2007年03月
  1. 2007年03月31日: 饒舌なモノたち 1 (2)
  2. 2007年03月25日: 快適環境 5(暖房・高気密) (2)
  3. 2007年03月21日: 柴犬を飼う1 (0)
  4. 2007年03月11日: ゆうパックに注意 (8)
  5. 2007年03月08日: 春は来た (0)
  6. 2007年03月04日: 現代不思議敬語謙譲語表現 (1)
  7. 2007年03月01日: 快適環境 4(薪ストーブ) (2)

饒舌なモノたち 1

2007年03月31日

アウディのシニアデザイナー、和田智 氏(45)はミュンヘンに在住する同社唯一の日本人デザイナーである。新型スポーティ多目的車「Q7」は彼の仕事であり、移籍して驚いたのは、デザインにかける時間の長さだった。最初に任されたセダン「A6」の全面改良はデザイン決定まで約3年半をかけた。

独BMWで5シリーズなどのデザインを手がけた永島譲二氏も著書で「(欧州車の)デザイナーは長持ちするデザインを目指す」と述べる。

これに対し、「デザインに時間をかければその間に環境が変わるリスクがある」(マツダの小泉巌チーフデザイナー)、「開発期間が短い方がエネルギーを集中できる」(日産の中村史郎常務執行役員)と、日本のメーカー関係者は反論する。
(以上、「高級欧州車、デザインは日本人 アウディ・BMWで」「asahi.com」2007年1月14日を参照の上、アレンジして掲載しました)

欧州車の肩を持つわけではない。

開発期間が短く、時勢に乗った(それこそ、環境が変わるリスクを犯さないうちに)、斬新なスタイルの新型車を投入し、販売数を伸ばすことができれば、メーカーや販売店の全ての関係者とその家族は満足し、格好のいい新型車を目にすれば消費者も胸躍らせ、購入のため労働意欲も高まり、企業業績も上がる。何か不満な点があるや。

開発期間を短くし、矢継ぎ早に新型車を投入すると新車効果の期間は短くなり、目先を変えた様々なタイプの車種を開発せざるを得なくなる。
ちょっとリッチな30代カップル向けプレムアムコンパクト、街乗りを意識したアーバンリクレーションビークル等々。等々。
このような問題点はあるが、某社チーフデザイナー氏や執行役員氏に、路線の見直しなどあるはずも無い(いや、個人的に疑問があっても変えることは容易ではない)。

所で、欧州メーカーやデザイナーがデザインに時間をかけ、長持ちするデザインを目指した所で、消費者は本当にそれを望んでいるのだろうか。仮に、長持ちするデザインを行なうという目標を製品に反映できたとして、地球への負荷の低減の他、何かメリットがあるのだろうか。世の中は変わるのだろうか。

ラオスでは中国製電動スクーターが販売を伸ばしていた。カブ型バイクよりも安いからであるが、作りは極めてチャチですぐに壊れそうである。リアブレーキは自転車用の流用(!)等々。ただし、車体各部を覆うプラスチック製のカバー類は機能に関係なく大きく派手でカラフル。大きく派手に見せる以外、意味のないデザイン。
自作パソコンコーナーで見られる、玩具のようなPCケースに近いイメージといえば理解しやすいか。

この中国製電動スクーターは、欧州車の「長持ちするデザイン」の対極にあるものとして鮮やかに甦る。

いうまでも無いが、PCケースや電動バイクなどの中国製品と同軸上に国産車のカーデザイン(カースタイリング)があるということに異論を必要としないことは、前述のasahi.comの記事で専門家が述べていることでも判る。

「長持ちするデザイン」は、やはり時間をかけなければ生まれない・・。

快適環境 5(暖房・高気密)

