社会
  1. 2008年04月30日: 落ちる聖火のイメージ (0)
  2. 2008年02月17日: 米兵のレイプを許さない (0)
  3. 2008年01月29日: 脱炭素 (0)
  4. 2008年01月12日: CO2対策 (1)
  5. 2007年12月27日: 賞味期限 (0)
  6. 2007年03月11日: ゆうパックに注意 (8)
  7. 2007年03月04日: 現代不思議敬語謙譲語表現 (1)
  8. 2007年02月06日: プロが教えない (2)
  9. 2007年01月23日: 定員割れ (0)
  10. 2007年01月15日: 「外資系社員」の事件に思う (2)

落ちる聖火のイメージ

2008年04月30日

世界各国を回る聖火リレー取巻くように、沿道から応援する多くの五星旗には興醒めする。中国への嫌悪が増し、聖火リレーひいてはオリンピックへの関心までもが薄れてしまう。

昨日(4/29)のasahi.com、「「聖火応援隊」やっぱり動員・中国当局が旅費負担」という記事には ―
北京五輪の聖火リレーへの妨害を防ぐため、各地の中国大使館が旅費を負担するなどして、現地の中国人留学生、華僑らを大量動員していたことが関係者の話でわかった。
「人間の壁」による妨害対策を指示し、対処マニュアルも作成。各地で赤い中国国旗を振っていた「聖火応援隊」は、やはり当局主導だった。

長野を走った26日の聖火リレーでは、約5千人の中国人留学生らが日本各地から集まった。東京から参加した複数の留学生によると、前日から夜行バスで向かい、1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれたという。


この国で起こる多くのことが北京のコントロール下にあることを理解していても呆れる。

原因であるチベット問題だが、そもそも北京は、少数民族の統治に、それらの地域に漢民族を大量移住させる政策をとっていて、チベットも同様で、それによって職に就けないチベット族の抗議が発端だという。
それを、オリンピックという好機を得て政治問題化させ、中国の国際的地位低下を狙うというような穿った見方も可能だが、人道問題を政治問題化しようとする諸国への、オリンピック憲章を盾にした中国の反論と、開催への悲願は理解できるが、なりふりかまわない中国当局の介入が、中国民族への嫌悪とイメージの甚だしい低下に繋がっているという事実を理解できないのだろうか。

米兵のレイプを許さない

2008年02月17日

米兵によって日本の女子中学生が暴行された。
政府は遺憾の意を表明し、早々に駐日米大使が沖縄へ出向いて謝罪した。地域や日本の対米(対基地)感情の悪化を懸念していることが窺われる。

犯人によれば、中学生には見えなかったといっているそうだが、日本、いやアジアの成人女性は総じて実年齢よりも幼く見える。見え透いた言い訳だと思う。

市民、政府を挙げ、非難と抗議を行ない、このような卑劣な犯罪に対し、強い意思表示を明確にする必要があると思う。そうでなければ、彼らが駐屯する地域と住民を蔑ろにした意識は変わっていかない。

要は、意思の明確化であると思う。中国だったらネットで市民を扇情してデモや投石を行うかもしれないが、市民によるデモ、基地前でのアッピールによって米兵、関係者へ、より強い怒りを表明することは必要だと思う。
別に投石の必要を述べているわけでないが、目を合わせ、皮膚温を感じるレベルでの強い意思表示は絶対に必要である。政府レベルでの遺憾表明では弱い。それでなければ、有色人種の怒り、痛み、そして同じ人間であるとの認識を与えていくことはできない。相手は日本人ではないから、婉曲な表現では表現しないに等しい。

何年か前には、小学生が数人の米兵にレイプされ、そして今回の女子中学生への暴行。そしてまた将来も繰り返されるのか・・。

脱炭素

2008年01月29日

CO2を主因とする地球温暖化問題は、ここで述べるまでもない。西欧を始め、我々の快適生活はそのまま地球温暖化につながってきた。そして、途上国の人々は先進国の快適生活を目標とする。
インドや中国の庶民が自家用車を持ち始めるとカーボンの排出量は膨大なものになると、ある学者が憂いていたが、よりよい生活を求める途上国の人々の願いはだれも否定できない。

