2007年09月
刈払機 2
2007年09月28日
書き忘れていたこと。
こういう機会だから、キャブレターのオーバーホールを行い、各ジェット類の洗浄もしておくべきだと思ったが、時間がなかったために止めた。
古い機械のため、キャブをばらすとパッキン類やダイヤフラムが傷んで交換しなければならない可能性が高く、純正パーツが届くには期間がかかるからである。そのために、キャブ外部の洗浄、アクセルワイヤーの調整に留めた。アイドル等は問題ないために、調整はしていない。
また、遠心クラッチも磨り減っている感じがしていたので、チェックしたいところだったが、同様の理由で次回に持ち越し。他は、シャフト先端部のギヤボックスのグリスアップを行った。
後は、使いながら様子をみることにした。
エンジンを用いる機器は定期的なメンテナンスの大切さを改めて実感した。ただし、面倒でついつい使いっぱなしになるのだが・・。
こういう機会だから、キャブレターのオーバーホールを行い、各ジェット類の洗浄もしておくべきだと思ったが、時間がなかったために止めた。
古い機械のため、キャブをばらすとパッキン類やダイヤフラムが傷んで交換しなければならない可能性が高く、純正パーツが届くには期間がかかるからである。そのために、キャブ外部の洗浄、アクセルワイヤーの調整に留めた。アイドル等は問題ないために、調整はしていない。
また、遠心クラッチも磨り減っている感じがしていたので、チェックしたいところだったが、同様の理由で次回に持ち越し。他は、シャフト先端部のギヤボックスのグリスアップを行った。
後は、使いながら様子をみることにした。
エンジンを用いる機器は定期的なメンテナンスの大切さを改めて実感した。ただし、面倒でついつい使いっぱなしになるのだが・・。
刈払機
2007年09月25日
チェーンソーが逝き、続いて刈払機が動かなくなった。嫁さんが、「使っているうちに突然止まって、スターターレバーが引っ張れなくなった」と言ってきた。それって「焼付だろう。間違いなく」と、思った。面倒なことになった。
焼付だとシリンダーを外さなくてはならない。しかも、何年もメンテナンスをしたことがないから、キャブレターやエンジン周りはオイルでベトベトになっている。修理の前にある程度はきれいにしなければならない。その作業も汚れるから結構大変なのだ。
そして、もう一つの問題は、刈払機に使われているボルトのほとんどがトルクスという点である。これは特殊なボルトのため、レンチの入手が難しいのである。
メンテナンスは工房内で行いたいのだが、オイルなどで汚れるため、現在行っている木工の仕事が一段落するまではしたくない。
嫁さんは敷地内の草刈担当で、それを生きがいとしているから、木工の仕事を差し置いても修理せよというが、渋々、仕事が一段落するまで、草が伸びるのを心配しながら待った。
トルクス用レンチの購入には時間がかかる。そこで、トルクス穴よりも少し大きめの六角穴付ボルト用レンチの各面に、グラインダーの角で溝を付けた。これでトルクス穴に入るのではないかと思ったのだ。
案の定入った。応急用としては充分使えた。サイレンサーの錆びて固いボルトまで、この仮レンチで外れたのだ。
心配していたとおり、キャブレターを外すときに、パッキンがちぎれた。ピストンとシリンダーはくっついていて外れないので、プラグ穴から丸棒を入れ、ピストンの頭を叩いて、無理やりピストンを外した。ピストンリングもカーボンでピストンの溝にくっついていた。
部品はあるという話だったから、農機具屋に出向いたのだが、入手できたのは汎用フューエルフィスターだけだった(よくあること。アジア的鷹揚さで目くじらをたてない)。
ピストンはペーパーで擦って使えという。パッキンは汎用のパッキン紙を同じ大きさに切って使用。液体シールもないので、普通のシリコンシーリングで代用(これもお店のアドバイス。十分使えるのだという)。
イメージ通りの調達状況だったが、無事に組むことができた。本体のボルト2本がなくなっていた!ので補充し、各部の洗浄とネジを増締めした。
宵闇がせまる納屋で無事に刈払機のエンジン音が鳴り響いたのである。
余談1:「25:1」と大きく表示された2スト用オイル缶を買ったきた。ところが、よく見ると、混合済みの2スト燃料だったのである(そんな商品があるなんて・・)。嫁さんはこれをオイルと思い、25:1として使ったのである。これが焼き付きの原因。
余談2:この際だから、多少なりとも環境に優しい背負い式の4ストロークエンジン仕様の刈払機を購入したい所だったが、予算がないために断念。
将来は、バッテリーを背負うタイプで、シャフトに組み込まれたモーター駆動の刈払機も登場するかもしれない。いや、登場してもらいたいものである。