2007年03月25日

住いの快適環境を実現するには、高気密、高断熱にすべきであるとは最近のトレンド?。簡単に言えば、住宅の魔法瓶化である。

空気の出入りを禁止し、十分な断熱対策を施すことにより、少ないエネルギーで住い全体を暖かく保つ。米、カナダから入ってきた概念だという。
ただし、高気密にすると空気の出入りを絶つことになるため、室内の空気が汚れるのはもとより、トイレや台所の換気扇が効かない(空気が入ってこないからファンで排出できない)。友人は、薪ストーブが燃えにくくなると言った。
そこで、24時間モーターで強制換気させたりしている。バカバカしいようだが、しょうがないのかな、とも思う。

私は東北に4年いたが、冬の長い寒冷地では、燃料もかさむし、古い作りの民家では、室内が実に寒い。強制換気をしながら高気密にし、家全体を断熱材で包んで快適さを得る方法を採っても、それが最良な解決法ではないにせよ理解はできる。

住いの快適環境化に伴う、もう一方の問題は結露である。東北では、洗濯物は屋外ではなかなか乾かないので、通常室内で乾かす。炊飯、灯油ストーブからの水分も多い。押入れや屋根裏の結露は凄まじかった。

当然、壁の中の防水紙から内側に結露が発生し、ローン返済終了よりも先に家が持たないなどといわれたりする。

この対策とし、基本的には水分を出さないのが最良ではあるが、外断熱といって家全体の最外部を断熱材で覆う方法や、壁の中の空気を循環させたりする。
水分を多量に発生する灯油ストーブを止めてセントラルヒーティングにする。洗濯物はサンルームや除湿機を使って乾かす。飯を炊かない(あるいは外で炊く?!)。などという対策なども考えられる(?)。

高気密にすれば、水分は一層閉じ込められることになるので、ベンチレーションが必要ということは理解できる。しかし、そうなると高気密でもなんでもないじゃないかということにもなる。
何れにせよ、快適環境の確保には多くののエネルギーが必要なんだと思う。この問題に大して詳しくない私は、よりよい解決方法はどこにあるのだろうと思う。

昔の住宅は、徹底して水周りを住宅本体から遠ざけた。風呂や厠は別棟。井戸も外。炊事場は土間にあって、床下はオープンで風が抜けるようにしてあり、土壁だから、室内や躯体に湿気がこもる部分が無く、建物の長寿命は保証される。
ただし、電力の来ていない時代の冬の寒さは想像に難くない。昔の日本人はよく耐えたと思う・・。

柴犬を飼う1

2007年03月21日

永年の夢だった柴犬を飼(買)った。現在6ヵ月。
個人的に、基本的に毛足の長いイヌは好みではないこと。特にコロコロとした顔立ちの日本犬が好きだからである(要は好みの問題であるから仕方がない。盲導犬の物語で有名なラブラドール レトリーバーもいいと思うが、私には少し大きい(こんかことをいくら書いても所詮言い訳。ただし、私の幼児期の体験から来る、日本犬好みの影響はあると思う・・))。

過去2度、犬の躾では失敗しているので、今回は躾の本まで購入し、読みながら育てた。
飼い犬との関係が悪いと飼う意味がないどころか、居て欲しくないと思う。しかもそれが10年前後続くのであるから深刻な問題である。そういうわけで、今回はどうしても躾で失敗したくなかったのである。

様々な問題があるが、現在までの結論で言えば、犬を躾けるとは、飼い主が試され、成長するということだった。

今回、偶然購入した躾けの本は、様々な団体の訓練士としての資格を持つ藤井聡氏の著作によるもので、判っている方には普通のことかもしれないが、躾け素人の私にとっては目からウロコものであった。

訓練士だけのことはあり、本の印象としては訓練を施すという感じがないでもないが、それこそが基本であるのかもしれない。とまれ、大いに参考になった。
躾で大切な事は、私の理解では、飼い主がちきんとボスになること。決して手を出しては(叩いては)いけないということだった。声を出してガミガミ叱ることもいけない。

