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木造建築

厳島神社

2011/05/31

台風の影響で、雲が低く宮島を覆っていた。
風はなかったが、不断なく小雨が降っていた。
島は、思いの外大きく、また、本土から近く、眼前に迫っている。

何度も山陽道を通りながら、宮島にある厳島神社には行くことがなかった。
しかし、一度は訪れたい場所だった。
今回、広島に所用があり、厳島神社に行く機会ができた。

厳島神社国宝で、しかも世界文化遺産という最強の肩書きを持つが、海上に建つ朱の大鳥居のインパクトが、多くの庶民の興味をそそるのは間違いない。
旅行で行くのに、どこかの神社を選ぶ場合、単純に海に鳥居の立つ神社に行きたいと、思う方は多いと思うのだ。

厳島神社鳥居フェリーから見る鳥居は荘厳だった。
日本のいい点、弱点は、様々あるが、日本神道系が持つ独特な秩序感は、いつ接しても素晴らしいと、思う。
言葉にならない説得力が迫ってくるのは何故。

日本全国に約500社ある厳島神社の総本社。
安芸国一宮。
旧社格は官幣中社。
現在は神社本庁の別表神社に指定されている。

その他雑記
建築構造物、建築様式に興味が深い私だが、初学者ゆえの未熟さから、建築構造物としての価値の重さを、認識できないでいた。

世界文化遺産登録の栄誉から言っても、もみじ饅頭その他の雑貨屋の営業範囲を、社殿からもう少し離したら良いだろうにと思った。
歴史が培った、神聖さがスポイルされているのが残念だった。

画像上は、左楽房から望む五重塔。下は、汐の引いた鳥居の下に集まる観光客。

この橋はどうやって作られたのか?。
感心しているばかりではいけない、しがない木工屋としても、そこの所が何故か重要なのだ。

概念設計。
設計手法。
部材の寸法管理、クォリティコントロール。
施工管理。
全てに、高度な経験と技術が必要である。
非常に優秀な技術者がいなければ実現は難しかったはずだ。

以下は実際の設計・製作過程。
テンプレート1. 構造図を参考に現寸大の図面を描く。

2. 現寸大の図面から部材ごとのテンプレートを製作(テンプレートは変形の少ない木材を使用/現在はヒバ材・画像上)。
テンプレートを実際に並べて加工誤差を調整する(画像中)。
テンプレートには、各部材の詳細や橋全体の情報を書き込み、エラーの発生を防止。

テンプレート確認3. テンプレートを木材に当て、墨付(形状転写)の後、加工。

4.仮組(アーチ部分のみ)。加工された部材はまず、地上で仮組し(陸組ともいう)、調整を行う(画像下)。

5.実際に橋脚上で架橋。

地上での仮組やはり、原寸図を描いたのだ。
円弧状などの巨大建造物は原寸作図を行うのが、最も正確に各部寸法を得ることができる。

所で、円弧の正確な作図は、たいへん重要なポイントである。それはどのように作図されたのであろうか。
私が考えるのは以下の2点。
1.巨大なビームコンパス、と言っても単なる長い板(もしくは紐類)を用い、紙上に円弧を描く。

2.墨を浸した紐を下げ、スパンと高さの3点を通る円弧を紙に転写する。この場合、円弧と書いたが、実際は円弧ではなく、カテナリー曲線となる。

「錦帯橋恐るべし 1」では、カテナリーについて適当なことを書いたが(敢えて修正しない)、作図方法によっては、学者が指摘するように、アーチ部分はカテナリー曲線の可能性もあると思う。

英知、そしてロマン。時代を超えていつも素晴らしい。

画像は、岩国市公式ホームページ「錦帯橋」より転載させて頂きました。

オリジナルの橋脚は、川床に杭(マツ材)を打ち敷石で固めて流水による浸食を防ぎ、橋脚の基礎となる部分には基礎枠(マツ材)を組み、その上に橋脚となる石積み(隙間は漆喰で埋める)をした。

しかし、完成の翌年、この橋は洪水によって流失した。
その結果、徹底的な橋脚下部の改良が行われ、敷石を強化して再建された橋は、昭和期まで250年以上流失することなくその姿を保った。
実際、橋脚の石垣や河床の石畳は創建後に造り替えられた記録はない。

