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オートモビール

先日、車検(継続検査)を受けた。
自動車の使用者には、定期的に車両の点検を行う義務がある。これは道路運送車両法第48条に定められている。それに基づき、自家用車は半年ごとに点検を行わなければならない。
年間2度の定期検査の実施義務を基に、24ヶ月ごとに各都道府県の陸運事務所や民間車検場で安全基準が確保されているかかどうか、車両継続検査を受けなければならない。

現在使用しているスバルサンバートラックは平成3年(1991)登録であるが、エンジンや足回り、いや全ての重要部分で経年変化に伴う故障は皆無(消耗部品であるワイパーブレードや灯火類の球切れ等は除く)(注1)。実に頼もしい。

アジアに暮らしてみて、日本の車検制度の良さを実感した。車検の無い国では、高速道路上でローリーがクラッチ板を交換していたり、ドライブシャフトが落ちていたりした。ラオスでは車検はあったが、整備がいい加減で、走行中にカムシャフトが折れたパジェロもあった。

所で、今の日本で半年毎の定期点検を行っている方はどの位いるのだろうか。2年毎の車検を点検時期と思っている方が多くを占めるのではと思う(営業車を除く)。
実際、消耗部品のトラブル以外に、故障する部分や、割合が極めて低くなっていると感じる。そんな今日、はたして半年毎の点検義務が意味を持つのか、現実乖離していないか疑問ではある。
また、定期点検は義務とはいえ、現実的な運用は、かなりゆるやかであり、有名無実化しているように感じる。これは、品質の向上に伴う故障率の低下という事実がそうさせているわけであろう。

次に、定期点検事項の中の幾つかは、実情に合わないと思う。一例が、バルブクリアランス。2年毎の車検で、対象車のバルブ調整をする町の整備工場がどの位あるか?。
ただでさえ、車検費用を低く抑えたいと望むユーザーに、以前ならともかく、定期点検項目だからという理由で、トラブルの無いエンジンのバルブ調整を行い、費用を請求したら、次の車検時に、ユーザーが同じ工場に車を持ち込むだろうか?。
(ただし、法令上、項目事項から省くわけにもいかないだろうから、有名無実は止む無し。調子が落ちてからの整備となるか、現在なら車両の買い替えか(修理工場も結構辛いのである))

さらに、車に備わっている整備手帳の点検のための記載が、以前に比べて軽んじられているように感じる。定期交換部品の交換時期の記載が判りにくく、実に初歩的な事柄しか記載されていない。
本来なら、使用者の義務である定期点検に関わる作業マニュアルは添付されてしかるべきである。少なくとも安くても100万はする輸送機械の点検マニュアルとしては、その体をなしていない。他の産業機械類でこのような事例があるだろうか?。この状況を認める真意は何なのだろうか?(注2)。
余談だが、プロでも、高価な車両ごとのマニュアルを揃えていられない。そこで、必要ページだけの配布サービスを行っている民間団体にコピーを頼む。

車検制度も、多くの問題点を内包する。電子化はさらに進み(注3)、整備も変わっていくことは間違いなく、実情に合わせた制度の見直しも必要になってくる。

ともあれ、2年毎の車検にあたっては、日ごろ見ることの無い車体下部の点検を車検場で行ってもらったり、各種チェックをしてもらえるのは安全のためにはいいことだと考えるようにしている。
また、自分では、メーカーの指定する定期交換部品を指定に従って交換したり、めったに見ないプラグやクーラントやブリーザータンクをチェックしたりする。面倒で費用がかかるが、やはり、長く使うためにはいい機会だと思うようにしている。

注1:RとLの光軸、排ガス(COとHCの両方)が不合格だった。車検場の駐車場で調整した。パイロットエアスクリューの戻しすぎが原因。閉め込んで合格となった。閉め込みすぎると通常CO値が悪くなる。