余談3:ほとんどの部品を調達することができなかったが、同じ農機具屋に中古のチェーンソーがあった。下取り品で、通常は整備して販売しているが、現状渡し、5千円だったので思わず購入した。以前のチェーンソーよりも強力でまとも。圧縮もある。アイドルも安定しているし、吹けも良い。
簡単な整備と清掃を行い、チェーンの研磨を行った。キャブレターとシリンダーを繋ぐインシュレーターは2本のネジで本体に止められているのだが、このネジが1本なくて他の1本は緩んでいた。やはり、チェックは必要である。
意味
2007年09月18日
暫く前、BSでタレントの清水国明と女性ライダーが北海道を1週間程度ツーリングする番組を放映していた。
申し訳ないが、清水にはまったく期待していなかったのだが(見かけだけで人を判断する悪い癖。失礼)、番組後半で、彼は「こんなことは時間の無駄だなあ」という感想を漏らすのだ。バイクに長時間乗ることの意味を見出さないでいるということが伝わってきて共感を持った。
私も、オートバイは好きなのだが、長距離ツーリングは苦手。ただし、たまに乗るバイクの開放感、風を切る爽快感、ダイレクトな操作感は実に楽しいが、長時間となるとちょっと辛い。同じ乗車姿勢からくる苦痛、拘束感に耐えられないのだ。
爽快感と操作感を楽しむためにツーリングに出かけ、何時間もバイクに跨ると、それが苦行に思えてくる。もう少し生産的な別のことをしたほうが良いのじゃないかとさえ考える。清水も同様なのか?と思ったのだった。
ましてや、あるバイクが実にカッコよくて所有した場合。主たる目的は、そのバイクの所有で使用は二の次の場合がある。この場合、バイクの機能を生かさなければ所有の意味もないからツーリングに出かける。それが辛い。長時間の拘束と合わせて2重に辛い。
だから所有自体に意味がないといえるのだが、かっこよさや操作フィーリングが忘れられずに取りあえず所有する。本末転倒。
所が最近、125CC(HONDA TL125)に変えてから所有の意味が出てきた。ガソリンの高騰と燃費の良さである。リッター約35km。だから、近所や町までの用事にはこれを使う。町までは10〜15分でいくから私にはちょうど良いツーリングなのだ。拘束感や苦痛を感じることなく爽快感だけを楽しめ、バイクに乗る意味に疑問を抱く必要もない。何より、保険や税金が安いから、連れ合いが目くじらを立てないこともいい。
余談:嫁さんも乗れることが125を選んだ理由だったが、汚いからといって乗らない。レストアの時間がなかなか取れないので未だにそのまま使っている。嫁さんも簡単に乗ることができ、2人乗りが可能な、カブの90ccのほうが良かったかなと思ったりする。
申し訳ないが、清水にはまったく期待していなかったのだが(見かけだけで人を判断する悪い癖。失礼)、番組後半で、彼は「こんなことは時間の無駄だなあ」という感想を漏らすのだ。バイクに長時間乗ることの意味を見出さないでいるということが伝わってきて共感を持った。
私も、オートバイは好きなのだが、長距離ツーリングは苦手。ただし、たまに乗るバイクの開放感、風を切る爽快感、ダイレクトな操作感は実に楽しいが、長時間となるとちょっと辛い。同じ乗車姿勢からくる苦痛、拘束感に耐えられないのだ。
爽快感と操作感を楽しむためにツーリングに出かけ、何時間もバイクに跨ると、それが苦行に思えてくる。もう少し生産的な別のことをしたほうが良いのじゃないかとさえ考える。清水も同様なのか?と思ったのだった。
ましてや、あるバイクが実にカッコよくて所有した場合。主たる目的は、そのバイクの所有で使用は二の次の場合がある。この場合、バイクの機能を生かさなければ所有の意味もないからツーリングに出かける。それが辛い。長時間の拘束と合わせて2重に辛い。
だから所有自体に意味がないといえるのだが、かっこよさや操作フィーリングが忘れられずに取りあえず所有する。本末転倒。
所が最近、125CC(HONDA TL125)に変えてから所有の意味が出てきた。ガソリンの高騰と燃費の良さである。リッター約35km。だから、近所や町までの用事にはこれを使う。町までは10〜15分でいくから私にはちょうど良いツーリングなのだ。拘束感や苦痛を感じることなく爽快感だけを楽しめ、バイクに乗る意味に疑問を抱く必要もない。何より、保険や税金が安いから、連れ合いが目くじらを立てないこともいい。
余談:嫁さんも乗れることが125を選んだ理由だったが、汚いからといって乗らない。レストアの時間がなかなか取れないので未だにそのまま使っている。嫁さんも簡単に乗ることができ、2人乗りが可能な、カブの90ccのほうが良かったかなと思ったりする。
饒舌なモノたち 2
2007年09月16日
では何故、欧州メーカーやデザイナーがデザインに時間をかけ、長持ちするデザインを好むのか?
