手作り家具工房を笑え
- 2007年09月07日: モノ作りの孤独 (0)
- 2007年08月23日: シーニャ、そしてラオ (0)
- 2007年07月26日: 追想 (2)
- 2007年01月23日: 定員割れ (0)
- 2007年01月21日: 柴イヌをつれて (0)
- 2007年01月12日: 振り出し (2)
- 2006年05月22日: 工房家具屋が行く高島屋家具売り場 (3)
- 2006年03月04日: 工房民宿 (0)
- 2006年03月01日: 写真 (0)
- 2005年10月26日: 犠牲 (0)
モノ作りの孤独
2007年09月07日
改めて思う。モノ作りの孤独を。
モノを作るということ。いつも同じ作業の繰り返しを行うこと。日々、同じ内容を積み重ねていくということ。
これは大変なことであるということを改めて思う。ここで言うまでも無いが、積み上げた経験の厚みというものが、人に感動を与えることに繋がる、と思っている。
日々の単調な繰り返しの作業が、技術を、業を研ぎ上げる。しかし、単なる繰り返しではない。そこには、微かな創意や工夫や改善が織り込まれ、無自覚に腕や、身体にフォームを刻印し、確かな加工や立体描写を可能にする。
しかし、様々な悩みや葛藤に悩み、疑問を払拭できない日々が続く場合もある。
そんな時には、何も考えず、取りあえず昨日と同じことをする。昨日の続きを行うこと。倦まずたゆまず、ボチボチでもいいから、昨日の続きをやる。
焦らなくても良い。ゆっくりで良い。歩を緩めないこと。手を動かすこと。これ以外に技術の、また、選択されたその職業から得られる人間としての向上はないように思う。
ただし、これだけではいけないように思う。
戦後、清里で日本の青年を指導(?)した、ポール ラッシュは、彼らに、健康であること、宗教を持つこと、そして、「Must be first」といった。私は、これを「一流を目指せ」と解釈している。そしてそのことを、単調な日々の積み重ねという孤独な作業の中で、品物に込める倫理観と同様、把持し続けることが重要だと思っている。
2流や3流を是とする意識では、時に気持ちが切れる。孤独な作業の中で気持ちが切れるとクォリティの保障できず、新しい試みへの勇気も萎えるのである。
これでは、日々の単調な仕事の積み上げが、多少虚しいものになると私は考えるし、この仕事を選んだ意味がないと思うのである。
しかしながら、いつもめげそうになる気持ちを繋いでいる・・。
モノを作るということ。いつも同じ作業の繰り返しを行うこと。日々、同じ内容を積み重ねていくということ。
これは大変なことであるということを改めて思う。ここで言うまでも無いが、積み上げた経験の厚みというものが、人に感動を与えることに繋がる、と思っている。
日々の単調な繰り返しの作業が、技術を、業を研ぎ上げる。しかし、単なる繰り返しではない。そこには、微かな創意や工夫や改善が織り込まれ、無自覚に腕や、身体にフォームを刻印し、確かな加工や立体描写を可能にする。
しかし、様々な悩みや葛藤に悩み、疑問を払拭できない日々が続く場合もある。
そんな時には、何も考えず、取りあえず昨日と同じことをする。昨日の続きを行うこと。倦まずたゆまず、ボチボチでもいいから、昨日の続きをやる。
焦らなくても良い。ゆっくりで良い。歩を緩めないこと。手を動かすこと。これ以外に技術の、また、選択されたその職業から得られる人間としての向上はないように思う。
ただし、これだけではいけないように思う。
戦後、清里で日本の青年を指導(?)した、ポール ラッシュは、彼らに、健康であること、宗教を持つこと、そして、「Must be first」といった。私は、これを「一流を目指せ」と解釈している。そしてそのことを、単調な日々の積み重ねという孤独な作業の中で、品物に込める倫理観と同様、把持し続けることが重要だと思っている。
2流や3流を是とする意識では、時に気持ちが切れる。孤独な作業の中で気持ちが切れるとクォリティの保障できず、新しい試みへの勇気も萎えるのである。
これでは、日々の単調な仕事の積み上げが、多少虚しいものになると私は考えるし、この仕事を選んだ意味がないと思うのである。
しかしながら、いつもめげそうになる気持ちを繋いでいる・・。
シーニャ、そしてラオ
2007年08月23日
工房での仕事中、足りないものがあったり、不都合や不具合があったりすると、ラオスの職業訓練短大の木工セクションで指導をしていたときのことを思い出す。
刃物が無い、工具が無い、消耗品がない、まともな機械が無い、機械が壊れるの連続だった。その度に、学科長であり、私のカウンターパートであるシーニャは、「ボーディ!」「ボーディ!」(No Good!)と騒いで、走り回る。
スタッフは鷹揚だが、現場の全責任は彼にある。本人はいたって真剣なのだが、私から見ると緊迫感に欠ける所が、少しユーモラスで憎めない。
古いフランス製のグラインダーが完全にちびってしまい、新しいものを買ってきたが、シャフトの径が合わず、丸ヤスリでグラインダーの中心の穴を拡げている。ヤスリが先にちびりそうだが無事に装着できた。