インドの「Tata Motors」と「Bajaj Auto」社は、かねてから注目されていた10万ルピー(約28万円)カーを発表した。だれも、カブタイムのモーターサイクルに家族全員がまたがって移動なんてしたくはないから、無理をすれば入手できる安価な車があれば確実に購入する。
ちなみに、「Tata Motors」のものは、全長3100mm×全幅1500mm×全高1600mmで、2気筒623cc、最高出力33PS、最高速度は105km/h。これだって彼らには垂涎なのだが、輸出されればインドのみならず、世界の発展途上国で爆発的に売れる可能性を秘める。

快適さを求める人々の思いがビジネスチャンスに繋がり、待ったなしの地球環境の破壊を進める現状の解決策はどこに・・。
(余談だが、3リッター、4リッター、5リッターといった大排気量車が相次いで発表され、若者の車離れを止めたいという理由で、超高性能車が発売されているという現状には多少複雑な思いになる・・(世界のマーケットで覇を競うには致し方ない?))

IT化によって新しい産業と雇用が創出されたが、今後は、待ったなしの省エネ化により、ITの場合以上に産業の変化が起こることが予想される(参照1)。脱炭素化に有効な新技術を持つ企業が伸び、アメリカや英国でも原子力発電所の再建設が予定され、日本でも、原子力関連メーカーの評価が上がってきている。
ただし、石油高騰化などで最終的に脱炭素に伴う窮乏生活を求められるのは、「豊か」実感の乏しい多くの「中流生活者」??。

古典的(?)、伝統的な田舎暮らしは、我が家のような古家の場合、冬の快適性に欠けるかもしれないが、カーボン排出に関しては時代の先頭にあるな、と多少自嘲気味に思ってゐる。

参照1:ハセック(東京都港区)が製造する「ウイングジェッターシステム」と呼ばれる装置がある。電気エネルギーが不要なため、二酸化炭素を排出することもなく、地球温暖化対策が急務のなか、改めて脚光を浴びている。
同システムは飛行機の翼を逆さまにしたような形状をもった建物等の排気装置である。翼の前方から空気が流れると、翼には抗力と揚力が発生するが、この揚力を使ってダクト内の空気を上昇させ、排気する仕組み。わずかな風でも十分な排気能力をもち、風速に比例して排気能力が高まる。

累計8000台を販売するヒット商品に成長したものの、各住戸別に換気する方式の普及によって82年に生産停止してからは、約20年間受注実績がゼロだったという。
今回のブームは、改修するマンションの取り換え需要にとどまらず、病院や公共建築物などに新規に採用されていることが特徴的。担当者は「運転音が静か。風だけで稼働するためCO2を排出することがないことが関心を集めている理由だろう」と分析。国内だけでなく欧州などでも注目を集めている。(Fuji Sankei Business I (2008/1/29)から)

CO2対策

2008年01月12日

正月のTVプログラムにおいて、カーボンが与える環境問題を扱った特集は興味深かった。

その中で、ドイツの脱石化エネルギーの取り組みについては、何時ものように驚きと、我が国の取り組みとの濃淡 ―何時ものことだが― を思った。
ドイツでは多くの風車が立ち、政府主導で売電と買取の義務化が法定化され、農民もバイオ発電で収入を得ていた。
風力発電のコストは、いまだ安いものではなく、発酵によるメタンガス発生装置も、同時に発生する硫化水素によって結構痛むという記事を読んだことがあり、実際のランニングコストがどの程度なのか、若干疑問を持ったのだが、ドイツ政府の方針に、将来の戦略的国家ビジョンを改めて見せ付けられたようだった。

第二次大戦後、早々にドイツ工業省は機器デザインを輸出戦略として捉え、その質の向上を目指したということが、「デザインのイデオロギーとユートピア」という著作にあったことを思い出し、重なって見えた。
(日本のデザイン教育の現場では、その後も長〜く、デザインユートピア論一辺倒の状況が続いてきた。アールヌーボーの時代、新たな芸術の可能性を模索し、ヨーロッパが捨てたアカデミスムを墨守し続けた日本の画壇ように・・)