注2:法規上の義務とはいえ、マニュアルがあって簡単に車体をいじったりすると逆に安全が確保できないという問題があるのかもしれない。また、重要な部分(詳細省略)に関して整備(?)を行った場合、終了から15日以内に分解検査を受けなければならない(分解検査がどの程度遵守されているかは、ここでは触れない)。

注3:参考(最近驚いた一例)。レクサスに取り付けられている、電子制御のアクティブスタビライザーは、モーターによってスタビライザバーをねじり、車両のロールを積極的に抑える。

アウディのシニアデザイナー、和田智 氏(45)はミュンヘンに在住する同社唯一の日本人デザイナーである。新型スポーティ多目的車「Q7」は彼の仕事であり、移籍して驚いたのは、デザインにかける時間の長さだった。最初に任されたセダン「A6」の全面改良はデザイン決定まで約3年半をかけた。

独BMWで5シリーズなどのデザインを手がけた永島譲二氏も著書で「(欧州車の)デザイナーは長持ちするデザインを目指す」と述べる。

これに対し、「デザインに時間をかければその間に環境が変わるリスクがある」(マツダの小泉巌チーフデザイナー)、「開発期間が短い方がエネルギーを集中できる」(日産の中村史郎常務執行役員)と、日本のメーカー関係者は反論する。
(以上、「高級欧州車、デザインは日本人 アウディ・BMWで」「asahi.com」2007年1月14日を参照の上、アレンジして掲載しました)

欧州車の肩を持つわけではない。

開発期間が短く、時勢に乗った(それこそ、環境が変わるリスクを犯さないうちに)、斬新なスタイルの新型車を投入し、販売数を伸ばすことができれば、メーカーや販売店の全ての関係者とその家族は満足し、格好のいい新型車を目にすれば消費者も胸躍らせ、購入のため労働意欲も高まり、企業業績も上がる。何か不満な点があるや。

開発期間を短くし、矢継ぎ早に新型車を投入すると新車効果の期間は短くなり、目先を変えた様々なタイプの車種を開発せざるを得なくなる。
ちょっとリッチな30代カップル向けプレムアムコンパクト、街乗りを意識したアーバンリクレーションビークル等々。等々。
このような問題点はあるが、某社チーフデザイナー氏や執行役員氏に、路線の見直しなどあるはずも無い(いや、個人的に疑問があっても変えることは容易ではない)。

所で、欧州メーカーやデザイナーがデザインに時間をかけ、長持ちするデザインを目指した所で、消費者は本当にそれを望んでいるのだろうか。仮に、長持ちするデザインを行なうという目標を製品に反映できたとして、地球への負荷の低減の他、何かメリットがあるのだろうか。世の中は変わるのだろうか。

ラオスでは中国製電動スクーターが販売を伸ばしていた。カブ型バイクよりも安いからであるが、作りは極めてチャチですぐに壊れそうである。リアブレーキは自転車用の流用(!)等々。ただし、車体各部を覆うプラスチック製のカバー類は機能に関係なく大きく派手でカラフル。大きく派手に見せる以外、意味のないデザイン。
自作パソコンコーナーで見られる、玩具のようなPCケースに近いイメージといえば理解しやすいか。

この中国製電動スクーターは、欧州車の「長持ちするデザイン」の対極にあるものとして鮮やかに甦る。

いうまでも無いが、PCケースや電動バイクなどの中国製品と同軸上に国産車のカーデザイン(カースタイリング)があるということに異論を必要としないことは、前述のasahi.comの記事で専門家が述べていることでも判る。

「長持ちするデザイン」は、やはり時間をかけなければ生まれない・・。

最近の車はすごいことになっている。大排気量、大出力化である。
ベンツやレクサスを始めとする高性能マシンが矢継ぎ早に発売され、シェアの覇を競う。片方で環境対策が叫ばれ、売りにするが、その自己矛盾に対する批評が聞こえることは殆どない。