縦挽きノコギリの刃先に信じられない位ヤニがついてアメか松脂でコーティングされたようになったときには、粉石鹸を自宅から持ってきて、濃い水溶液を作り、数日漬けておいた(これは使える)。
集中集塵装置は、機械の台数の割りにメインチューブが細くて後半分は詰まった状態だった。前半分も詰まるので一人が棒でパイプを叩きながら作業を行っている。それでも水分の多い木材の切削のときには詰まってしまうので、2、3人の学生が叩く。パイプは、ゆさゆさと揺れ、とうとう、繋ぎ目(分岐点)から折れてしまった。そのうち折れることは想像できるが、だれも止めない、注文仕事だから時間が無いのだ。
シーニャは、青い顔をして板金用リベットを買ってくれと私にいうのだ。ブリキ板を何重にもあてがい、リベットで止めて修理をした。
集塵装置の配管の詰まりが進み、いよいよ使えなくなってきたので、ドリブンプーリーを小さいものに変えて回転数を上げ、解決を図ることになった。
以前よりは吸い込みが良くなったが、依然、後半分は詰まったままである。シーニャは、途中の配管の一部をジグソーで切り取り、長い棒で木屑を押し出した。穴はリベットとブリキで塞いだ。
本人は満足だが、一事が万事、このような手法だから、機械や設備はどんどんボロくなる。
本当に焦ったことが一度だけあった。
配管が詰まっている時期に、彼が顔色を失って私の所に駆け込んできたので行ってみると、配管のそちこちから煙が出ている。火災だと思ったが、原因は日本製手押し盤についている排出用ファンのベアリングの焼付による煙でほっとした。
今年の夏は猛暑だが、木工科の実習場は屋根が低く、入るだけで汗が吹き出でてくるし、作業着の襟まで塩が浮くから相当の高温だと思う。
今もシーニャは、その実習場で「ボーディ!」「ボーディ!」といって真剣に走り回っていることだろう。悪いが、思い出すと少し笑える。
そして、何でも簡単に手に入ってしまうし、少しの努力で彼らよりも数倍まともな修理やメンテができる環境があるというのに、文句ばかりの自分を少し反省するのだ。
刃物が無い、工具が無い、消耗品がない、まともな機械が無い、機械が壊れるの連続だった。その度に、学科長であり、私のカウンターパートであるシーニャは、「ボーディ!」「ボーディ!」(No Good!)と騒いで、走り回る。
スタッフは鷹揚だが、現場の全責任は彼にある。本人はいたって真剣なのだが、私から見ると緊迫感に欠ける所が、少しユーモラスで憎めない。
古いフランス製のグラインダーが完全にちびってしまい、新しいものを買ってきたが、シャフトの径が合わず、丸ヤスリでグラインダーの中心の穴を拡げている。ヤスリが先にちびりそうだが無事に装着できた。
縦挽きノコギリの刃先に信じられない位ヤニがついてアメか松脂でコーティングされたようになったときには、粉石鹸を自宅から持ってきて、濃い水溶液を作り、数日漬けておいた(これは使える)。
集中集塵装置は、機械の台数の割りにメインチューブが細くて後半分は詰まった状態だった。前半分も詰まるので一人が棒でパイプを叩きながら作業を行っている。それでも水分の多い木材の切削のときには詰まってしまうので、2、3人の学生が叩く。パイプは、ゆさゆさと揺れ、とうとう、繋ぎ目(分岐点)から折れてしまった。そのうち折れることは想像できるが、だれも止めない、注文仕事だから時間が無いのだ。
シーニャは、青い顔をして板金用リベットを買ってくれと私にいうのだ。ブリキ板を何重にもあてがい、リベットで止めて修理をした。
集塵装置の配管の詰まりが進み、いよいよ使えなくなってきたので、ドリブンプーリーを小さいものに変えて回転数を上げ、解決を図ることになった。
以前よりは吸い込みが良くなったが、依然、後半分は詰まったままである。シーニャは、途中の配管の一部をジグソーで切り取り、長い棒で木屑を押し出した。穴はリベットとブリキで塞いだ。
本人は満足だが、一事が万事、このような手法だから、機械や設備はどんどんボロくなる。
本当に焦ったことが一度だけあった。
配管が詰まっている時期に、彼が顔色を失って私の所に駆け込んできたので行ってみると、配管のそちこちから煙が出ている。火災だと思ったが、原因は日本製手押し盤についている排出用ファンのベアリングの焼付による煙でほっとした。
今年の夏は猛暑だが、木工科の実習場は屋根が低く、入るだけで汗が吹き出でてくるし、作業着の襟まで塩が浮くから相当の高温だと思う。
今もシーニャは、その実習場で「ボーディ!」「ボーディ!」といって真剣に走り回っていることだろう。悪いが、思い出すと少し笑える。
そして、何でも簡単に手に入ってしまうし、少しの努力で彼らよりも数倍まともな修理やメンテができる環境があるというのに、文句ばかりの自分を少し反省するのだ。
追想
2007年07月26日
私は山の中の工房で家具を作っている。最近は老眼が進んで「墨」(スミ:加工を行う上でのマーク)が見えない。
薄くて見えない。暗くて見えない。罫引というマーキングを行う道具を使うが、その線と木の導管の見分けがつかない。だから、精度が落ちる。速度も落ちる。
