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手作り家具工房を笑え

熱夏

2010/09/06

猛暑が続いている。
連日報じられているが、此処では実感がない。
毎年夏は、地面はカラカラ、毎夕散水しても芝生が枯れそうになる。
所が今年は、そんな夏らしい猛暑は最近の4、5日だけ。
雲の多い日が続き、世間の熱夏が嘘のよう。

だから、薪が乾かない。
これが問題。

柱や梁用の規格材の落しが、ただ同様で入手できる。
強烈な光線の下では、短時間で中心に向かって気持ちよく割れが入る。
乾燥の速さが杉材の良さ。
熱量の低さを恨んでいたが、乾燥の速さはいい。

それが、なかなか乾燥しない。
すっきり割れが入らないので、含水率計を持ち出した。

15%を目安にしている。
所が、綺麗に割れが入っていても、20%近くある材もある。
大して割れが入っていなくても15%を下回る材がある。
判ったのは、乾燥しているように感じても、予想以上に含水率は高いということ。
これでは煙突が詰まるわけだ。

こうなると、全てをチェックしないと気分が悪い。
余計な事をしてしまったものだと後悔している。

駄目だし

2010/04/04

訓練校を出た後、木工所で見習いの経験を積み、自分の工房を開きたいというのは、家具工房を目指す多くの方の希望だろう。

訓練校を卒業してすぐに独立し、自分の工房を始めるのは無茶だと、当たり前のように言われる。
特に、その道の先達には強く厳しく呆れたように諭される。
プロもアマも一般人も部外者も、常識的には、そう思うのが普通だろう。

今日の日本の事情を眺めた場合、そうはいっても、見習いを受け入れる木工房、木工所はほとんどなく、多少の手仕事を行っていそうな小規模の事業所さえ、受け入れてくれる所は皆無で、仮に実現しても、生活していけないほどの薄給が現実として控えている。

友人が数年前に言った。
「自分は、気がつかなかったが、確かに手作り家具のブームはあったんだなと、今となって思う」と。
寂しく笑ってしまったが、笑い事ではなかった。

家具屋で見習いとしての経験を積むことは、更に難しい状況になっている。
所で、業や技術の習得は勿論だが、見習いのメリットは何か。

それは、多くの駄目だしを食らうことだろうと、思う。

多くの駄目だしが、見習い職人に、フォームを植えつけるのだ。
機具の使い方、体の動き、作り方、ディテルの処理。
つまり、モノを作るための全てに及ぶフォームを刷り込まれる。

親方や木工所の型を摺りこめれたよさは、オリジナルの創作が苦手な職人達にも、一定の水準の品物を作ることができた。
帆立は8分、紐は3分、面の大きさ、台輪幅等々、凡そ決まっていたから、型から大きく外れたモノはできなかった。
これを習得することによって一人前になる。

実は、それよりも重要なことがあると思う。

それは、駄目だしによる自我(?)の否定が、職人としての倫理観を再構築していく。
仕事のレベルを要求される。
ただし、時間がかかってはいけない。
つまり、速やかで、上質でなければならない。
そして、その質を常にキープしなければならない。
これが習い性として刷り込まれる。

これが大切なことだと思う。

孤独なモノ作りの中では、自分に負けそうにもなる。
そんなとき、作業を規定するのは、その人が培った習い性としての倫理観である。
それが作るものに投影される。
そして、人の心を「打つ」のだ。

[追加]
大胆に言えば、状況的に仕方のないこともあるかもしれないから、自分のアドバンテージをひけらかそうなんて思ってはいない。
自分なりのフォームの確立。一定の姿勢を見出していけばいいと思っている。
これからの方々へ。

大仏伽藍内にある土産物屋。
SAMURAIと大書きされたTシャツが並んでいた。明らかに海外からの観光客をターゲットにしている。

下品だった。せっかくの歴史的遺産が台無しである。
こういった貴重な財産の内部に、何故、夜市の出店のような下品で無節操な土産物屋を設置するのだろう。

理解ができない。

偉大な世界的文化遺産を受け継いだ我々にできることは、できるだけオリジナルに近い形で保存し、後世に残すことだろう。
そのためには、場違いな土産物屋を伽藍から撤去し、静粛な空間を取り戻すことが大切ではないかと思う。
静謐な内部空間で、歴史的遺産と静かに向き合いたいのだ。