これが簡単なようで、実行するのはかなり難しい。躾とは耐えることだということを実感した。
この本を読んで犬育てを体験した後、子育てをしたなら、もう少しまともな、子供を活かす育て方ができたのかもしれないと真剣に思っている。すまん。

ゆうパックに注意

2007年03月11日

最近、ゆうパックを使ってトラぶった。
トラブルはしようがない。ただ、事後の対処が問題なのだ。

今回のトラブルは、到着後、機器が作動しなかった。勿論、発送前は問題なかった。原因は輸送中のトラブルにあると考えられた。

以前(10数年前)クロネコを使った時に、品物が輸送中のトラブルで破損した。当地の営業所長は、平身低頭、菓子折りを持って謝罪に来た。勿論、全額保障してくれた。
ところが、郵便局の対応には驚いた。
保障の内部査定基準が、パッケージの破損の度合いで判断するというものなのである。今回、パッケージの著しい破損は無かったので、私は著しい破損は無い旨、郵便局に問われるままに答えた。結果は、保障対象外ということだった。パッケージに破損がないという理由からである。

当地の郵便局の説明によると、保障の判断は、パッケージの破損具合と、所長判断によるというものだった。
(配達後、当事者の過失などによって生じた故障に対する過剰請求を疑わた可能性は否定できないと感じた。勿論そんな事実はないが、無実の証明は難しいと思えた・・しかし(それにしても)・・が、実感)

消費者擁護が声高に叫ばれている現在(いや、叫ばれていなくても)、そのような結果に承服できず、郵便局の相談窓口に電話し、保障制度を再度確認した。

説明は同様だった。
およそ30年前後前、ヤマト運輸が宅配サービスを始めて間もない頃、雑誌「暮らしの手帳」が、まったく同じ内容の小包を、郵便と宅配業者を使って同時に送るテストを行なった。
郵便局は、送料が高く、輸送時間は長く、しかもパッケージにはかなりの破損があったのである。
記憶している方もいると思うが、当時の郵便小包の扱いはひどかった。私も、局で見たことがあるが、手当たり次第放り投げているという印象である。傷むのが当たり前であった。

今回、保障に関し、その当時からの基準が見直されていないまま今日に至っている事を実感した。

対応した相談窓口のH氏は、判断基準は見直されていないと述べた。そして、「壊れるなら、包装も通常、傷んでいるはずでしょう」ともいった。
角から落下した場合、角が潰れることはあるが、ほぼ水平に落とされた場合、通常、包装は大して傷まないのではないだろうか。
今回、機器の内部から、カラカラという音がしている。それでも、保障の範囲外であった。

私はH氏に、「あなたも、郵政省職員という職務があるが、同時に消費者でもある。コンピューターのような精密機器は包装が傷んでいなくても落下で壊れることもある。それでも、保障ができないなら、消費者としてゆうパックは使えないということになりますね」と問うた。彼は、「個人的にはそうなります」と答えたのだ。

私は、誠意の感じられないH氏と、これ以上話す時間の無駄を悟った。郵便局の制度や意識は基本的に30年前と変わらない。個人的には、郵政民営化には反対だったが、少なくても宅配業務は、民間の競争原理の元で再度鍛え直されるべきだろう。

私は怖くて、ゆうパックの今後の利用を躊躇している(特に精密機器)。
そして、この文章の間違い、私の認識不足に対する郵便局員(及び第3者)からの指摘を期待している。郵政省も宣伝し、ポピュラーになったこの制度の利用者への保障がこんな程度とは、いまだに納得できていないからである。

春は来た

2007年03月08日

暖冬でふきのとうが早い。山菜のトップバッターで、この爽やかな風味は春の実感。
昨年暮れからの我家の同居犬を連れての散歩がてら、今年は沢山採ることができた。山の暮らしの中で、一番心地良い季節の始まりの最初の訪問者である。

山道を歩くと気が付くのが、道の谷側に不法投棄されている多くの廃品、ガラクタ。
処分が無料の時代から、地元の方しか入って行かないような農道脇には、ガラクタの投棄が行なわれてきたから、リサイクルに費用が掛かるようになって不法投棄の量が増えるのは当然。