昔、親方が、墨が見えないから「オレは勘でやっている」といっていた。目を凝らしても見えないものだから、そこそこでエーイと加工を行う。所が、矢っ張りずれているものだから、「あっちゃー」などという声がする。私は、内心「またか」と呆れていたものだが、近頃そんな親方と同じような状況になって居る。
実際、どんなに目を凝らしても見えないのである。若い頃と違って集中力と忍耐力は明らかに低下しているので、その状況が続くと苛立ち、そこそこで鑿を入れる。するとやはりずれているのである。ずれないように正確に加工しようとすると時間がかかる。
親方は、「50代じゃ良い仕事はできない」と自嘲気味に、時には多少悔しさを滲ませて述べるのだった。
独立後、上京した折、平塚の友人宅に親方と呼ばれて行った。品川で、私の分まで乗車券を買おうとしている。汽車に乗り込むまでの間、有難いことに「あんたのような・・・」というので、「僕が跡取りだったら、無垢モノしきゃやりませんよ」というと、少し複雑な顔をした。
仕事は楽しいことばかりではなかったが、今となれば、全てはいい思い出である。
定員割れ
2007年01月23日
二十数年前に私が赴任した短大では、深刻な定員割れに喘いでいた。
最初は塗装科でスタートしたが学生が集らない。そこで、工業工芸デザイン科に科名変更した。スタッフはそのままで、工業デザインの専門家が一人加わっただけで、名称・内容変更しての再スタートであった。表向きの募集要項のカリキュラムは内容をぼかす分けのわからない記述だったが、内容を簡単に述べると、デザインし、プロトタイプを制作し、塗装するということで、従来から勤務する塗装担当教官の地位保全かつ、学生増加のための小手先的な科名変更だった。
二人目のデザイン専門家としてその短大に赴任した私は、内容のお粗末さに寒気がした。学生への詐欺だと断言できた。意欲を持って入学してきた学生や保護者に申し訳がなかった(名誉のために記すが、勿論、熱意のある教官も少なからずいた)。
定員割れの問題は、科の存続、短大の存続に関わる問題だったので、中央では、労働組合も一緒になって存続のための方策を考え政府と折衝し(つまり自己保存)、現場では、学生のレベルという問題ではなく、定員割れを阻止しなければならないという教官と、レベル確保を優先する教官の対立が続いた。
論文では、誤字脱字の多いものを「不」とするか、誤字よりも内容を評価するかで判定は分かれた。私の記憶にあるのは(当時すでに)、自分の夢が叶わなかったら子供に託すと論文中に記した受験生が多々いたことだった。私は、そのような受験生には人間的な魅力を感じないが、選択となると中々難しいものであり、結果的に定員確保が優先された。
当時から予想されていた、少子化に伴う定員割れと、大学存続の危機が、最近になっていよいよ現実のものとなってきた。そして、ニーズ志向ということで、美容関係の授業を行なう大学が報道されたのは驚いた。大学の専門学校化ではないか。
少子化の反面、教師は溢れていて、大学に残れない先生は、高等専門学校や労働省系の大学に職を求め、それでもなければ専門学校に行く方もいると聞く。大学の専門学校化も悲しいが、当時は意欲のない教員がかなりいたことを覚えている。真に大学全体が問われている時代になったのだと思う。
余談:私の勤務当時、学生確保のためにデザインの適正は重視されなかった。入学者がいなくなるからである(それでも定員の半数だった)。その中の一人の女学生と彼女の卒業後に会った。彼女は、カーナビで有名なAL社のデザイン課に入社することができたのだった。
「大丈夫?デザインできてるの」と、ジョーク気味にいう私に、CADがあるから大丈夫なんですよと、彼女は明るく答えた。そして、田舎で家具工房を開き、家具を作っているという私を不思議そうに見ながら、「私はハイテクをやっていますが、先生はローテクに向かったんですね」といい放ち、私は気弱に微笑んだのだった。
最初は塗装科でスタートしたが学生が集らない。そこで、工業工芸デザイン科に科名変更した。スタッフはそのままで、工業デザインの専門家が一人加わっただけで、名称・内容変更しての再スタートであった。表向きの募集要項のカリキュラムは内容をぼかす分けのわからない記述だったが、内容を簡単に述べると、デザインし、プロトタイプを制作し、塗装するということで、従来から勤務する塗装担当教官の地位保全かつ、学生増加のための小手先的な科名変更だった。
二人目のデザイン専門家としてその短大に赴任した私は、内容のお粗末さに寒気がした。学生への詐欺だと断言できた。意欲を持って入学してきた学生や保護者に申し訳がなかった(名誉のために記すが、勿論、熱意のある教官も少なからずいた)。
定員割れの問題は、科の存続、短大の存続に関わる問題だったので、中央では、労働組合も一緒になって存続のための方策を考え政府と折衝し(つまり自己保存)、現場では、学生のレベルという問題ではなく、定員割れを阻止しなければならないという教官と、レベル確保を優先する教官の対立が続いた。