今、それを批判するつもりはない。大袈裟に言えば、さながら、民族の優劣を競うに等しい戦いが展開されているようにも見える(だから批判をしないということでもないが)。

所で、多くの内外の高性能エンジンでは、ターボチャージャーという過給器が取り付けられ、排気ガスの力を利用してタービン(回転翼)を回し、その回転力を用いて空気を多量にエンジンへ送り込んで出力を増すということが行なわれ、ターボを謳い文句にし高性能をアピールしてきた。

過給器には、エンジンの排気ガスでタービンを回す方法と、エンジン自体や、モーターでタービンを回す方法がある。詳しくは触れないが、共に一長一短があり、ターボチャージャーは、排ガスの勢いの弱い低速域では効果が低く、機械式チャージャー(今日の日本ではこのことをスーパーチャージャーと呼ぶ)は高回転域でロスが発生する。

最近発売されたゴルフGT TSIには、排気と機械式の二つの過給器が装備されているという。つまり、二つの過給方式の弱点を補って高性能化を図るということらしい。
更なる、高性能化と穿ってしまいがちであるが、その設計意図は、単なる高性能化ではなく、小型エンジンの高効率化にあるという。

欧州では、現在、エンジンをコンパクトに作ることは、省エネルギー上きわめて有効な手段であることから、省燃費と高出力を両立させたストイキ(ストイキオメトリー=理論空燃費)ターボが脚光を浴びている(RESPONSE:【VW ゴルフ GT TSI 日本発表】高出力と低燃費を両立(2007年1月22日)より)。

このような考え方であるのなら納得できると思えた。
例えばの話、1500CCの運動性能を必要としている営業担当者が、燃費に優れ、パワー(馬力とトルク)が同等であれば、過給器付きの1000CCで問題ないはずであるし、更に、製造上及び、廃棄までに使われるエネルギー総量が低減されれば環境にとって実にいいわけである。もしも、そのような意図のための過給器エンジンであれば実に素晴らしいことだと、個人的には思えたのだ。

話は違うが、友人のリトルカブは普通でリッター100kmほど走るという。暖かくなったら、カブや125ccでいいから買い物に使いたいと思った。走ると少し寒い、早春の風を切るのは清々しいだろうなと・・。

「車は単なる移動手段」44%(注1)。
この調査結果を見て若干嬉しく感じた所もある。
ようやく日本の消費も成熟段階にきたと思ったし、「たかだか車だろ」という思いを世の中と共有できるようになった(少し傲慢)。
しかし、おそらく多くの方々が感じていたように、この傾向は、暫く前から確実に顕在化してきていた。

近年、コンピューターを用いた制御技術が向上し、CAD・CAMの利用が進んで、金型が安く早く、また複雑な3次曲面形状が容易に加工できるようになり、先ずラジカセあたりが急速に玩具化した。試作屋の友人は、形状が複雑になってきて加工が難しく、納期が取れず単価が低いと嘆いた。
その時、私は近い将来オートモビールも同じ運命にあることを予感した。

ライフスタイルの多様化、消費者ニーズへの対応の必要性が叫ばれ、競って様々なカテゴリーへ多くの車種が投入され、さらに開発期間を短縮して市場ニーズとのタイムラグを少なくしようとしてきた。

技術革新によって高張力鋼板の成形性がよくなり、マシニングセンターの進歩で複雑なデザインの外皮が容易に早く、そして、軽くて燃費の良い車が安くできるようになり、目先を変えた多くの車が市場投入された。その結果、日増しに新車効果が短縮化され、系列が意味を失い、最後に消費者はコトの無意味さを悟った。まさしく、オートモビールがシンボルからコモビティ(日用品)へ衣を変えた時代。

今後は、本当の車好きがエキサイティングな車に乗れる時代?。ファラーリや新型ブガッティはいうに及ばす、アメリカなどで極少数のために作られているモスラー MT-900Sや、サリーンS7等の超弩級スーパーカーを、日本でも、デイトレードで儲けた連中が購入するかもしれない。

