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田舎暮らし
沢山の、乾燥状態が悪い薪を燃した。ストーブを設置した時期が遅く、薪の用意ができていなかったから十分乾燥していない薪を燃さざるを得なかった。
当然、煙突は詰まる。エアーを絞って長時間燃焼させると更にいけない。たちまち詰まる。
外部突端の「H型笠」と呼ばれる部分からはタールが垂れ下がり、垂直部分には掃除用のブラシも入っていかない。そんな状態で、なんとか冬を越えた。
先端からガソリンを垂らし、暫時待ち、火を点けるとタールが燃えて綺麗になるという話を又聞きした。
煙突のタールはこの方法で取ろうと思った。分厚くこびりついたタールを取るのは実に厄介なのだ。
煙突の先端部は、屋根から高くて届かないから、先ず、三角形の足場台をこしらえることにした。そして水平部を得るのだ。
フレキシビリティに欠けるオジジが安全性を優先しなければならないことは、先の台所の改造時、踏み台から落ちて身に沁みている。
作業は雨模様の日を選んだ。三角台に、更に手ごろな台を乗せ、突端の笠をこわごわ取る。タールで固まっていて固い。腰が引けてスマートではないが、仕方がない。
ガソリンは危険なので、灯油に変えた。
ガソリンと違い、灯油はかなり垂らしてもなかなか燃ない。灯油でも多量に掛けるのは危険だ。そのうち、端のほうから燃え始めた。じわじわ広がり、勢いがついてきた。
そして、ゴーゴー燃え始めた。先端からバーナーのような火焔。少し恐くなる。
ステンの色が上から変わっていく。上から1.5m位まで燃えた所で炎が下火になり、そのうち消えた。
タールは燃えてネズミ花火のようにブクブクと発泡状態のようになっている。
かき出し棒を入れると途中で入っていかない。発泡状態になったタールのせいだ。これで火が消えたのかもしれない。再度、灯油を入れたが燃えなかった。
心残りはあったが、危険なので深追いは止した。しかし、炭化した大量のタールが取れた。
お薦めはできないが、煙突内壁に付いたベトベト状態のタールを取るには有効かもしれない。
タールが付く原因は、煙突が冷えて上昇気流がなくなり、排煙中に含まれる未燃焼物質が析出したせい?(注)。これを解決するには、2重煙突にして保温する。あるいは、電動ファンで上昇気流を作ればいい?
快適な薪ストーブではあるが、結構問題も多いのである。
(注:薪の含水率、横煙道が長い等の問題もある)
「小国ツーリズム協会」という非営利団体がある。
町の観光案内や宣伝活動、Uターン希望者への相談などを行っている。そのサイトのホームページ(トップページ)に「小国郷発のブログの更新情報」という案内があり、小国発のブログサイトを更新順にランキングしている。
我がサイトも、関係者の親切でリストされているので、更新するたびに、誰かの更新があるまでは、一番上に表示される。
トップの位置は目立つので、それを見て、気が向いた町内外の奇特な方が、我がサイトに訪れることもある。
前日、自分にとっては、かなり時間がかかった記事のアップを家人に報告した。
それで、暫くはトップ位置だというと、何のことについて書いたのかと聞いてくるので、「自動車の様々な装置の電動化」についてだと答えると、「そんな内容じゃ、だッれッーも読むモンか」と、おっしゃった。
「・・・・・・」
(それだけの話・・)
主婦の脅迫に近い要望で、台所のリフォームを行っていたが、最近になって、全ての工事を終えた。
改造内容は―
レベルを出し、痛んでいた床の根太の再配置と交換、フロアリング。
室内の全ての面を板張りに変更。
水道ラインの増設。
居間との仕切りを障子から板壁に変更。ハッチ式で通用口はドアに。
流し台の作り直し、等々。
我々にとっては、久々の大仕事。
所がである・・。
台所は一段低い位置にある。台所の床に置いた台から居間に降りようとして、敷居に足を掛けたときに滑って背中から敷居に落ち、腰をしたたか打った。
まったくフリキシビリティに欠けた爺の動きを他人事のように感じながら、朽木のように落ちた。情けない動きだったが、暫く動けず唸った。
台風対策や雪下ろしで5、60代のオッサンが屋根から落ちて大怪我というニュースが、他人事に思えなかった。セコイ距離から落ちて骨でもやっていたら、家人からは同情より軽蔑、工事の遅れを心配するのは間違いない。
そんなわけで、工事前半は、腰の痛みでヘロヘロ状態だったが、兎も角、完成した。
ボロ屋にまたエネルギーを投下することになった(ある程度はきちんと仕上げたいという思いが優ってしまうのが問題)。
しかし、出来上がると実に爽快。田舎暮らしの良さ。田舎の古家は改造代(しろ)が多いどころではなく、改造代だらけだから、リタイヤを控えたある友人がその後の悩みを訴えるのだが、ここにはそういった悩みだけはない。これがいいのか悪いのか判らないが・・。
余談だが、作業を開始するにあたり、卓上スライドソーなるものを購入した。ホームセンターで格安(¥19800)で売られていて思わず購入した。
精度や耐久性、品質は期待しない。板の切断にあればいいというもの。このサイズ、質量、部品点数で、しかも日本製とある。各パーツは中国製で日本でのアッセンブリー製品か?。何しろ、このような製品がこの価格ということが信じられない。