論文では、誤字脱字の多いものを「不」とするか、誤字よりも内容を評価するかで判定は分かれた。私の記憶にあるのは(当時すでに)、自分の夢が叶わなかったら子供に託すと論文中に記した受験生が多々いたことだった。私は、そのような受験生には人間的な魅力を感じないが、選択となると中々難しいものであり、結果的に定員確保が優先された。
当時から予想されていた、少子化に伴う定員割れと、大学存続の危機が、最近になっていよいよ現実のものとなってきた。そして、ニーズ志向ということで、美容関係の授業を行なう大学が報道されたのは驚いた。大学の専門学校化ではないか。
少子化の反面、教師は溢れていて、大学に残れない先生は、高等専門学校や労働省系の大学に職を求め、それでもなければ専門学校に行く方もいると聞く。大学の専門学校化も悲しいが、当時は意欲のない教員がかなりいたことを覚えている。真に大学全体が問われている時代になったのだと思う。
余談:私の勤務当時、学生確保のためにデザインの適正は重視されなかった。入学者がいなくなるからである(それでも定員の半数だった)。その中の一人の女学生と彼女の卒業後に会った。彼女は、カーナビで有名なAL社のデザイン課に入社することができたのだった。
「大丈夫?デザインできてるの」と、ジョーク気味にいう私に、CADがあるから大丈夫なんですよと、彼女は明るく答えた。そして、田舎で家具工房を開き、家具を作っているという私を不思議そうに見ながら、「私はハイテクをやっていますが、先生はローテクに向かったんですね」といい放ち、私は気弱に微笑んだのだった。
柴イヌをつれて
2007年01月21日
夕方は、念願だった柴犬を購入し、運動を兼ねた散歩に出かけている。それまでは、夕刻に散歩に行く習慣を持っていたわけではないが、柴犬を購入したので、(自分の中では)行かないわけにはいかなくなったのだ。
ところで、先日の夕刻、イヌの運動を兼ねた散歩の途中 ―
この二十年、自分は大して進歩のない人生を歩んできたのではないか。あるいは、多少なりとも進歩のある人生を送ってきたのであろうか。というような思いがふと気持ちの中に湧いた。
今現在、そう思ってその場に佇んだり、座り込んだりしてしまうほど深刻な問題を抱えているわけではないが、ふと、そのような思いが脳裏をかすめたので、ここでその事を取り上げると、いったい何を書こうとしているのか、改めて考えたりしている始末である。
生まれて間もない幼犬の、疑いを知らない、自然のままの仕草に感嘆し、その対極にある自分の姿を振り返ってみたということは間違いなくあるとは思うが・・。
世に影響を与えて来た方々だったら、内省的な思索に裏打された行動の積み上げというものがあるのだろうが、私の場合は、改めて振り返るほど、信念に満ちた行動の履歴があるわけもなく、それが自分でも情けないわけで、困ったものだなと思うのである。
所で、先に「進歩のない人生」と記したが、進歩のあった人生とは何かということになる。それは、経済的にも恵まれ、社会的にも認められるようになったという解釈ができるだろうし、また、詩人や純粋芸術を行なう画家や彫刻家のように、内なる声に耳を澄ませ、己の才能を以ってそれを具現化する努力を積み上げる方々の生き様のことであろうし、人々との直接的な関係の中で生き生きと人を育むような活動を重ねる人のことをいうのかもしれない。あるいは、そこまで具体的なものとして形にはならないのかもしれないけれども、鬱々としながらも何かを考え、可能性を秘めた若い世代の時間というものも個人的には加えたい。
ともあれ、意味のある人生を送ってきたのかというようなことを、柄にもなく考えたのだったが、シバイヌは首輪を食い込ませながらゼイゼイと荒い息使いで先へ先へと闇雲に進もうとするので、私はそれ以上のことを思う余裕はなかったのである。
ところで、先日の夕刻、イヌの運動を兼ねた散歩の途中 ―
この二十年、自分は大して進歩のない人生を歩んできたのではないか。あるいは、多少なりとも進歩のある人生を送ってきたのであろうか。というような思いがふと気持ちの中に湧いた。
今現在、そう思ってその場に佇んだり、座り込んだりしてしまうほど深刻な問題を抱えているわけではないが、ふと、そのような思いが脳裏をかすめたので、ここでその事を取り上げると、いったい何を書こうとしているのか、改めて考えたりしている始末である。
生まれて間もない幼犬の、疑いを知らない、自然のままの仕草に感嘆し、その対極にある自分の姿を振り返ってみたということは間違いなくあるとは思うが・・。
世に影響を与えて来た方々だったら、内省的な思索に裏打された行動の積み上げというものがあるのだろうが、私の場合は、改めて振り返るほど、信念に満ちた行動の履歴があるわけもなく、それが自分でも情けないわけで、困ったものだなと思うのである。