土産物屋は、広い境内のどこにでも置ける。
また、伽藍内部に取り付けられている様々な機器類もできるだけ目立たないよう設置すべきだと思う。

その日は雨天。
回廊(?)には多くの人々が溢れていた。
その中に、傘をたたまない、けばい姉ちゃん、子供に傘をたたませない能天気な親達がいる。
・・言葉も無かった。

オジジのセコイ憤懣は兎も角・・
雨に煙る向こうに、圧倒的な存在感で大伽藍はあった。

斑鳩にて

2010/03/29

展示会の帰路、奈良を目指した。
高速を行き来する機会があっても、なかなか立ち寄る事はない。
今回は、大阪から九州へのフェリーの出発時間まで時間を取った。

奈良を訪れるのは中学校の修学旅行以来だ。
多くの社寺があって迷うが、取りあえず、東大寺と法隆寺だろう。

南大門と大仏殿は想像を超えた大きさで雨に佇んでいた。
もう、言葉や余計な解釈は要らなかった。
この存在が奇跡だと思った。
よくぞ、残してくれたものだ。

ただ、日本神道の神々を蹴散らす、怒涛の仏教文化を見せ付けられたような気がして、少しばかり神道系が気の毒に思えた(決して大仏殿への否定的な思いではないが・・)。

そして、正倉院。
はっきりいって、この建物はいい。
佇(たたず)まいがいい。
無駄を省いた機能美が実にいい。

そして、斑鳩に向かった。

狭い路地と、駐車場の無さに難渋しながら踏み込んだ法隆寺空間は、ぽっかりと切り取られた静謐の中で寡黙に私に迫ってきた。

境内全体の落着いた印象、精緻な空気感、素朴で単純だが実直な土塀、建造物の意匠の高邁さ、構造の説得力、シンプルで統一感のあるディテル、仕事が現す匿名の工人達を統べる道徳観。

このような「場」(地域)に、このような学究の「場」(施設)を設けた事も ―
時代を超えて追加されていった建築群が、ほぼ一定の様式の基に、秩序をもって構成されていることも ―
そして、すでに、構造がフォームとして一定の標準化を成していることも驚きだった。

全体の印象、建物のバランス、構造、ディテルは実に多くの啓示とインスピレーションに満ちていた。
私の作る厨子か仏壇か知らないが、あんなのものは「ハナクソ」だ。

早朝の伊勢も出雲も感動的だったが、斑鳩の里も同様だった。
再度、出かけたいと強く思った。

個展のために、東名高速を都内へ向かっていた。
4台が巻き込まれた事故処理の渋滞が終わってまもなく、東名高速「清水-富士」間(記憶曖昧)の閉鎖情報が示された。
当初、理由は表示されなかったが、その後、大津波警報に伴う防災対策ということが分かった。

静岡付近(?)で降ろされ、暫らく走るとまったく動かなくなった。
カーナビを頼りに、脇道に入り、少しでも国道の先に出ようとするのだが、国道との合流点が詰まっていてほとんど動かない。
時間ばかり過ぎた。

所で、海岸部を走る東名が交通止めということは、同様に海岸近くを走る国道1号も閉鎖される可能性が高いのではないか?。
今はまだ閉鎖されてはいないが、もしも止められたら、今夜中に都内へ着けないのではないかという不安がよぎる。

この地区は、東名と国道1号以外に東進する国道がないのだ。
国道閉鎖の見通しは分からなかったが、ナビを頼りに、大きく山側に迂回し、富士インターの先へ出ることにした。

ナビの示す道はどんどん山へ向かい、周りにはミカンが広がる。
道は狭く、ひどい昇り下りが続き、荷物の家具が心配だったが、どうしようもない。
進むしかなかった。
そのうち、前後には車4台が繋がった。皆、ナビを頼りにここに集まってきたのだろう。

やがて、眼下には広く凪いだ駿河湾がおだやかに広がった。
遂に我々は、ミカン山の農道を山頂まで登って来たのだ。
人生は先が見えないが、まさか、静岡県のミカン山を登るとは思わなかった。
駿河湾の眺望はすばらしかったが、これを幸せに感ずる瞬間に見たいものだった。
(ただし、もう遠慮したい)

山を降り、目指す国道52号線に到達した。
右折すれば規制の先へ出られるはずだが、渋滞が激しい。
渋滞よりも動くことを優先したため、左折して甲府に向かうことにした。
中央高速から都内に入った。
予定を6時間以上遅れた。

