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饒舌なモノたち 2

2007年09月16日

では何故、欧州メーカーやデザイナーがデザインに時間をかけ、長持ちするデザインを好むのか?
そしてそれは、自動車がコモビティになってしまったと断言してもいい今、意味を持つのか?

一つには、ヨーロッパの人々が、モノを長く大切に使うという習慣が、前提として、壊れないメカニズムと同様、飽きの来ない意匠を要求するということがあるのではないか。
また、新しさの中に存在する普遍。或いは、普遍的なるものへの新たな解釈―。
長持ちのするデザインにはこのような、自然(普遍)に対する人間の解釈が存在するのではないかと思う。それは、ある種、純粋芸術への憧憬にも似た思いのような気がする。大袈裟に言うと、「自然(ネイチャー)」として提示されている、秩序への人としての共感、恭順、憧憬であり、安らぎである。そして、それは飽きの来ないスタンダードなものに内包される一つの要素であり、彼らが評価する所なのかもしれない。

オートモビールのような立体造形物のフォルムに、今日のような過激な移り変わりの激しい消費世界で、普遍を持ち込むのは容易ではない。
そのような普遍的な解釈を具現化すること、インスピレーションやインスパイヤーのようなものが人間の意識の中で醸成するまでには、一定の時間を必要とし、往々にして現代の、特に前項に見る日本企業のようなスタンスの中で具現化することはかなり難しく、メチエとして今日的な流行を取り入れたほうがイージーな解決方法であることは、多くの職業デザイナーが理解しているし、また、心を奪われている。

その結果、豊饒なフォルムの代わりに単なるフィギアに惑溺していくこととなる。それは、立体ではあるが、明らかに平面上に描かれたフィギア以上の創造性を有してはいない。単に綺麗に描かれているだけだ。ルームミラーに迫ってくる多くの新型車を見るたびにそう思う。

そこには、多くの場合、立体としての新たな解釈に欠けたフォルムが写っている。恐らく10年後には、視界に入れたくないガラクタと同様・・(つづく)。
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