所で、先に「進歩のない人生」と記したが、進歩のあった人生とは何かということになる。それは、経済的にも恵まれ、社会的にも認められるようになったという解釈ができるだろうし、また、詩人や純粋芸術を行なう画家や彫刻家のように、内なる声に耳を澄ませ、己の才能を以ってそれを具現化する努力を積み上げる方々の生き様のことであろうし、人々との直接的な関係の中で生き生きと人を育むような活動を重ねる人のことをいうのかもしれない。あるいは、そこまで具体的なものとして形にはならないのかもしれないけれども、鬱々としながらも何かを考え、可能性を秘めた若い世代の時間というものも個人的には加えたい。
ともあれ、意味のある人生を送ってきたのかというようなことを、柄にもなく考えたのだったが、シバイヌは首輪を食い込ませながらゼイゼイと荒い息使いで先へ先へと闇雲に進もうとするので、私はそれ以上のことを思う余裕はなかったのである。
振り出し
2007年01月12日
家具(正確には木製家具制作)が好きでこの道に入った。
今では老眼も進み、身体もフレキシビリティの低下でイメージどおりの動きができないことが多い。
ラオスから帰った今、この先どの程度仕事ができるのだろうか。とりわけ、納得のいく仕事がどの程度できるかということを思う。
子供の頃から木工作が好きだったから、デザイナーよりも、自分の手で家具を作ることを目指した。しかし、生活もあり、理想とするものだけを作り、提案していくことは難しかった。
歳を取って身体パワーは低下してきているが、子供も育ち身軽になった今、その気になれば工房をスタートさせた頃の希望や目標にもう一度帰ることができる状況になってきている。
思い返せば、家具への ― いやこういった家具を作りたいという様々な熱い思いがあった。それは、マーケットで見られる家具デザインへのアンチテーゼであったり、無垢物への憧憬や、伝統的木工技術の家具への反映の方法であったり、北欧家具への驚嘆であったりした。
街のそちこちで見られる、安価な材料を用い、同じようなくすんだ色とウレタン塗装で仕上げられた没個性的な国産メーカー製家具と、ポピュラーではないが一部の専門店で見られる、あまりに違うモダン家具があり、それは、単に家具デザインだけを見ていたのでは理解できない、真に室内の生活を楽しむという姿勢や様式をベースにしなければ決して生まれてこない製品であった。
(安賃貸、良くて6畳2間に暮らしながら、タタミマットには寝ない人々の家具文化に憧れるという自家撞着を顧みずもせずに・・)
ともあれ、私は生活の場で、素敵な家具を始め、自らが納得したインテリアや台所プロダクトをできる範囲で使っていきたいと思っていた一人であり、室内の壁を白く塗り替え、柱にはボイル油を塗ってコントラストをつけ、イサムノグチのアカリを下げたりということは引越しのたびに行なってはいたのだが・・。
それから20年以上経ち、家具やインテリアに対する認識も多少は違ってはいると思うが、今は、家具に足を踏み入れた頃の思いを把持し、提案していきたいと改めて思う。そうでなければ、この道を選択した意味がないし、全てを白紙に戻してリスタートする(位の)思いでは居るのだが。
(新年に思う)
今では老眼も進み、身体もフレキシビリティの低下でイメージどおりの動きができないことが多い。
ラオスから帰った今、この先どの程度仕事ができるのだろうか。とりわけ、納得のいく仕事がどの程度できるかということを思う。
子供の頃から木工作が好きだったから、デザイナーよりも、自分の手で家具を作ることを目指した。しかし、生活もあり、理想とするものだけを作り、提案していくことは難しかった。
歳を取って身体パワーは低下してきているが、子供も育ち身軽になった今、その気になれば工房をスタートさせた頃の希望や目標にもう一度帰ることができる状況になってきている。
思い返せば、家具への ― いやこういった家具を作りたいという様々な熱い思いがあった。それは、マーケットで見られる家具デザインへのアンチテーゼであったり、無垢物への憧憬や、伝統的木工技術の家具への反映の方法であったり、北欧家具への驚嘆であったりした。
街のそちこちで見られる、安価な材料を用い、同じようなくすんだ色とウレタン塗装で仕上げられた没個性的な国産メーカー製家具と、ポピュラーではないが一部の専門店で見られる、あまりに違うモダン家具があり、それは、単に家具デザインだけを見ていたのでは理解できない、真に室内の生活を楽しむという姿勢や様式をベースにしなければ決して生まれてこない製品であった。
(安賃貸、良くて6畳2間に暮らしながら、タタミマットには寝ない人々の家具文化に憧れるという自家撞着を顧みずもせずに・・)
ともあれ、私は生活の場で、素敵な家具を始め、自らが納得したインテリアや台所プロダクトをできる範囲で使っていきたいと思っていた一人であり、室内の壁を白く塗り替え、柱にはボイル油を塗ってコントラストをつけ、イサムノグチのアカリを下げたりということは引越しのたびに行なってはいたのだが・・。
それから20年以上経ち、家具やインテリアに対する認識も多少は違ってはいると思うが、今は、家具に足を踏み入れた頃の思いを把持し、提案していきたいと改めて思う。そうでなければ、この道を選択した意味がないし、全てを白紙に戻してリスタートする(位の)思いでは居るのだが。
(新年に思う)