そしてそれは、自動車がコモビティになってしまったと断言してもいい今、意味を持つのか?
一つには、ヨーロッパの人々が、モノを長く大切に使うという習慣が、前提として、壊れないメカニズムと同様、飽きの来ない意匠を要求するということがあるのではないか。
また、新しさの中に存在する普遍。或いは、普遍的なるものへの新たな解釈―。
長持ちのするデザインにはこのような、自然(普遍)に対する人間の解釈が存在するのではないかと思う。それは、ある種、純粋芸術への憧憬にも似た思いのような気がする。大袈裟に言うと、「自然(ネイチャー)」として提示されている、秩序への人としての共感、恭順、憧憬であり、安らぎである。そして、それは飽きの来ないスタンダードなものに内包される一つの要素であり、彼らが評価する所なのかもしれない。
オートモビールのような立体造形物のフォルムに、今日のような過激な移り変わりの激しい消費世界で、普遍を持ち込むのは容易ではない。
そのような普遍的な解釈を具現化すること、インスピレーションやインスパイヤーのようなものが人間の意識の中で醸成するまでには、一定の時間を必要とし、往々にして現代の、特に前項に見る日本企業のようなスタンスの中で具現化することはかなり難しく、メチエとして今日的な流行を取り入れたほうがイージーな解決方法であることは、多くの職業デザイナーが理解しているし、また、心を奪われている。
その結果、豊饒なフォルムの代わりに単なるフィギアに惑溺していくこととなる。それは、立体ではあるが、明らかに平面上に描かれたフィギア以上の創造性を有してはいない。単に綺麗に描かれているだけだ。ルームミラーに迫ってくる多くの新型車を見るたびにそう思う。
そこには、多くの場合、立体としての新たな解釈に欠けたフォルムが写っている。恐らく10年後には、視界に入れたくないガラクタと同様・・(つづく)。
そしてそれは、自動車がコモビティになってしまったと断言してもいい今、意味を持つのか?