村起こしに伴い、自然の良さを売り物にする田舎が優先的に行なう事は、不法投棄への罰則強化や環境美化、町民への啓蒙だと思うが、そんなことはなおざりで、建築家のマスターベーションに過ぎない下品で未消化な建物の全国的な建設ブームが過ぎ、差異化のつもりの村おこしが行なわれた結果、自然との調和とは程遠い様々な建物が増えただけで元の木阿弥。
自然への配慮など、どこ吹く風。モラルの低さは相変わらず。

今後、地上デジタル放送に伴い、現在使用されている大量のテレビジョンセットの処分がスムースにいくかという点での不安が指摘されていたが、更なる不法な投棄を憂う。

春の、しみじみとした到来の喜びを、散策で目にするガラクタ、沢山の投げ捨てられた空き缶が吹き飛ばす。

現代不思議敬語謙譲語表現

2007年03月04日

最近の敬語や謙譲語の使い方はおかしいという指摘はよく聞く。先日も「クローズアップ現在」で、このテーマが取り上げられていた。

変だなと思う表現も多いし、かなり慣れて、何とも思わなくなってきた表現も多い。おかしいという指摘にある、変な丁寧表現の基本にあるものは、物事をはっきり表現せず、曖昧さを含ませることによって関係を荒立てないという、実に日本的な人間関係の在り様から発生してきた側面を否定できない。

敬語謙譲語の使い方はおかしいという批判が出始めたのは、それが現代日本の不器用で希薄な人との関わりを象徴するようでもある。切磋琢磨に慣れていない危うい関係とでもいえようか?
ちなみに中国系の交渉は、互いにとことん主張し合う。そして、落とし所を得る(互いのメリット、主張を確認し合う)。後腐れはない。関係は壊れない。非常にドライである。
日本では、婉曲丁寧はまかり通るが、本音で言い合わない(いや、本音を回避する)。気まずい関係になると修復が難しい。ある面で、ウェッティで面倒だと、思う。

同様に、日本の特徴的な生活行動が曖昧無意味な笑顔である。「クローズアップ現在」でも、このテーマを扱う女性キャスターが、現在敬語表現のあり方を分析してみせる、ゲストの井上ひさし氏に対し、ときおり見せた曖昧な笑いが、いかにも象徴的だった。
この日本人の曖昧笑顔の慣習が消えない限り、現在不思議敬語謙譲語表現が矯正されることは難しいだろうと思った。

所で、空港のセキュリティチェックで、手荷物にクレームが付いたとき、女性担当官から、「手荷物の中身を拝見させて頂いて宜しいでしょうか」と、聞かれた経験をお持ちの方は多いのではないかと思う。
勿論、拒否を想定していない、強制を伴う婉曲表現であることは、速やかに理解できる。ならば、返答を必要とする聞き方をしないで欲しいと思うのは私だけだろうか。

この場合、答えたくなくても速やかに答えなくてはならない、いや、何らかのリアクションを起こさなくてはならないということは状況から一目である。かといって、偉そうに「よし」というような態度では失礼かなと思う。そうなると、曖昧な「はい」、あるいは、あまり素直にはなれないけど「いいけど・・」的なリアクションになるのではないか(私だけ?)。
搭乗まで時間のない時に、余計な気遣いで疲れるのである。拒否はできないのだから(拒否はできても搭乗は難しいことになる)、最初からシンプルに、「失礼ですが、中身を拝見させて頂きます」で、充分だろうと思う。

また、最近書店で雑誌を購入した折、袋はいらないという私に、レジの女性は、「間違われると困りますので、シールをお貼りしても宜しいでしょうか」と聞く。前例と同様である。気にしなくていいから、返答しないでいい表現をしてもらいたいと思う。