工房家具屋が行く高島屋家具売り場
2006年05月22日
大塚家具と前後して高島屋も覗いた。久し振りだが、作り手として、家具売り場や展示場に行くのはいい。足を運ぶだけ、新たな情報に出会える。
例えば、日本に再上陸したイケア。チープだがセンスのいい家具、インテリアプロダクトを扱っている。シンプルで品のあるデザインには、デンマークの長いデザインの歴史が伺われる(何事も一朝一夕にはいかない)。
多分現在もそうだと思うが、イケアの家具のほとんどはノックダウン式で、購入して自分で組み立てる。気の利いたセンスは実際に見てみなければわからないものである。
ちなみに、マレーシアでイケア製品を製造している工場の品質管理への取り組みは、他の中国系工場より一ランク上だった。
高島屋では、シンプルなウィンザースタイルのサイドチェアーとテーブルセットが目を引いた。同時に、同じメーカー製で、ソリッド材を主に使用する家具工房スタイルを意識したような製品も展示してあった。デザインもOK。作りも丁寧。そして、価格は実に安い。さらに、仕上げはオイルフィニッシュである。
製造は柏木工。デザインはクラハウスの岩倉榮利氏。こなれている訳である。Takayama Wood Worksというシリーズである。
我々の出る幕がなくなる?(前回書いたので、ここではこれ以上言わない)。
民芸家具も置いてあった。古くからウィンザーチェアーを作っている老舗の製品。明らかなイングリッシュスタイルのウィンザーである。かって英国の職人が技術を伝えたのか。しかし、フロアーの片隅で、多少さえない。ウィンザーを愛する私としては多少寂しい。
ついては、色。塗装。デザインの3点が飽きられているように思える。あの濃い民芸色であるが、素材の違い(座は樺、曲げパーツは楢のようだった)をカバーするには濃色が必要で、特徴としているのは理解できる。しかし、いかにも古い。次にウレタン、もしくはUV塗装が厚くへヴィーでナチュラルな感じが乏しいのは時勢に逆行。さらに、伝統的なスタイルは非常に大切だが、多少モダンにアレンジしたシリーズも在っていいと思えた。古くから良い技術を持つメーカーだけにこのままでは勿体ない。
余談だが、以前みたこの会社のアームボウはフィンガーで繋いだもので、曲げではなく落胆したものだが、これは曲げたものだった。もしかして売れ残り!?(失礼)。
何れにせよ、このようなトピックは他人ごとではない。
私が出向いたのは某高島屋だったが、大塚のほうが生き生きとしていた。百貨店も苦労している。ジェネラルが見放され、スペシャルが評価される?。これも時代のトレンドか。巷ではスペシャリストと目される、工房家具屋の目指すところは何か?。
しかし、もがきながらも納得してもらえるスペシャルな家具を作り続ける家具工房に今後も期待してくださいますよう。
(何だか工房家具屋協同組合の年頭挨拶のようになってしまいましたが、そんな団体は存在しません)
例えば、日本に再上陸したイケア。チープだがセンスのいい家具、インテリアプロダクトを扱っている。シンプルで品のあるデザインには、デンマークの長いデザインの歴史が伺われる(何事も一朝一夕にはいかない)。
多分現在もそうだと思うが、イケアの家具のほとんどはノックダウン式で、購入して自分で組み立てる。気の利いたセンスは実際に見てみなければわからないものである。
ちなみに、マレーシアでイケア製品を製造している工場の品質管理への取り組みは、他の中国系工場より一ランク上だった。
高島屋では、シンプルなウィンザースタイルのサイドチェアーとテーブルセットが目を引いた。同時に、同じメーカー製で、ソリッド材を主に使用する家具工房スタイルを意識したような製品も展示してあった。デザインもOK。作りも丁寧。そして、価格は実に安い。さらに、仕上げはオイルフィニッシュである。
製造は柏木工。デザインはクラハウスの岩倉榮利氏。こなれている訳である。Takayama Wood Worksというシリーズである。
我々の出る幕がなくなる?(前回書いたので、ここではこれ以上言わない)。
民芸家具も置いてあった。古くからウィンザーチェアーを作っている老舗の製品。明らかなイングリッシュスタイルのウィンザーである。かって英国の職人が技術を伝えたのか。しかし、フロアーの片隅で、多少さえない。ウィンザーを愛する私としては多少寂しい。
ついては、色。塗装。デザインの3点が飽きられているように思える。あの濃い民芸色であるが、素材の違い(座は樺、曲げパーツは楢のようだった)をカバーするには濃色が必要で、特徴としているのは理解できる。しかし、いかにも古い。次にウレタン、もしくはUV塗装が厚くへヴィーでナチュラルな感じが乏しいのは時勢に逆行。さらに、伝統的なスタイルは非常に大切だが、多少モダンにアレンジしたシリーズも在っていいと思えた。古くから良い技術を持つメーカーだけにこのままでは勿体ない。
余談だが、以前みたこの会社のアームボウはフィンガーで繋いだもので、曲げではなく落胆したものだが、これは曲げたものだった。もしかして売れ残り!?(失礼)。