我が、SUBARUサンバートラックは現在13年目に入り、現役活躍中。いたって元気。勿論単なる下駄代り、運搬車両でコモディティの典型だが、結構気にいっている。

注1:ガリバー自動車流通研究所レポート「クルマはなぜ売れなくなったのか?」(調査は2006年5月)から。調査項目「自動車に対する関心・興味は下記のどの項目が最も高いですか?」の中での第一位の項目。ちなみに第二位は、家族・友人と共にくつろぐための時間(17%)。

加速ポンプ

2006/05/16

加速装置部品&ノズル相変わらずエンジンのかかりが悪い。雨季対策で購入したが、去年の雨季を自動車整備科のワークショップで過したビートルのエンジンである。

オートチョークが作動しないのは分っているが、ここラオスではチョークを使わなければならないほど気温は下がらない。寒くても、アクセルを2~3度踏み込んで加速ポンプ作動させ、燃料を送りこめばエンジンはかかるはずである。所が、2~30回踏み込んでもかからないし、プラグも湿ってはいないのである。これは加速ポンプの不調に違いないと思っていた。

日本に帰る途中、ビエンチャンのビートル部品専門店に立ち寄って相談した。
部品屋の親父は、布にゴム引きした3センチ角位の部品を取り出してきて、これが「へたるか切れるのだ」といった。そのダイヤフラムのような部品が、アクセルペタルによって押され、ガソリンを押し出すのである。

先日、キャブレターを取り外して確認した。確かに部品はへたっていた。これでは押されて作動しても、へたり代があるのでガスは送れないと思った。
念のために、息を吹いてエアーが送れるかどうか確認。エアーは行かなかった。何と、マニホールドに出ている細いノズルの先端が詰っている。これではガソリンは出ないし、そのために圧力がかかりすぎて、余計にへたったに違いない(ノズル:画像左。何かの流用?。糸を巻いて(!)取り付けてあった)。

ノズルは簡単に取れた。しょうがないので、取りあえずノズルを取り外したままキャブレターを組み付けた。今度はガスが出すぎるに違いないが、エンジンがかかる可能性は高い。

2~3度アクセルを煽って始動。?。かからない。プラグは?、濡れていた。しかし、加速ポンプは間違いなく生きかえったのだ。

夕刻再度トライ。1度アクセルを床まで踏み込み(生ガスが入る)、そのままの状態で ― つまりエアーの割合を増す状態で ― イグニッションキーを回す。
始動した!!!!。

翌朝、同じようにしてイグニッションキーを回す。一発始動である。ようやく長いトンネルから抜け、胸のつかえが取れた。
今年の雨季は使えそうな気配ではある・・。

とどまる意志

2006/02/11

スーパーカブが生産累計5000万台を達成したという。
アジアでは、「この能無しが」、と忌々しくなるくらいに中国ベトナムコリア製の、コピーカブで溢れている。
エイシアンスタンダードの源であるホンダスーパーカブも安いコピー機に混じって走っている。その健闘振りには敬意を表したくなる。
一時、アジアで安い中国製にシェアを奪われたが、徹底的なコストダウンを図って盛り返している。なんといってもホンダクォリティは希望であり垂涎なのだ。

カブと、そのコピーバイクは、スタンダードとして確立してしまっているから、全ての部品は容易に入手できる。これは強い。
クボタの耕運機と共にカブは、アジアでの生活必需品であり、移動に輸送に酷使される。バイク屋の店先で簡単にミッションがばらされ修理を受けている。部品の共通化と供給体制が整っているのはマーケットでの自然発生的保障制度のようなものだ(ただし部品は、当然純正ではない)。
これもひとえに本田宗一郎の偉業である。

発売当時、カブは高価なものだった。それでも徹底的にコストを抑え、使い勝手を熟慮していた。プレス部品の多用、簡便な操作等である。しかし、2ストロークエンジン全盛の当時、敢えて部品点数が多く、コストの掛かる4ストロークエンジンを採用した。製造コストはかかるがランニングコストは低く抑えられるからだ。

