き様のことであろうし、人々との直接的な関係の中で生き生きと人を育むような活動を重ねる人のことをいうのかもしれない。あるいは、そこまで具体的なものとして形にはならないのかもしれないけれども、鬱々としながらも何かを考え、可能性を秘めた若い世代の時間というものも個人的には加えたい。
ともあれ、意味のある人生を送ってきたのかというようなことを、柄にもなく考えたのだったが、シバイヌは首輪を食い込ませながらゼイゼイと荒い息使いで先へ先へと闇雲に進もうとするので、私はそれ以上のことを思う余裕はなかったのである。
ところで、先日の夕刻、イヌの運動を兼ねた散歩の途中 ―
この二十年、自分は大して進歩のない人生を歩んできたのではないか。あるいは、多少なりとも進歩のある人生を送ってきたのであろうか。というような思いがふと気持ちの中に湧いた。
今現在、そう思ってその場に佇んだり、座り込んだりしてしまうほど深刻な問題を抱えているわけではないが、ふと、そのような思いが脳裏をかすめたので、ここでその事を取り上げると、いったい何を書こうとしているのか、改めて考えたりしている始末である。
生まれて間もない幼犬の、疑いを知らない、自然のままの仕草に感嘆し、その対極にある自分の姿を振り返ってみたということは間違いなくあるとは思うが・・。
世に影響を与えて来た方々だったら、内省的な思索に裏打された行動の積み上げというものがあるのだろうが、私の場合は、改めて振り返るほど、信念に満ちた行動の履歴があるわけもなく、それが自分でも情けないわけで、困ったものだなと思うのである。
所で、先に「進歩のない人生」と記したが、進歩のあった人生とは何かということになる。それは、経済的にも恵まれ、社会的にも認められるようになったという解釈ができるだろうし、また、詩人や純粋芸術を行なう画家や彫刻家のように、内なる声に耳を澄ませ、己の才能を以ってそれを具現化する努力を積み上げる方々の生き様のことであろうし、人々との直接的な関係の中で生き生きと人を育むような活動を重ねる人のことをいうのかもしれない。あるいは、そこまで具体的なものとして形にはならないのかもしれないけれども、鬱々としながらも何かを考え、可能性を秘めた若い世代の時間というものも個人的には加えたい。
ともあれ、意味のある人生を送ってきたのかというようなことを、柄にもなく考えたのだったが、シバイヌは首輪を食い込ませながらゼイゼイと荒い息使いで先へ先へと闇雲に進もうとするので、私はそれ以上のことを思う余裕はなかったのである。
「外資系社員」の事件に思う
2007年01月15日
相変わらず凄まじい事件が続いている。おぞましくてタイトルに記したくない。
この事件の原因は夫の家庭内暴力だという報道がされている。鼻骨を骨折したDV(ドメスティックバイオレンス:家庭内暴力)に危機感を覚えたという妻の凶行に、多少の情状酌量感を覚える方もいるかもしれない。
この事件に関しては、事が重大なだけに、加害責任が大いに問われるだろうが、巷間よくある、夫の言われなきDVに戸惑い、畏怖し、困惑する妻の報道は、民放ではよく行なわれてきた。しかし、率直にいって、DVの根底には、夫婦の性生活における、妻のインセンシティビティ(感受性のなさ)も、原因の一つではないかと、私は考えている。
男はプライドに生きるという事実を、多くの、特に若い女性は気が付いていない。だから、男子が「事」に及んだ時に、「あんたぁ、何してんのぉ」などと迷惑そうに言われたら、私には明日はない。そこが、女性には判らない。
(私の温厚な友人は、その問題で、出勤前に上がり框から女房を土間に蹴ったことがある)
家庭を守ろうという気概や、仕事への意欲も崩れ落ちてしまうのである(個人差もあるが決して大袈裟ではない)。前提が否定されたように感じる事実を女性は理解しない。そして男は、その問題を、恥ずかしくて古くからの友人にさえ相談できず、ましては、女房に言えるはずもない。どうして?、などと聞かないで欲しい、我々のプライドがそんな些細(本当は深刻)なことを言わせないのである。その結果、酔って、傷つき屈曲した思いを爆発させたりする。
おそらく、女性は永遠(?)に理解できないであろう。
昔、夫の「蒸発」が問題になったことがある。多くの亭主が家庭を残して消えたのである。
ある報道番組で、残された女房が取材を受けて答えていた。「私にはまったく心当たりがないのです」。その映像を見ながら、夫婦間のデリケートな問題が根底にあるということを私は直感した。(概ね)気が強くてセンシティブではない女性には「心当たり」に気が付くことはないだろう。
敢えて思う部分を記した。一般性やバランスに欠けていてもいい。というのも、この問題で多くの男性や、亭主が傷つき悩み、かつ口外できない問題であることを知るからである。男はつらいのだ。
この事件の原因は夫の家庭内暴力だという報道がされている。鼻骨を骨折したDV(ドメスティックバイオレンス:家庭内暴力)に危機感を覚えたという妻の凶行に、多少の情状酌量感を覚える方もいるかもしれない。
この事件に関しては、事が重大なだけに、加害責任が大いに問われるだろうが、巷間よくある、夫の言われなきDVに戸惑い、畏怖し、困惑する妻の報道は、民放ではよく行なわれてきた。しかし、率直にいって、DVの根底には、夫婦の性生活における、妻のインセンシティビティ(感受性のなさ)も、原因の一つではないかと、私は考えている。
男はプライドに生きるという事実を、多くの、特に若い女性は気が付いていない。だから、男子が「事」に及んだ時に、「あんたぁ、何してんのぉ」などと迷惑そうに言われたら、私には明日はない。そこが、女性には判らない。
