個別記事
養老の滝御徒町
2006年12月15日
帰国後すぐに使える予定のISDNが、申し込んでから繋がるまでに1月半もかかった。この辺りは光やADSLは届かないから定額料金サービスはISDNしかないし、昔からあるダイアルアップだと、遅い上にとてつもなく高て使えない。
ISDNの回線を押さえてもらっていたはずなのだが、空きがないという話で、このサービスを利用するためには、SP端子というものを増設するまで待たなければならないという。
結局、NTTは富士通製のPF-ADPというアダプターを我家に設置し、回線を遠くのほうから引っぱってきて無事に接続することができた。アダプターは給電装置ということで、私にはよくわからないが、距離の離れたユーザーのために、このような特殊な装置をNTTは密かに用意していたのだということはわかった。
帰国後に感じたこの国の最近の印象を載せようかと思ってはいたのだが、そんな事情ですっかり記憶も薄らぎ、熱意も薄らいできたこの頃ではあるのだが・・。
成田に着いた後、成田から京成一本で行くことができるという便利さもあり、所要もあって、またもや上野に宿を取った。
以前も書いたが、御徒町のアメヤ横丁は、横須賀のドブ板通りと同じように、今でこそ小ぎれいを装っているが、私の学生時代は、まだ戦後の闇市をイメージさせるような埃っぽい雑踏で、東南アジアの市場を彷彿とする活気と、いかがわしさに溢れていた。しかし、私にとっては、妙に落ち着くこの街に立ち寄るのも上野周辺に宿を取る理由なのである。
こんな場所で酒を飲むのがまたいいのだが、この界隈に詳しいわけではないので、こじんまりして居心地のいい居酒屋を知らない。チェーン店は多いが、若い店員の元気すぎる掛け声が耳に障るようになってきてから距離を空けている。ガード下の路地の一つに美術学校の先生方が顔を出している少し高級感(?)のある居酒屋もあるが、何か少し違う。雪の下で入る東北の小料理屋のように、行きずりの我々に優しいという感じがないし、この地の活気と生活臭を感じにくい点も興ざめする。
そこで今回は少し冒険をして、ガード下から昭和通り側の路地にある、「養老の滝」の、のれんをくぐった。近くに2軒あるのだが、客が多いほうを選んだ。狭くてうすら汚れているのが如何にも場末。給仕人も調理人も高齢のオッサン、いや爺ちゃんで、客のほとんども中高年のオッサンである。静かに、しかし人生の重荷を囲っているような辛気臭さとは無縁で、居酒屋の熱気は残しながらも、おっさん達は夕べの一杯を普通に楽しんでいる風がよかった。値段は安く、余計な掛け声もなく、齢を重ねた大衆酒場の常連が気負わず平和に杯を傾けているのが落ち着く。労働の場からつながる等身大の風景であり、大袈裟に言えば、昔の、泥臭く生活感に溢れたアメ横界隈の空気を従業員共々保管したような空間が新鮮だった。
上野駅を降りて昭和通りを渡った向うに、昔から米軍、自衛隊、警察、消防関係の放出、中古品を扱う松崎商店があった。アメ横にもこの手のお店は何軒かあったが、松崎商店が最も充実していた。私は放出品が好きで結構通った。松崎商店はまだあるのか気になって行ってみた。
あったのである!。まだ生きていた。他の放出品取扱店は姿を消して久しいが、松崎は生きていた。生きてはいたが、よれよれだった。若い頃に買った、皮製のショルダーバックや米軍の弾箱も同じ物がいまだに並んでいたし、帳場のオッサンも老けてはいたが同じだった。懐かしかったが、買いたい物はすでになく、どこの街でも同じように、昔の面影のかけらが少しずつこぼれ落ちていく。改めてそんな印象を持って此処を去った。
ISDNの回線を押さえてもらっていたはずなのだが、空きがないという話で、このサービスを利用するためには、SP端子というものを増設するまで待たなければならないという。
結局、NTTは富士通製のPF-ADPというアダプターを我家に設置し、回線を遠くのほうから引っぱってきて無事に接続することができた。アダプターは給電装置ということで、私にはよくわからないが、距離の離れたユーザーのために、このような特殊な装置をNTTは密かに用意していたのだということはわかった。
帰国後に感じたこの国の最近の印象を載せようかと思ってはいたのだが、そんな事情ですっかり記憶も薄らぎ、熱意も薄らいできたこの頃ではあるのだが・・。