クラッチレスのミッション操作。実はクラッチは存在し、シフトレバーを踏むと半クラッチ状態になり、続いてギアはロックアップされる。使いやすくシンプルで耐久性のある構造である。
アンダーバックボーン式フレームレイアウト。高さを押さえた水平レイアウトのシリンダーと共に乗り降りを容易にしたデザイン。アジアではこの空間は第二の荷台として実に有効に機能している。
プレス製フロントフォークとボトムリンクサスペンション。テレスコピック式に比べ見栄えは悪いが、強度を保障しコストを押えている(股下をテレスコピックにした中国製カブは付根が一点しかなく、ブレーキ時にそこから折れたのを目撃した事がある。極めて危険)。
(語られる事は少ないが、このサスペンションはダートでの安定性は抜群である。昔、浜松などでは、カブを改造したおっさん達がフラットトラックコースで遊んでいた。ハンドルを広くし、イン側のステップを上げ、膝支えを付け、オーバルコースでカウンターを楽しむのである。カブでのカウンター走行は実に安定しているのだ。これはボトムリンクサスのせいである。余談若干)

このバイクの設計思想には庶民への視点が凝縮している。人間への博愛、庶民への慈愛を基にしたモノ作りの基本が見える。本田宗一郎は逝ったが、その思想は今も貢献を続ける。

ビートルは長い間自動車科のワークショップにいた。
首都ビエンチャンにはビートルの専門店があってメカには詳しい。しかし、地方都市ではビートルのような珍しい車両のメカニズムに明るいメカニックは少ない。
一年付き合って、根本的な修理を行うことができるメカニックがいないことを理解した。とりあえず動くようにはなる、しかし、すぐにまた調子を崩すのである。

ブレーキのマスターシリンダーと4つのホイールシリンダーは交換した。次々にブレーキオイルが洩れてきたからである。パーキングブレーキも作動するようにはしたが、アクチエーターの取り付けが悪く走行中に外れてワイヤーを引きちぎってしまった。取り付けたPブレーキは全て取っ払った。前のオーナーが、「どうしてPブレーキが要るんだい」といったことが脳裏をよぎった。「あんたの言うとうりだ。要らなかったよ」と思った。

ビートルのブレーキスイッチはマスターシリンダーに取り付ける圧力スイッチを利用する。それを知らない整備工場はスイッチは取り払っていて使えないといった。しかし、油圧ラインの分配器も圧力スイッチも部品屋で売っていた。今は車検の時にポジションランプで代用する必要はなくなった。

メカニカルヒューエルポンプの吸い上げが弱く、長く放置するとガソリンが下がり、往々にして吸い上げられないので電磁式に交換した。ただし、エンジンルームに取り付けたので温度が上がるのが少し心配。

その後、自動車科の教官から第2シリンダーが死んでいるといわれた。学校では直せないというから修理は諦めた。

購入直後から調子の悪かったスターターは、自動車科でオリジナル2つを使って1つを作動するようにしたが、すぐに動かなくなった。
その後、スターターは2つ交換した。2つ目はタイから電気関係のメカニックが日本製が合うということで買ってきて付けた。スターターのギア数はオリジナルとは違うのだが(一歯多い。つまりクランクの回転速度は上がる)、奥行きを棒で確認して取り付けた。信じられないことに巧く合うのだ。この際だからスターターリレーも取り付けた。メインスイッチへの負担が減るからである。

スターターが直ったらビートルは自宅に引き取ろうと思っていた。申し訳ないが、信頼できないのが判ったからだ。再度、自分で一つ一つチェックするつもりでいた。

前のオーナーに聞くと、全気筒とも問題なく動いていたという。急に動かなくなるはずは無いので、電気関係をチェックしてみる。なんと、ディスビキャップに刺さる部分のコードが腐食していた。全体に経年変化で傷みが進んでいる。キャップとハイテンコードを交換した。第2シリンダーは息を吹き返した。

問題はコールド時の始動の悪さだった。
点火タイミングを合わせ直し、若干進めた。最も調子のいいのが少し進めた状態だったのである。次いで、ポイントギャップも合わせ直す。