一つには、ヨーロッパの人々が、モノを長く大切に使うという習慣が、前提として、壊れないメカニズムと同様、飽きの来ない意匠を要求するということがあるのではないか。
また、新しさの中に存在する普遍。或いは、普遍的なるものへの新たな解釈―。
長持ちのするデザインにはこのような、自然(普遍)に対する人間の解釈が存在するのではないかと思う。それは、ある種、純粋芸術への憧憬にも似た思いのような気がする。大袈裟に言うと、「自然(ネイチャー)」として提示されている、秩序への人としての共感、恭順、憧憬であり、安らぎである。そして、それは飽きの来ないスタンダードなものに内包される一つの要素であり、彼らが評価する所なのかもしれない。
オートモビールのような立体造形物のフォルムに、今日のような過激な移り変わりの激しい消費世界で、普遍を持ち込むのは容易ではない。
そのような普遍的な解釈を具現化すること、インスピレーションやインスパイヤーのようなものが人間の意識の中で醸成するまでには、一定の時間を必要とし、往々にして現代の、特に前項に見る日本企業のようなスタンスの中で具現化することはかなり難しく、メチエとして今日的な流行を取り入れたほうがイージーな解決方法であることは、多くの職業デザイナーが理解しているし、また、心を奪われている。
その結果、豊饒なフォルムの代わりに単なるフィギアに惑溺していくこととなる。それは、立体ではあるが、明らかに平面上に描かれたフィギア以上の創造性を有してはいない。単に綺麗に描かれているだけだ。ルームミラーに迫ってくる多くの新型車を見るたびにそう思う。
そこには、多くの場合、立体としての新たな解釈に欠けたフォルムが写っている。恐らく10年後には、視界に入れたくないガラクタと同様・・(つづく)。
モノ作りの孤独
2007年09月07日
改めて思う。モノ作りの孤独を。
モノを作るということ。いつも同じ作業の繰り返しを行うこと。日々、同じ内容を積み重ねていくということ。
これは大変なことであるということを改めて思う。ここで言うまでも無いが、積み上げた経験の厚みというものが、人に感動を与えることに繋がる、と思っている。
日々の単調な繰り返しの作業が、技術を、業を研ぎ上げる。しかし、単なる繰り返しではない。そこには、微かな創意や工夫や改善が織り込まれ、無自覚に腕や、身体にフォームを刻印し、確かな加工や立体描写を可能にする。
しかし、様々な悩みや葛藤に悩み、疑問を払拭できない日々が続く場合もある。
そんな時には、何も考えず、取りあえず昨日と同じことをする。昨日の続きを行うこと。倦まずたゆまず、ボチボチでもいいから、昨日の続きをやる。
焦らなくても良い。ゆっくりで良い。歩を緩めないこと。手を動かすこと。これ以外に技術の、また、選択されたその職業から得られる人間としての向上はないように思う。
ただし、これだけではいけないように思う。
戦後、清里で日本の青年を指導(?)した、ポール ラッシュは、彼らに、健康であること、宗教を持つこと、そして、「Must be first」といった。私は、これを「一流を目指せ」と解釈している。そしてそのことを、単調な日々の積み重ねという孤独な作業の中で、品物に込める倫理観と同様、把持し続けることが重要だと思っている。
2流や3流を是とする意識では、時に気持ちが切れる。孤独な作業の中で気持ちが切れるとクォリティの保障できず、新しい試みへの勇気も萎えるのである。
これでは、日々の単調な仕事の積み上げが、多少虚しいものになると私は考えるし、この仕事を選んだ意味がないと思うのである。
しかしながら、いつもめげそうになる気持ちを繋いでいる・・。
モノを作るということ。いつも同じ作業の繰り返しを行うこと。日々、同じ内容を積み重ねていくということ。
これは大変なことであるということを改めて思う。ここで言うまでも無いが、積み上げた経験の厚みというものが、人に感動を与えることに繋がる、と思っている。
日々の単調な繰り返しの作業が、技術を、業を研ぎ上げる。しかし、単なる繰り返しではない。そこには、微かな創意や工夫や改善が織り込まれ、無自覚に腕や、身体にフォームを刻印し、確かな加工や立体描写を可能にする。
しかし、様々な悩みや葛藤に悩み、疑問を払拭できない日々が続く場合もある。
そんな時には、何も考えず、取りあえず昨日と同じことをする。昨日の続きを行うこと。倦まずたゆまず、ボチボチでもいいから、昨日の続きをやる。
焦らなくても良い。ゆっくりで良い。歩を緩めないこと。手を動かすこと。これ以外に技術の、また、選択されたその職業から得られる人間としての向上はないように思う。
ただし、これだけではいけないように思う。
戦後、清里で日本の青年を指導(?)した、ポール ラッシュは、彼らに、健康であること、宗教を持つこと、そして、「Must be first」といった。私は、これを「一流を目指せ」と解釈している。そしてそのことを、単調な日々の積み重ねという孤独な作業の中で、品物に込める倫理観と同様、把持し続けることが重要だと思っている。
2流や3流を是とする意識では、時に気持ちが切れる。孤独な作業の中で気持ちが切れるとクォリティの保障できず、新しい試みへの勇気も萎えるのである。
これでは、日々の単調な仕事の積み上げが、多少虚しいものになると私は考えるし、この仕事を選んだ意味がないと思うのである。
しかしながら、いつもめげそうになる気持ちを繋いでいる・・。