何れにせよ、このようなトピックは他人ごとではない。
私が出向いたのは某高島屋だったが、大塚のほうが生き生きとしていた。百貨店も苦労している。ジェネラルが見放され、スペシャルが評価される?。これも時代のトレンドか。巷ではスペシャリストと目される、工房家具屋の目指すところは何か?。
しかし、もがきながらも納得してもらえるスペシャルな家具を作り続ける家具工房に今後も期待してくださいますよう。
(何だか工房家具屋協同組合の年頭挨拶のようになってしまいましたが、そんな団体は存在しません)
工房民宿
2006年03月04日
家具工房を始めた当初、九州の阿蘇の外れでは商売は難しいだろうと、工房の一部を改造し、民宿を始めようとした。
工房に使っている建物の屋根の端に排気抜きの小屋根が乗っていたので、そこを屋根裏部屋とした、小さな居住空間に改造した。トイレと流しを付け、水道を引けば母屋から離れた空間は気兼ねなく泊まれていいだろうと思った。便槽は嫁さんが気合を入れて掘った。
上下水道の配管を残した時点で、保険所へ許可申請に出向いた。
厳格な厨房設備基準、トイレの設置基準、非常口、避難路の確保、最低部屋数基準など、民宿の営業には、「旅館業法」、「食品衛生法」、「建築基準法」、「消防法」の許可が必要だった。あまりの厳しさにたちまち意欲が削げた。
無許可でも大丈夫、無料で寄付を頂戴すれば良い、研修用の宿泊施設ということにしておけば良い、等々の意見、アドバイスを受けたが、やめた。
その後、屋根裏は主に酔客(友人)の宿泊場所として、一階は家具の簡易展示場として10年以上使い続ける事になった。
近年、グリーンツーリズムの影響で、農家民宿の規制が大幅に緩和されてきた。田舎の民家に宿泊することが簡単にできるようになってきたのだ。
嫁さんに、失っていた希望と意欲が再び湧いてきた。新たにギャラリーをこさえ、家具を引越し、かつて予定したスペースに泊まってもらう。春先に思い立ち、ゴールデンウィークまでには完成させるという決意をみなぎらした。
工事は、もちろん我々2人で行ったのだが、ゴールデンウィークには間に合わず、5月末に完成した。上下水道設備も備えた。
所が、スタンバイOKとなってから、台湾から息子のガールフレンドが遊びに来た。彼女はリニューアルした宿泊場所におよそ一ヶ月滞在した。
嫁さんの夢は再度挫かれたのである。その後、我々はラオスに行く事になった。
工房に使っている建物の屋根の端に排気抜きの小屋根が乗っていたので、そこを屋根裏部屋とした、小さな居住空間に改造した。トイレと流しを付け、水道を引けば母屋から離れた空間は気兼ねなく泊まれていいだろうと思った。便槽は嫁さんが気合を入れて掘った。
上下水道の配管を残した時点で、保険所へ許可申請に出向いた。
厳格な厨房設備基準、トイレの設置基準、非常口、避難路の確保、最低部屋数基準など、民宿の営業には、「旅館業法」、「食品衛生法」、「建築基準法」、「消防法」の許可が必要だった。あまりの厳しさにたちまち意欲が削げた。
無許可でも大丈夫、無料で寄付を頂戴すれば良い、研修用の宿泊施設ということにしておけば良い、等々の意見、アドバイスを受けたが、やめた。
その後、屋根裏は主に酔客(友人)の宿泊場所として、一階は家具の簡易展示場として10年以上使い続ける事になった。
近年、グリーンツーリズムの影響で、農家民宿の規制が大幅に緩和されてきた。田舎の民家に宿泊することが簡単にできるようになってきたのだ。
嫁さんに、失っていた希望と意欲が再び湧いてきた。新たにギャラリーをこさえ、家具を引越し、かつて予定したスペースに泊まってもらう。春先に思い立ち、ゴールデンウィークまでには完成させるという決意をみなぎらした。
工事は、もちろん我々2人で行ったのだが、ゴールデンウィークには間に合わず、5月末に完成した。上下水道設備も備えた。
所が、スタンバイOKとなってから、台湾から息子のガールフレンドが遊びに来た。彼女はリニューアルした宿泊場所におよそ一ヶ月滞在した。
嫁さんの夢は再度挫かれたのである。その後、我々はラオスに行く事になった。
写真
2006年03月01日
全てではないが、出来上がった家具は写真に撮る。
作品集(作品か?!)に貼り込むためである。そのときには、「結構良いものできたなあ」などと自画自賛、ためつすがめつ満足げに最適なフレーム位置を探す。
所が、何年かの後に見返すと大したことはない。大したことはないモノが結構多い。
要望を聞き入れたから。予算がなかったから。大事をとったから。等々、言い訳の理由には事欠かない。同時に、「たいしたことのないもの作ってんなぁ」と思う。よく思う(お客さんすいません)。
それでも、オーダーを受けるたびにもっとどうにかならないか、改善はできないか、簡単に作れないかと(誤解を恐れずにいう)、検討はする。結果は同じようなものになる場合も多いのだが、そうする。
女房は、「何度も作っているものでしょう?」と、怪訝な顔で言う。「うーん」と、曖昧な返事を返しながら、「うるさい。色いろ考えてんだよー」と内心思う。結果、大して変わらないものが出来上がるものだから、「何やってんだろーねぇ」と、思われても致し方ない。