そして、アーシングを行った。ネットで効果があるというのを知ったからである。ディスビの近くなど、アースを取りやすい3箇所から直接バッテリーのマイナスを繋いだ。これは確かに効果があった。明らかにパワーが出た(いや戻った)。

しかし、始動の悪さは変わらない。
購入した時にはパイロットエアスクリューは1回転戻し程度だった。すごく濃い状態だったのでコールド時の始動が可能だったのではないかと思っている。プラグはいつもすすけて真っ黒だったから、前オーナーは1週間に1度、プラグ掃除をしていたという。

パイロットエアスクリューはほぼ正規の戻し量でセッティングし直した。それでもプラグはカーボンが付着している。これ以上スクリューを戻すとアイドルが効かなくなるぎりぎり程度まで戻してある。といっても限度以内。後は油面が高いのか?。

零間時のスタートが難しい理由の一つに、備わっているオートチョークが利かない問題があった。しかし、ここではチョークが必要になるくらい冷えることはめったに無い。アクセルを2、3度あおった後、一杯に踏み込んでスターターを回すと大抵の車は始動するものである。加速ポンプから生ガスがシリンダー内に注入されるからである。
ところが、交換したアクセルワイヤーの取り付けが悪く、フルアクセルでもキャブのリンクが半分程度しか回らない。当然、加速ポンプは作動しない。ワイヤーを張り直した。しかし、加速ポンプからはタラタラとした情けないガスしか出てこなかった。加速ポンプの調子もイマイチだったのだ。そこで20回位あおってみるが、やはりかからない。しかし、手動でチョークバルブを閉じると始動するのである。もうギブアップだ。キャブ交換が手っ取り早いと思うが、中古が無くて新品は高すぎる。

その他に考えられるのはバッテリーである。特に弱いとは思えなかったが、チャージャーを買い込み半日充電しておいた。翌朝、ビートルは手動チョーク無しで始動してしまった(点火コイルも良くないのだろうか)。

ここを直せばあっちが壊れるという状態が長く続いたが、現在、走行状態の調子は相当改善され、走って気持ちがいい所まできた。
前回は片道120Kmをようやく往復できた。今はビエンチャン500Kmの旅ができそうな気になってきている。
ビートル一年間の記録。

喧騒の影で

2006/01/28

我々は、コンペティティションモデルのような軽量、走破性能、パワーを持つモデルがいいと思っていたし、確かにそれを望んでいた。そして、少し前の競技車両のような性能を持つオフロードモデルが市場に溢れるようになった。
長いサスペンションストロークを持ち、熱ダレの無い水冷システムを装備、華々しいが、玩具のようなカバーリングが少し悲しいモデル達である。

そして、その無意味さに気がつき始めたカスタマーの要望に合わせ、クラシックタイプのオフロードモデルが市場に出回り始めた。ところが多くの場合、それらのモデルには、ほとんど何も主張が込められていないという事実を我々は理解することになる。
コンペティティションモデルへの反省点に対しての回答が、そこには何ら提示されてはいなかったし、それを置換する付加価値を見つけられなかったのである。

製品からは、製造に携わる全ての関係者の熱意と意志と自らの感動の度合いが放射されているはずである。熱意がない、理念がない、使うシーンのイメージが身の裡にない全ての製造担当者からは新鮮で魅力のある製品は生まれてはこない。各社の製品は見事に地味で魅力に乏しいものばかりであった。

そんな中、一台のモーターサイクルを再発見した。HONDA SL250S。1972年発売のマルチパーパスである。現代のクラシックタイプのマルチパーパスを凌駕する当時のホンダデザインの意欲とアイデンティティが車体各部から滲み出ている(ただし、いいのは初期型)。

それは性急な流れの中で見失われていたのかもしれない。しかし、ほとんど当時のままの状態で、今だ商品価値は落ちていないと確信できる主張、オリジナリティ、普遍性があることに改めて驚いている。魅力のある製品ができないのは企画の問題ではないことを、この製品が如実に物語っていたが、このまま忘れ去られていくのか・・。