錦帯橋橋脚橋脚のまわりには敷石が敷かれている。
ご存知の方もいると思うが、一般的な橋脚でも、そのまわりは水流でえぐられ、他より深くなっている。
敷石によって橋脚を保護しているのだ。

両岸や川底には広い範囲で石畳となっている。
川底の変形から水流が橋脚へ集中するのを防ぐ対策であろう。

他にもこの橋を水害から守るため、様々な対策がなされている。
橋脚は、両側(水流方向)が船首状に尖っている。洪水時、水圧を逃がすためだ。

錦帯橋流出ところが再建以来、276年の間、水圧に耐え流失することのなかった錦帯橋だが、昭和25年9月のキジア台風による洪水で、橋は橋脚部分を含めて流失してしまう。
原因として、戦時中に松根油を採るなどして、山を荒らし、これが洪水を助長。また、進駐軍の岩国基地滑走路拡張のため、錦帯橋の下河原の砂利を大量に採ったことから、水流が変わり橋脚近くの敷石が剥がれ等が考えられた。

近代工法の取り入れた改良を施し、オリジナルのスタイルを残しながら昭和27年12月26日に再建が終了した。

画像上は、上から見た橋脚。川底の敷石が見える。
画像下は、水害で流される錦帯橋(この画像は、岩国市公式ホームページ「錦帯橋」より転載させて頂きました。錦帯橋の詳しい解説が載っています)。

錦帯橋全体山口県岩国市にある錦帯橋。
テレビ番組で知って以来、行きたいと思っていた。
中国地方に所用があった。無理に行かなくてもよかったが、錦帯橋を目的にでかけた。

近づくにつれ、川の両岸には観光客の群れと土産物屋やが並び、ここが有名な観光スポットであることを物語っていた。

駐車場は錦帯橋のある錦川の川原。
堤防を下ると車窓越しに5連のアーチが俯瞰できた。
それは、思ったよりもずっと広い川幅を跨いで、浮世絵や時代劇の世から飛び出した、シュールな3D映像のようだった。

錦帯橋下部1近づくと、強固な石積みの橋台が、川面から飛び出し、俄かに信じられないほど巨大な木製のアーチが川面を跨いでいた。
川原の駐車場から近づく我々は、それを下から見上げることになる。
つまり、巨大な木製構造物の力学理論の、おそらく模範的な解を、いきなり下から目の当たりにするのだ。

日本の伝統的木工技術の卓越を述べた記事は多いが、欧米の現実を知り、井の中の蛙的に美化した非客観的な自己満足であることを知ったが、少なくとも、ここにも世界に誇っていい日本の技術と美意識があった。
(日本の木造建築の技術を軽く見ることでは決してない)

今日的には、高強度素材を用い、シンプル、巨大、あるいは意表を突いた数多くの橋梁を目にすることができる。
しかし、木材という限定素材、人力を主とした施工条件の中で生み出されたことに価値があることはここで繰り返す必要は無いだろう。

先般目にした、ロンドンアイ(ロンドンにある巨大な観覧車)にも感動したが、それに劣らず、いや、ある意味それ以上の驚きがあった。

この橋は、大工児玉九郎右衛門の設計により、1673年(延宝元年)完成。
しかし、翌年洪水によって流失し、その年、橋台の敷石を強化して再建した。
この改良が適切で、その後、昭和期までの250年以上、流失することなくその姿を保った(!)。

錦帯橋下部2構造は、左右から、順番に長くなった持送り(腕木)が、重ねられ、徐々に長く高く積み上げられ、最後にセンターに大棟木(おおむなぎ)が入り、キーとなっている(ように思う)。
それをメインに、各方向からの力に耐えるよう、斜め方向に補強材が取り付けられている。

橋脚や河床の石畳は造り直された記録はない。おそらく創建時のままであろうといわれている。

この橋のアーチは円弧であると考えられていたが、カテナリー曲線(吊るした紐が自然になす2次曲線状のカーブ)の可能性を指摘する研究者がいる。
おそらく、木材の圧縮代を見越し、想定よりも高く組む、木材の乾燥と圧縮により自然に馴染む。それが結果的にカテナリーに近いのではと、私は思うのだが・・。

実に素晴らしいものを見させて貰った。