(私の温厚な友人は、その問題で、出勤前に上がり框から女房を土間に蹴ったことがある)
家庭を守ろうという気概や、仕事への意欲も崩れ落ちてしまうのである(個人差もあるが決して大袈裟ではない)。前提が否定されたように感じる事実を女性は理解しない。そして男は、その問題を、恥ずかしくて古くからの友人にさえ相談できず、ましては、女房に言えるはずもない。どうして?、などと聞かないで欲しい、我々のプライドがそんな些細(本当は深刻)なことを言わせないのである。その結果、酔って、傷つき屈曲した思いを爆発させたりする。
おそらく、女性は永遠(?)に理解できないであろう。
昔、夫の「蒸発」が問題になったことがある。多くの亭主が家庭を残して消えたのである。
ある報道番組で、残された女房が取材を受けて答えていた。「私にはまったく心当たりがないのです」。その映像を見ながら、夫婦間のデリケートな問題が根底にあるということを私は直感した。(概ね)気が強くてセンシティブではない女性には「心当たり」に気が付くことはないだろう。
敢えて思う部分を記した。一般性やバランスに欠けていてもいい。というのも、この問題で多くの男性や、亭主が傷つき悩み、かつ口外できない問題であることを知るからである。男はつらいのだ。
振り出し
2007年01月12日
家具(正確には木製家具制作)が好きでこの道に入った。
今では老眼も進み、身体もフレキシビリティの低下でイメージどおりの動きができないことが多い。
ラオスから帰った今、この先どの程度仕事ができるのだろうか。とりわけ、納得のいく仕事がどの程度できるかということを思う。
子供の頃から木工作が好きだったから、デザイナーよりも、自分の手で家具を作ることを目指した。しかし、生活もあり、理想とするものだけを作り、提案していくことは難しかった。
歳を取って身体パワーは低下してきているが、子供も育ち身軽になった今、その気になれば工房をスタートさせた頃の希望や目標にもう一度帰ることができる状況になってきている。
思い返せば、家具への ― いやこういった家具を作りたいという様々な熱い思いがあった。それは、マーケットで見られる家具デザインへのアンチテーゼであったり、無垢物への憧憬や、伝統的木工技術の家具への反映の方法であったり、北欧家具への驚嘆であったりした。
街のそちこちで見られる、安価な材料を用い、同じようなくすんだ色とウレタン塗装で仕上げられた没個性的な国産メーカー製家具と、ポピュラーではないが一部の専門店で見られる、あまりに違うモダン家具があり、それは、単に家具デザインだけを見ていたのでは理解できない、真に室内の生活を楽しむという姿勢や様式をベースにしなければ決して生まれてこない製品であった。
(安賃貸、良くて6畳2間に暮らしながら、タタミマットには寝ない人々の家具文化に憧れるという自家撞着を顧みずもせずに・・)
ともあれ、私は生活の場で、素敵な家具を始め、自らが納得したインテリアや台所プロダクトをできる範囲で使っていきたいと思っていた一人であり、室内の壁を白く塗り替え、柱にはボイル油を塗ってコントラストをつけ、イサムノグチのアカリを下げたりということは引越しのたびに行なってはいたのだが・・。
それから20年以上経ち、家具やインテリアに対する認識も多少は違ってはいると思うが、今は、家具に足を踏み入れた頃の思いを把持し、提案していきたいと改めて思う。そうでなければ、この道を選択した意味がないし、全てを白紙に戻してリスタートする(位の)思いでは居るのだが。
(新年に思う)
今では老眼も進み、身体もフレキシビリティの低下でイメージどおりの動きができないことが多い。
ラオスから帰った今、この先どの程度仕事ができるのだろうか。とりわけ、納得のいく仕事がどの程度できるかということを思う。
子供の頃から木工作が好きだったから、デザイナーよりも、自分の手で家具を作ることを目指した。しかし、生活もあり、理想とするものだけを作り、提案していくことは難しかった。
歳を取って身体パワーは低下してきているが、子供も育ち身軽になった今、その気になれば工房をスタートさせた頃の希望や目標にもう一度帰ることができる状況になってきている。
思い返せば、家具への ― いやこういった家具を作りたいという様々な熱い思いがあった。それは、マーケットで見られる家具デザインへのアンチテーゼであったり、無垢物への憧憬や、伝統的木工技術の家具への反映の方法であったり、北欧家具への驚嘆であったりした。
街のそちこちで見られる、安価な材料を用い、同じようなくすんだ色とウレタン塗装で仕上げられた没個性的な国産メーカー製家具と、ポピュラーではないが一部の専門店で見られる、あまりに違うモダン家具があり、それは、単に家具デザインだけを見ていたのでは理解できない、真に室内の生活を楽しむという姿勢や様式をベースにしなければ決して生まれてこない製品であった。
(安賃貸、良くて6畳2間に暮らしながら、タタミマットには寝ない人々の家具文化に憧れるという自家撞着を顧みずもせずに・・)
ともあれ、私は生活の場で、素敵な家具を始め、自らが納得したインテリアや台所プロダクトをできる範囲で使っていきたいと思っていた一人であり、室内の壁を白く塗り替え、柱にはボイル油を塗ってコントラストをつけ、イサムノグチのアカリを下げたりということは引越しのたびに行なってはいたのだが・・。
それから20年以上経ち、家具やインテリアに対する認識も多少は違ってはいると思うが、今は、家具に足を踏み入れた頃の思いを把持し、提案していきたいと改めて思う。そうでなければ、この道を選択した意味がないし、全てを白紙に戻してリスタートする(位の)思いでは居るのだが。
(新年に思う)