丁寧さの困った拡大解釈ではないか。疲れるのである(私だけ?)。

快適環境 4(薪ストーブ)

2007年03月01日

前回書いた、ある方のお勧めの暖房方式は放熱器としてラジエターを使うセントラルヒーティングシステムであり、その方が同じ評価を与え、使ってみたい暖房方式に薪ストーブを挙げておられた(サイト名等は失念。現在ラジエター式セントラルヒーティングシステムを使用していた)。

私も工房では薪ストーブを使っている一人である。視覚的に暖かなイメージを持つ薪ストーブの良さは理解できるし、実際暖い。

しかし今は、自宅では薪ストーブを使いたくはなくなってしまった。薪の確保を始め、私にとっては問題が多いのである。
田舎暮らしは私の若い頃からの理想であり、当然薪ストーブや、薪割りは田舎暮らしの象徴的なシーンとしてイメージしてきた。所が、薪の確保には想像以上のエネルギーが必要であることが判ったのである。

此処は杉の産地であり、間引きしなければならない杉は沢山ある。それを薪として使う場合、切り倒した杉をストーブに合った長さに玉切りし、それを割って積み上げ、乾燥させなくてはならない。そのためには、チェーンソーが必要であるし、使い方にも慣れなければならない。薪割りは、健康のための運動として都合がいいといっていられるのは若いうちか、最初の2、3年だけだ(私の場合)。

首尾よく乾燥させられたにせよ、杉材は燃えてしまう時間が短く、始終くべなくてはならないから結構厄介なのである。ましてや、間伐してくれればタダでもらえると言われても、立ち木を切り倒して膨大な枝を処理して運び出すのは素人にはまったく手に負えない危険な作業である。だから、ログハウス加工場かプレカット工場へいって端材を確保したり、製材所で切り落とした最外部を調達し(これは燃えるのが早くて使えない)、必要な長さに切断して、乾燥させる。

薪割りに用いる斧のメンテナンスにも、意外に時間を取られる。十分に乾燥させた柄をしっかりと取り付けないとすぐにぐらぐらになって使えないし抜ける危険がある。
とうとう私は、鉄パイプを柄として溶接してもらって使っている。

薪割りから開放される解決法は、製材所から出るオガ屑を利用する、オガ屑ストーブである。この地方でも、製材所などでは昔から使われてきたもので、通常、町の鉄工所に頼んで作ってもらう。
オガ屑のタンクがストーブから垂直に立ち、タンク下部のオガ屑が燃えて、次々と落ちる(よく上へ燃えて行かないものだと思う)。
問題は、オガ屑が燃える下側に鋳物でできた円錐状の受け(ベーゴマを逆さにしたような形状)があるのだが、これが熱で傷み、近くの製材所では毎年交換しなければならず、価格は数年前の話で1万円程度だという。

次に灰の始末。さらに煙突がすす(煤)で詰まるという問題がある。
煙突が詰まるのは原因として、第1に、煙突の引きが悪いことが考えられる(煙道の水平距離に対して充分な垂直距離が確保されているか)。第2に、途中で煙突が冷えて排煙が上昇しにくくなり、ススとして付着する。第3として薪の乾燥が不十分だという点がある。

煙突の掃除は厄介であり、灰や詰まった煙突掃除で発生する煤は軽くて室内を汚しやすいというのも問題ではある。

外断熱にした高気密高断熱住宅(注1)が最近の流れのようである。そういったモダン住宅に住む方の中にも薪ストーブに憧れる方がいる。その場合、一酸化炭素中毒の危険性に対する配慮も大切になってくるのではないかと思う。

近くに、リタイヤして温泉付き分譲地を購入し、住み始めた方がいる。念願の田舎暮らしだったのだが、薪ストーブの薪の確保は頭の痛い問題であるという。

注1:燃焼系暖房器具は使用してはいけない等の条件もあるらしいが、私自身、最近の住宅事情のことはよく分らないので断定的なことは言えないことを了承されたし。