カーボンを契機としたエネルギーを取り巻く産業社会構造の劇的変化は、ここで繰り返すまでもないが、その中で、国際的なイニシアチブを取っていく姿勢と、高度な技術を持ちながら、政策によって埋もれてしまい、国際的な発言力もビジネスチャンスも失う可能性が大きいこの国の状況を振り返り、少々暗澹となった。

同番組では、デンマークにおいて、無暖房住宅というものが紹介されていた。壁厚45センチ(!)、3重窓、熱交換式換気システムを備え、熱源は人体と照明を兼ねたロウソク。外気温マイナス20度でも快適さを失わないと、そこで暮らす年配の方が述べていた。
新しい技術はないが、究極に近い脱カーボン住宅。ようはコンセプトなのだ。

賞味期限

2007年12月27日

ばかばかしくも腹立たしい嘘八百の謝罪会見は見たくも思い出したくもない。
最初の会見での嘘に怒った元社員から改めて告発された「赤福」のあほな跡取りのうわべだけの謝罪会見も、多くの方々が苦々しく眺めたことだろう。

今後も内部告発は続くだろう。これはこれでいいことだと思うが、廃棄される食品を心配してしまう。
多くの資源やエネルギーを投下して作られたものであり、何より勿体無い。

食料品店は、期限前には格安で叩き売り、投売りすればいいと思うのだが、そうはいかないのだろう(?)。以前訪れた英国の田舎町のショップには賞味期限切れの食品が格安で売られていた。
最終的には自己責任で購入し、製造責任の追及はなしということで、相当量の食品が有効に消費され、飼料などを除いて無駄な廃棄を減らすことができれば、無益な環境負荷も低減できるというものである。現地価格が安いにせよ、多くの輸送エネルギーを費やして輸入し、労働を虚しいものにしてしまうことが残念ではないか。

随分前に、賞味期限の古いものから買ってくればいいのに、と女房に言ったことがある。食品によっては、期限の多少の差は気にならないし、鈍感なせいか、個人的にはどうってことはないと思えるし、それにより、無駄に廃棄する量をいくらかでも減らす可能性があるからだ。

所で、田舎の小さな食料品店に置いてある食品、例えば、生うどんを始め、練製品や一般的な食品の賞味期限の多くが消されていることに女房が気がついた。それも1度や2度ではない。そういえばある日、その店に通常は置いていないバドワイザーレギュラー缶があり、それだけに価格シールが貼ってあったのが妙に場違いだった記憶がある。
我々約2名は、「期限切れ食品回収・再販システム田舎ルート」というものが間違いなく存在すると確信していた。その店は廃業してしまったが、田舎の峠にある、小さな酒雑貨食品店等には、そんなシステムが機能していて、仕事帰りのキコリのおっさんが焼酎のカクウチをやりながら旨そうに食っていたチクワやソーセージも賞味期限が切れていた食品かもしれないのだ(注1:飲酒運転の取締りがが厳しくなって以来、カクウチを見かけることはなくなった)。

ミートホープ事件が報じられていた頃、あるスーパーマーケットで購入した豆腐が「きていた」。賞味期限内にあったが、少し臭った。大して深刻に考えもせず、製造元かスーパーに電話したらと言ったのだが、それっきりになった。今思えば、その豆腐の記述も改ざんされたものだっのかもしれない・・。

ゆうパックに注意

2007年03月11日

最近、ゆうパックを使ってトラぶった。
トラブルはしようがない。ただ、事後の対処が問題なのだ。

今回のトラブルは、到着後、機器が作動しなかった。勿論、発送前は問題なかった。原因は輸送中のトラブルにあると考えられた。

以前(10数年前)クロネコを使った時に、品物が輸送中のトラブルで破損した。当地の営業所長は、平身低頭、菓子折りを持って謝罪に来た。勿論、全額保障してくれた。
ところが、郵便局の対応には驚いた。
保障の内部査定基準が、パッケージの破損の度合いで判断するというものなのである。今回、パッケージの著しい破損は無かったので、私は著しい破損は無い旨、郵便局に問われるままに答えた。結果は、保障対象外ということだった。パッケージに破損がないという理由からである。

当地の郵便局の説明によると、保障の判断は、パッケージの破損具合と、所長判断によるというものだった。
(配達後、当事者の過失などによって生じた故障に対する過剰請求を疑わた可能性は否定できないと感じた。勿論そんな事実はないが、無実の証明は難しいと思えた・・しかし(それにしても)・・が、実感)