悪夢のような夜になった。

新年に

2010/01/02

今日、工房に入った。
暮に組み上げた椅子は見たくなかったが、当然目に入る。
苦労の割には、やはりイマイチ。

組立てを手伝った後、嫁さんは、「こんなもんじゃない」と、事もなげに言い残して、慌しく台所に戻った。

入念に、バランスを検討する場合もあるし、手法に重点を置いた試作的要素の強い、1/1モデルのような椅子を制作する場合もある(良し悪し効率は別として)。

とりわけ椅子作りにおいて、失敗の数では、私は、多分人後に落ちない・・と思う。
失敗の数だけ、完成度が高くなれば問題はないが、そうはならないのが辛いところ。

昨夜は、旨い熱燗を飲み、恒例番組に「つまらん」と文句をいいつつ、ほろ酔いで書いたもので、少々蛇行しているとは思うが、敢えてそのまま。

実は、「のほほん」さんにコメントを頂いて、これを書いています。

昨年は、ソーダストストーブに力が入りすぎた感もあり、実は、作者としての制作ノートや、心情を書くことができればいいのかもしれないと思いつつ、妙に殻ばかり厚くなっている、見苦しいジジイの感を呈した自分にはバリアが高い。
その点で、期待できないブログかもしれませんが ――

挨拶に代えて。

年の瀬に

2009/12/31

今日はホールディ雪。夕刻で10cmは積もっている。
音もなく、来訪者もなく、停止したような工房の中で、ようやく新しい椅子を組むことができた。

今は、疲れる恒例の年の瀬プログラムの途中。
大物の「EY」が出たばかり。
昔、彼の「成り上がり」という著作には感動した思いがある。
続けることは共感を呼ぶという好例だろうか。

最近借りた、DVDのスパイダーマンの中で、
叔母さんが、落ち込んだヒーローに、「最も困難なことから始めなさい」というのだ。
「それは、自分を許すことから始めなさい」と。(記憶曖昧御免)

宗教観なしには語れないことか?
とまれ、そこからスタートするというということ、困難で、見落としがちかもかもしれないけれど、本当に重要なことだと思う。

自分の心の棘を抜くことは難しいけれど、自分を許すことなしに人は許せない。
逡巡している自分がいる。

続けることは難しい。
感動を与えることは難しい。
今日組み上げた椅子は、自分の中ではとても難しい椅子だった。
しかし、何とカッコ悪いのだろう。

皆さん、いいお年を。
(私は悪い初夢を見そうだが・・)

習い性

2009/08/22

我々の仕事もそうであるけれど、同じことを繰り返すことによって技術は向上していく。
それは、練習であったり訓練であったり、あるいは修行であったりする。

プロのワザは、時に無意味、無味乾燥、茫漠茫洋と思えるような時間を費やした結果、習得されてきたと思えるような側面を感じる。

私のように飽きっぽい人間にとって、まさしく「時間の無駄」としか思えないような時間をくぐって来た。
これを、忍耐として受け入れる必要があるとはいいたくはない。むしろ、それが必要だとすれば必要悪とさえ思う(誤解を恐れず言えばだ・・)。

この仕事を始めて、かなりの時間が経過するが、今も、ふと、黙して指示に従うことの意味を思う瞬間がある。黙して従う時間の積み上げの中に、今日まで積み上げられてきた技術や、解釈を共有できる理解の高まりや技の昇華がある。
また、今まで幾度か書いてきたことだが、伝統技術や民族固有の様式は「無名の工人の解釈の積分」であり、その前提として、個々の解釈に必要な無意味無味乾燥と思える時間がある。

この技術伝統の崩壊を憂うということを、書こうとしているのではない。
(個人的には、忍耐が足りない未熟者で崩壊の側にいることは自覚している)

かくあるべきであるという、技術や様式やフォームは伝統を守り保存していく力があり、熟練していくと、どのような要望にもフォームが揺らぐことなく対応が可能だと思う。
重要で大切なことだ。

ただし、このフォームが自分を縛る瞬間がある。
工人としての習い性を壊すことが難しいのだ。その難しさは、自らを呪縛しているフォームを自覚できない所にもある。
(自覚できないから、「習い性」(習慣はついにその人の生まれつきの性質のようになるという意)というのであるが・・)

デザイナーとして自由な発想や着想が求められる場合、積み上げてきた自分のフォームとの折り合いをつけていくことは難しい。
容易に切り替えられる才能があれば苦労しなのだろうが、そうではない場合、フォームの殻を壊すことに相当なエネルギーが必要となる。

何れにせよ、有能な技能者でも、優秀なデザイナーでもない私が、中途半端な両者の狭間で今日も藻掻いている。