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ジーコ散る

2006年06月24日

ジーコは日本選手のプロ意識の低さを嘆き、中田もその点で苛立っていた。中村は、もっと多くの選手が海外での経験を積む必要があるといった遠まわしの表現でそれを指摘した(そう私は思っている)。

今回のワールドカップでも、ゴール前での弱気なパス回しと、アタックへの強い気持ちが感じられないのは、古く、城、岡野の時代から変わっていないことを再認識した。

昔、ラサール石井が指摘したように(彼が過した鹿児島での生活から感じたこと)、九州は、母系社会でマザコン男が実に多い。
今住んでいる地域でも、同様である。全国大会へ出場する生徒はいたせりつくせり、負けると、父兄のバックアップが悪いということになる。自然、子供も自立心が萎えてくる。
この風潮が、今回でも肝心な場面で人任せにするシーンを見るに付け、オーバーラップしてきた。

後がない状況で、うずくまらないで風上に向かうのは勇気がいるし、小さな成功体験の積み上げが必要なのだ。村社会リーグから出て行ける可能性を持つ選手は出て行って欲しい。どの地域でもいいと思う。個々がきちんと立ち向かう経験ができればいい。

「選手過信したジーコ監督 自主性尊重、時期尚早」(2006年06月23日22時18分)という記事をasahi.comで見た。以下抜粋。

「サッカーの歴史は、組織を超えた個人の力が最後は勝負を決めてきた」というのが、ジーコの持論だった。指示されるのではなく選手自らが状況判断を下す自主性を求めた。

日本選手のレベルは高いのか。今回のW杯で、世界との個人能力の差が露呈した。結論からいうと、ジーコ監督のやり方は時期尚早だった。

日本はこれまで、個人能力の劣勢を、組織力でカバーしようとしてきた。現実的な策ではあったが、個人能力の不足と正面から向き合わない逃げでもあった。

練習でシュートをはずして笑うFW。勝つしかないのに、失敗を恐れ冒険的なプレーに出る勇気がない選手。日本サッカーを変えられるチームと信じていただけに寂しいと、ジーコは明かした。チームは個人能力だけでなく、プロ意識も足りなかった。

懸念されるのは、この4年間が否定されてしまうことだ。組織と個人能力は対立軸ではなく、両方備えてこそ、強いチームになる。個人重視はだめだと、組織頼みに戻すようでは、日本サッカーは退行する。
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