自分の中で色褪せないものも、少しはある。才能がないのに努力が足りないのは、わかってはいるつもりだが・・。
作品集(作品か?!)に貼り込むためである。そのときには、「結構良いものできたなあ」などと自画自賛、ためつすがめつ満足げに最適なフレーム位置を探す。
所が、何年かの後に見返すと大したことはない。大したことはないモノが結構多い。
要望を聞き入れたから。予算がなかったから。大事をとったから。等々、言い訳の理由には事欠かない。同時に、「たいしたことのないもの作ってんなぁ」と思う。よく思う(お客さんすいません)。
それでも、オーダーを受けるたびにもっとどうにかならないか、改善はできないか、簡単に作れないかと(誤解を恐れずにいう)、検討はする。結果は同じようなものになる場合も多いのだが、そうする。
女房は、「何度も作っているものでしょう?」と、怪訝な顔で言う。「うーん」と、曖昧な返事を返しながら、「うるさい。色いろ考えてんだよー」と内心思う。結果、大して変わらないものが出来上がるものだから、「何やってんだろーねぇ」と、思われても致し方ない。
自分の中で色褪せないものも、少しはある。才能がないのに努力が足りないのは、わかってはいるつもりだが・・。
犠牲
2005年10月26日
以前、心臓外科医の南淵明宏氏が、手術の巧拙とはトラブル発生の予測から回避であって、そういった能力は失敗を経験しなければ身につかないものであり、多くの経験によって培われたものである。それはある程度の患者さんの犠牲の上に成り立っていると述べていました。
それはまさしく、家具を作る我々にも当てはまることです。
失敗をうまくカバーして作り上げるという直接的なトラブルシューティングはいうまでもありません。
永い仕事の歴史からその人(作家、職人)の製作フォーム(作り方)が確定されてきます。その過程において、様々な模索、失敗、改善が行われ、作業の無駄が除かれていくわけです。これが技能習得の歴史であるのです。
また、新しいデザインを試みる場合は個展などで成果を世に問うことができます。そうではなく、いわばマイナーチェンジの場合、その試みが成功すればいいのですが、自分では納得できない結果もあります。自分がこだわるほどお客さんは気が付かないかもしれませんが、納得できない場合は多少心苦しい気持ちで納品するというケースもあります。
自分の稚拙さをカバーするような素晴らしい作品を提案できる方も見受けられますが、多くの場合、特に木工の場合は、職人的な側面が色濃く投影されているわけで、技能習得のためには多くの失敗を経験します。
他の工房や家具製作の現場で伝統的な手法を学んだ場合は(伝統的ではない場合でもいいのですが)、そこで培われたフォームを学びますので、訓練校を出てすぐに工房を始める場合よりは見習いとしての苦労が多いぶんだけ自分のフォームにたどり着くまでの時間は少ないといえるかもしれません。
いずれにせよ、お金を頂きながら仕事から学び、失敗や技術の向上のための保障はお客さんにお願いしているわけです。いわば、お客さんの犠牲の上に成り立っているわけです。
その犠牲を無駄にしないよう、感動を与えられる作品に仕上げられるよう、また、お客さんのイメージを超える作品を提示できるよう、作品に対し、努力を重ねているつもりなのですが・・。
それはまさしく、家具を作る我々にも当てはまることです。
失敗をうまくカバーして作り上げるという直接的なトラブルシューティングはいうまでもありません。
永い仕事の歴史からその人(作家、職人)の製作フォーム(作り方)が確定されてきます。その過程において、様々な模索、失敗、改善が行われ、作業の無駄が除かれていくわけです。これが技能習得の歴史であるのです。
また、新しいデザインを試みる場合は個展などで成果を世に問うことができます。そうではなく、いわばマイナーチェンジの場合、その試みが成功すればいいのですが、自分では納得できない結果もあります。自分がこだわるほどお客さんは気が付かないかもしれませんが、納得できない場合は多少心苦しい気持ちで納品するというケースもあります。
自分の稚拙さをカバーするような素晴らしい作品を提案できる方も見受けられますが、多くの場合、特に木工の場合は、職人的な側面が色濃く投影されているわけで、技能習得のためには多くの失敗を経験します。
他の工房や家具製作の現場で伝統的な手法を学んだ場合は(伝統的ではない場合でもいいのですが)、そこで培われたフォームを学びますので、訓練校を出てすぐに工房を始める場合よりは見習いとしての苦労が多いぶんだけ自分のフォームにたどり着くまでの時間は少ないといえるかもしれません。
いずれにせよ、お金を頂きながら仕事から学び、失敗や技術の向上のための保障はお客さんにお願いしているわけです。いわば、お客さんの犠牲の上に成り立っているわけです。
その犠牲を無駄にしないよう、感動を与えられる作品に仕上げられるよう、また、お客さんのイメージを超える作品を提示できるよう、作品に対し、努力を重ねているつもりなのですが・・。