消費者擁護が声高に叫ばれている現在(いや、叫ばれていなくても)、そのような結果に承服できず、郵便局の相談窓口に電話し、保障制度を再度確認した。

説明は同様だった。
およそ30年前後前、ヤマト運輸が宅配サービスを始めて間もない頃、雑誌「暮らしの手帳」が、まったく同じ内容の小包を、郵便と宅配業者を使って同時に送るテストを行なった。
郵便局は、送料が高く、輸送時間は長く、しかもパッケージにはかなりの破損があったのである。
記憶している方もいると思うが、当時の郵便小包の扱いはひどかった。私も、局で見たことがあるが、手当たり次第放り投げているという印象である。傷むのが当たり前であった。

今回、保障に関し、その当時からの基準が見直されていないまま今日に至っている事を実感した。

対応した相談窓口のH氏は、判断基準は見直されていないと述べた。そして、「壊れるなら、包装も通常、傷んでいるはずでしょう」ともいった。
角から落下した場合、角が潰れることはあるが、ほぼ水平に落とされた場合、通常、包装は大して傷まないのではないだろうか。
今回、機器の内部から、カラカラという音がしている。それでも、保障の範囲外であった。

私はH氏に、「あなたも、郵政省職員という職務があるが、同時に消費者でもある。コンピューターのような精密機器は包装が傷んでいなくても落下で壊れることもある。それでも、保障ができないなら、消費者としてゆうパックは使えないということになりますね」と問うた。彼は、「個人的にはそうなります」と答えたのだ。

私は、誠意の感じられないH氏と、これ以上話す時間の無駄を悟った。郵便局の制度や意識は基本的に30年前と変わらない。個人的には、郵政民営化には反対だったが、少なくても宅配業務は、民間の競争原理の元で再度鍛え直されるべきだろう。

私は怖くて、ゆうパックの今後の利用を躊躇している(特に精密機器)。
そして、この文章の間違い、私の認識不足に対する郵便局員(及び第3者)からの指摘を期待している。郵政省も宣伝し、ポピュラーになったこの制度の利用者への保障がこんな程度とは、いまだに納得できていないからである。

現代不思議敬語謙譲語表現

2007年03月04日

最近の敬語や謙譲語の使い方はおかしいという指摘はよく聞く。先日も「クローズアップ現在」で、このテーマが取り上げられていた。

変だなと思う表現も多いし、かなり慣れて、何とも思わなくなってきた表現も多い。おかしいという指摘にある、変な丁寧表現の基本にあるものは、物事をはっきり表現せず、曖昧さを含ませることによって関係を荒立てないという、実に日本的な人間関係の在り様から発生してきた側面を否定できない。

敬語謙譲語の使い方はおかしいという批判が出始めたのは、それが現代日本の不器用で希薄な人との関わりを象徴するようでもある。切磋琢磨に慣れていない危うい関係とでもいえようか?
ちなみに中国系の交渉は、互いにとことん主張し合う。そして、落とし所を得る(互いのメリット、主張を確認し合う)。後腐れはない。関係は壊れない。非常にドライである。
日本では、婉曲丁寧はまかり通るが、本音で言い合わない(いや、本音を回避する)。気まずい関係になると修復が難しい。ある面で、ウェッティで面倒だと、思う。

同様に、日本の特徴的な生活行動が曖昧無意味な笑顔である。「クローズアップ現在」でも、このテーマを扱う女性キャスターが、現在敬語表現のあり方を分析してみせる、ゲストの井上ひさし氏に対し、ときおり見せた曖昧な笑いが、いかにも象徴的だった。
この日本人の曖昧笑顔の慣習が消えない限り、現在不思議敬語謙譲語表現が矯正されることは難しいだろうと思った。

所で、空港のセキュリティチェックで、手荷物にクレームが付いたとき、女性担当官から、「手荷物の中身を拝見させて頂いて宜しいでしょうか」と、聞かれた経験をお持ちの方は多いのではないかと思う。
勿論、拒否を想定していない、強制を伴う婉曲表現であることは、速やかに理解できる。ならば、返答を必要とする聞き方をしないで欲しいと思うのは私だけだろうか。

