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柴イヌをつれて

2007年01月21日

夕方は、念願だった柴犬を購入し、運動を兼ねた散歩に出かけている。それまでは、夕刻に散歩に行く習慣を持っていたわけではないが、柴犬を購入したので、(自分の中では)行かないわけにはいかなくなったのだ。

ところで、先日の夕刻、イヌの運動を兼ねた散歩の途中 ―

この二十年、自分は大して進歩のない人生を歩んできたのではないか。あるいは、多少なりとも進歩のある人生を送ってきたのであろうか。というような思いがふと気持ちの中に湧いた。

今現在、そう思ってその場に佇んだり、座り込んだりしてしまうほど深刻な問題を抱えているわけではないが、ふと、そのような思いが脳裏をかすめたので、ここでその事を取り上げると、いったい何を書こうとしているのか、改めて考えたりしている始末である。

生まれて間もない幼犬の、疑いを知らない、自然のままの仕草に感嘆し、その対極にある自分の姿を振り返ってみたということは間違いなくあるとは思うが・・。

世に影響を与えて来た方々だったら、内省的な思索に裏打された行動の積み上げというものがあるのだろうが、私の場合は、改めて振り返るほど、信念に満ちた行動の履歴があるわけもなく、それが自分でも情けないわけで、困ったものだなと思うのである。

所で、先に「進歩のない人生」と記したが、進歩のあった人生とは何かということになる。それは、経済的にも恵まれ、社会的にも認められるようになったという解釈ができるだろうし、また、詩人や純粋芸術を行なう画家や彫刻家のように、内なる声に耳を澄ませ、己の才能を以ってそれを具現化する努力を積み上げる方々の生き様のことであろうし、人々との直接的な関係の中で生き生きと人を育むような活動を重ねる人のことをいうのかもしれない。あるいは、そこまで具体的なものとして形にはならないのかもしれないけれども、鬱々としながらも何かを考え、可能性を秘めた若い世代の時間というものも個人的には加えたい。

ともあれ、意味のある人生を送ってきたのかというようなことを、柄にもなく考えたのだったが、シバイヌは首輪を食い込ませながらゼイゼイと荒い息使いで先へ先へと闇雲に進もうとするので、私はそれ以上のことを思う余裕はなかったのである。
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