成田に着いた後、成田から京成一本で行くことができるという便利さもあり、所要もあって、またもや上野に宿を取った。
以前も書いたが、御徒町のアメヤ横丁は、横須賀のドブ板通りと同じように、今でこそ小ぎれいを装っているが、私の学生時代は、まだ戦後の闇市をイメージさせるような埃っぽい雑踏で、東南アジアの市場を彷彿とする活気と、いかがわしさに溢れていた。しかし、私にとっては、妙に落ち着くこの街に立ち寄るのも上野周辺に宿を取る理由なのである。
こんな場所で酒を飲むのがまたいいのだが、この界隈に詳しいわけではないので、こじんまりして居心地のいい居酒屋を知らない。チェーン店は多いが、若い店員の元気すぎる掛け声が耳に障るようになってきてから距離を空けている。ガード下の路地の一つに美術学校の先生方が顔を出している少し高級感(?)のある居酒屋もあるが、何か少し違う。雪の下で入る東北の小料理屋のように、行きずりの我々に優しいという感じがないし、この地の活気と生活臭を感じにくい点も興ざめする。
そこで今回は少し冒険をして、ガード下から昭和通り側の路地にある、「養老の滝」の、のれんをくぐった。近くに2軒あるのだが、客が多いほうを選んだ。狭くてうすら汚れているのが如何にも場末。給仕人も調理人も高齢のオッサン、いや爺ちゃんで、客のほとんども中高年のオッサンである。静かに、しかし人生の重荷を囲っているような辛気臭さとは無縁で、居酒屋の熱気は残しながらも、おっさん達は夕べの一杯を普通に楽しんでいる風がよかった。値段は安く、余計な掛け声もなく、齢を重ねた大衆酒場の常連が気負わず平和に杯を傾けているのが落ち着く。労働の場からつながる等身大の風景であり、大袈裟に言えば、昔の、泥臭く生活感に溢れたアメ横界隈の空気を従業員共々保管したような空間が新鮮だった。
上野駅を降りて昭和通りを渡った向うに、昔から米軍、自衛隊、警察、消防関係の放出、中古品を扱う松崎商店があった。アメ横にもこの手のお店は何軒かあったが、松崎商店が最も充実していた。私は放出品が好きで結構通った。松崎商店はまだあるのか気になって行ってみた。
あったのである!。まだ生きていた。他の放出品取扱店は姿を消して久しいが、松崎は生きていた。生きてはいたが、よれよれだった。若い頃に買った、皮製のショルダーバックや米軍の弾箱も同じ物がいまだに並んでいたし、帳場のオッサンも老けてはいたが同じだった。懐かしかったが、買いたい物はすでになく、どこの街でも同じように、昔の面影のかけらが少しずつこぼれ落ちていく。改めてそんな印象を持って此処を去った。
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この記事へのコメント
1. Posted by acanthogobius
2006年12月18日 12:52
お帰りなさい。
ISDNでは苦労されたようですね。
私の友人が福島県只見町の林道のどん詰まりのような所で
家具工房を営んでいますが、先日、光ファイバーが開通したそうです。冬は車も入れなくなるような雪深いところ
ですがロンドンに住む娘さんと無料で話ができるように
なったと喜んでいました。地域によって通信環境はまちまちですね。
今後のブログまた楽しみにしています。
ISDNでは苦労されたようですね。
私の友人が福島県只見町の林道のどん詰まりのような所で
家具工房を営んでいますが、先日、光ファイバーが開通したそうです。冬は車も入れなくなるような雪深いところ
ですがロンドンに住む娘さんと無料で話ができるように
なったと喜んでいました。地域によって通信環境はまちまちですね。
今後のブログまた楽しみにしています。
2. Posted by katsu
2006年12月19日 00:44
acanthogobiusさんコメントありがとうございました。
様々な雑仕事がほぼ片付き、ようやく最近落ち着きつつあります。当ブログは期待できないかと思いますが、今後ともよろしく。
様々な雑仕事がほぼ片付き、ようやく最近落ち着きつつあります。当ブログは期待できないかと思いますが、今後ともよろしく。
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