この場合、答えたくなくても速やかに答えなくてはならない、いや、何らかのリアクションを起こさなくてはならないということは状況から一目である。かといって、偉そうに「よし」というような態度では失礼かなと思う。そうなると、曖昧な「はい」、あるいは、あまり素直にはなれないけど「いいけど・・」的なリアクションになるのではないか(私だけ?)。
搭乗まで時間のない時に、余計な気遣いで疲れるのである。拒否はできないのだから(拒否はできても搭乗は難しいことになる)、最初からシンプルに、「失礼ですが、中身を拝見させて頂きます」で、充分だろうと思う。

また、最近書店で雑誌を購入した折、袋はいらないという私に、レジの女性は、「間違われると困りますので、シールをお貼りしても宜しいでしょうか」と聞く。前例と同様である。気にしなくていいから、返答しないでいい表現をしてもらいたいと思う。

丁寧さの困った拡大解釈ではないか。疲れるのである(私だけ?)。

プロが教えない

2007年02月06日

教育の問題の解決を図ろうとする、教育再生会議が安部首相の肝いりで発足し、教育改革のための素案を提出したのは最近のことである。

以前、教員の質の向上を図るには、教育学部での教員養成の見直しが必要であるということを聞いたことがある。

医師や歯科医師を養成する医学、歯学部では、教授のほとんどが医師である。彼らは大学の付属病院などで直接患者を診察し、手術を行なう。医師が学生を指導しているのは常識であり、医師免許を持たない教授が学生の指導を行なうことは、通常考えられない。

ところが、教育のプロを養成する教育学部の教授のほとんどが小中学校の教壇で、教鞭をとるということは、現在の日本ではほとんどない。つまり、現場から離れた教授が、観念だけの教員養成を行なっているのである。考えてみれば、恐ろしい状況ではないかと思う。
教育学部には付属の小中学校がある。そこで教授も実践を重ね、効果的な方法を編み出し、これからのプロに伝えていく必要がある。
ダメ教師の質の向上対策として、免許の更新制度などが論議されてはいるが、元から絶たなければ、悪しき教授方法の再生産のシステムは改善されない。
この問題点は(私の認識不足か)、あまり指摘はされないようだが、教育学部の教授、講師の方々の現場乖離の現状は改善されるべきだと思っている(注1)。

所で、我々が木工の技術を身に付ける数少ない選択肢である職業訓練校でも、木工の経験の無い教官が教えている場合が多々ある。意欲があり、訓練生の評判の高い方も中にはいると聞く。しかし、元来、経験のない方が技能訓練を行なう事ができるのであろうか?。否。
プロとしての実践(体験)を伴わないセカンドハンドノレッジでは肝心な部分は決して判らない。
(この場合、教官は県の職員であり、人事異動で配属されたケースもあるので、ここでは制度の不備を指摘している)

プロが教えない教員養成の現状はおかしいと、再度述べたい。

注1:ユニークな英語教育を実践し、英語教育で最も権威のある「パーマー賞」を受賞したこともある、島根県東出雲町立東出雲中学校の田尻悟郎教諭(NHKテレビ番組:プロフェッショナル等で取り上げられた)は、関西大学の教授に転身し、英語教育の講義等を行なうという。このような才能と熱意のある方々の大学での実践には期待したい。

定員割れ

2007年01月23日

二十数年前に私が赴任した短大では、深刻な定員割れに喘いでいた。
最初は塗装科でスタートしたが学生が集らない。そこで、工業工芸デザイン科に科名変更した。スタッフはそのままで、工業デザインの専門家が一人加わっただけで、名称・内容変更しての再スタートであった。表向きの募集要項のカリキュラムは内容をぼかす分けのわからない記述だったが、内容を簡単に述べると、デザインし、プロトタイプを制作し、塗装するということで、従来から勤務する塗装担当教官の地位保全かつ、学生増加のための小手先的な科名変更だった。

二人目のデザイン専門家としてその短大に赴任した私は、内容のお粗末さに寒気がした。学生への詐欺だと断言できた。意欲を持って入学してきた学生や保護者に申し訳がなかった(名誉のために記すが、勿論、熱意のある教官も少なからずいた)。

定員割れの問題は、科の存続、短大の存続に関わる問題だったので、中央では、労働組合も一緒になって存続のための方策を考え政府と折衝し(つまり自己保存)、現場では、学生のレベルという問題ではなく、定員割れを阻止しなければならないという教官と、レベル確保を優先する教官の対立が続いた。

論文では、誤字脱字の多いものを「不」とするか、誤字よりも内容を評価するかで判定は分かれた。私の記憶にあるのは(当時すでに)、自分の夢が叶わなかったら子供に託すと論文中に記した受験生が多々いたことだった。私は、そのような受験生には人間的な魅力を感じないが、選択となると中々難しいものであり、結果的に定員確保が優先された。

当時から予想されていた、少子化に伴う定員割れと、大学存続の危機が、最近になっていよいよ現実のものとなってきた。そして、ニーズ志向ということで、美容関係の授業を行なう大学が報道されたのは驚いた。大学の専門学校化ではないか。

少子化の反面、教師は溢れていて、大学に残れない先生は、高等専門学校や労働省系の大学に職を求め、それでもなければ専門学校に行く方もいると聞く。大学の専門学校化も悲しいが、当時は意欲のない教員がかなりいたことを覚えている。真に大学全体が問われている時代になったのだと思う。

余談:私の勤務当時、学生確保のためにデザインの適正は重視されなかった。入学者がいなくなるからである(それでも定員の半数だった)。その中の一人の女学生と彼女の卒業後に会った。彼女は、カーナビで有名なAL社のデザイン課に入社することができたのだった。
「大丈夫?デザインできてるの」と、ジョーク気味にいう私に、CADがあるから大丈夫なんですよと、彼女は明るく答えた。そして、田舎で家具工房を開き、家具を作っているという私を不思議そうに見ながら、「私はハイテクをやっていますが、先生はローテクに向かったんですね」といい放ち、私は気弱に微笑んだのだった。

「外資系社員」の事件に思う

2007年01月15日

相変わらず凄まじい事件が続いている。おぞましくてタイトルに記したくない。

この事件の原因は夫の家庭内暴力だという報道がされている。鼻骨を骨折したDV(ドメスティックバイオレンス:家庭内暴力)に危機感を覚えたという妻の凶行に、多少の情状酌量感を覚える方もいるかもしれない。

この事件に関しては、事が重大なだけに、加害責任が大いに問われるだろうが、巷間よくある、夫の言われなきDVに戸惑い、畏怖し、困惑する妻の報道は、民放ではよく行なわれてきた。しかし、率直にいって、DVの根底には、夫婦の性生活における、妻のインセンシティビティ(感受性のなさ)も、原因の一つではないかと、私は考えている。

男はプライドに生きるという事実を、多くの、特に若い女性は気が付いていない。だから、男子が「事」に及んだ時に、「あんたぁ、何してんのぉ」などと迷惑そうに言われたら、私には明日はない。そこが、女性には判らない。
(私の温厚な友人は、その問題で、出勤前に上がり框から女房を土間に蹴ったことがある)

家庭を守ろうという気概や、仕事への意欲も崩れ落ちてしまうのである(個人差もあるが決して大袈裟ではない)。前提が否定されたように感じる事実を女性は理解しない。そして男は、その問題を、恥ずかしくて古くからの友人にさえ相談できず、ましては、女房に言えるはずもない。どうして?、などと聞かないで欲しい、我々のプライドがそんな些細(本当は深刻)なことを言わせないのである。その結果、酔って、傷つき屈曲した思いを爆発させたりする。

おそらく、女性は永遠(?)に理解できないであろう。
昔、夫の「蒸発」が問題になったことがある。多くの亭主が家庭を残して消えたのである。
ある報道番組で、残された女房が取材を受けて答えていた。「私にはまったく心当たりがないのです」。その映像を見ながら、夫婦間のデリケートな問題が根底にあるということを私は直感した。(概ね)気が強くてセンシティブではない女性には「心当たり」に気が付くことはないだろう。

敢えて思う部分を記した。一般性やバランスに欠けていてもいい。というのも、この問題で多くの男性や、亭主が傷つき悩み、かつ口外できない問題であることを知るからである。男はつらいのだ。