とまれ、大いに役に立った。
安全そうなマシンのイメージを持つこのマシンだが、馬鹿にすると危ない。特に短い材、曲がった材は危険。数回、材が飛んだ。材をきちんとフェンスに付けること、短い材は切断しないほうがいいと思う。
国立から夜通し走ってきた。疲れている上に、米子道は強い風で、安定に欠けるチープなワンボックスを転がすには難儀した。
奈良に寄りたい気持ちも強かったのだが、慣れていて、気持ちの負担感の少ない山陰を選択した。
松江に入る頃には強かった風もなぎ、訪れたときには、いつもこの地域が示す、穏やかで心地いい雰囲気が、雨上がりの弱い陽光と共に、今回も我々を囲んだ。
熊野大社の規模は大きくはない。規模の大小やポピュラリティとは一見無縁の、気取りの無い瀟洒な神社は、しかし、古事記や日本書紀の時代から存在してきたのだ。
このような宗教観が在り、それを継承してきた文化の形式があることに改めて驚く。漠然としているにせよ、明らかに英邁なる哲学宗教観を伴う共通認識が民意の底に存在していた。往時に培養された意思が、境内の配置や雰囲気、そしてアーキテクチャという立体表現を通して、今日も我々を打つのだ。
熊野大社の主祭神は須佐之男命(天照大神の弟神)である。また、熊野大社は出雲国の「一の宮」(注1)に選定されている。
出雲も熊野大社もいいが、連れ合いの決意は朝ドラで脚光(?)を浴びた「シジミ汁」を食することだった。
宍道湖の周回道路には、「だんだん」という店名の食堂や、「シジミ汁」の看板が目につく。
私には普通のシジミ汁に思えたのだが、旨いといって譲らない。
画像は熊野大社「舞殿」。
注1:「一の宮」とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社を指す。各国で一の宮を名乗り、かつそれが広く認められている神社を挙げると105社(複数ある場合は全て列挙。新一の宮は含まず)もある(Wikipediaより)。
過去に一の宮とされたことのある神社によって「全国一の宮会」が結成され、また、一の宮巡拝(注2)が行われるようになってきた。
注2:一の宮巡拝を行っている人々の集りとして「全国一の宮巡拝会」が結成されている。巡拝者は朱印帳を持って全国68箇所の一の宮を巡拝している。
以前、我家にWooferとしてバイクで訪れた宮城県出身のS君は、朱印帳を持って全国の一の宮を巡拝していた。そういった若者がいることに驚いたものだった。
10日ほど空けただけなのに故郷の空気は明らかに緩んでいた。
30年ぶりの東京国立。学生時代を含めて5年ほど暮らしたこの街は、派手ではないけど落ち着く街で、今でもそうだった。
素朴で少しチープな感じがした駅舎は建て替えの最中だった。昔の意匠を連想させる新しい外観が覗いていた。モダンすぎず、主張しすぎないでこの街に似合う建物であればいいと思ったが、いろいろな意味で杞憂だろう。
国立駅南口を降りて国分寺方向に向かい、ガードを潜らずにまっすぐ行った所に「さかえや」という居酒屋があった。安くて旨かく、いつもサラリーマンで混んでいた。
今でもオヤジがやっているということを友人に聞いた。お店は、トイメンのビルの半地下に引っ越していて、老いたがオヤジがいた。
仕事帰りのサラリーマンで混んでいるという居酒屋風景が好きだ。仕事の憂さや疲れを1杯のビールで晴らすひと時。同じ思いを共有している勝手な幻想と仲間意識がある。それだけで落ち着けるのだ。
「さかえや」に懐かしいオヤジの姿はあったが、昔のように仕事帰りのサラリーマンで賑わってはいなかった。
時代は変わった..のか。
立川に取った宿の周辺では、年老いたオカマの立ちんぼがいた。
偶然立ち寄った小料理屋のマスターが鹿児島の出身で、我々が熊本から来たと告げると、俄に空気が和んだ。
マスターは、この界隈の説明やら忠告をしてくれた。
ここは昔、赤線地帯だった。ボッたくる店もあるから注意しないといけない。そして、立ちんぼがオカマということも彼から聞いた。
表通りから路地へ入り、宿に着くまでの間、毎日きちんと3人立つ。2人はペアで、1人は小さな椅子に掛けていた。こんな光景を目にしたのは何時だっただろうか。ずっと立ってきたのか。冬は、寒かろうと思った。
立川駅の周辺は見違えるほど賑やかに変容していたが、埃っぽくてがさつな雰囲気は昔のままのような気がした。
都会のシーンから、何事も無くたたずむ田舎の我家に帰る。
突然、音声が途切れたビデオのような感覚になる。喧騒とは無縁。春日遅遅。毎年同じ位置に水仙はきちんと芽を出し、野鳥の泣き声が降り、光は柔らかく、身体を取り巻く風が心地よい。
街での新しい出会いもいい、変わっていく街並みの中で変わらない旧友との再会もいい、そして、寡黙で飾らない田舎の大地もまたいい。
両脇に写っているパセリ同様、ネガティブ10度のこの地で、セロリが越冬。カンゾウの新芽が出始めたので、もう大丈夫だろうと思う。
小さく簡単なビニールハウスをしつらえ、寒い時期は上にダンボールを掛けた。霜や寒さでヨレヨレになった株もあったが無事に生き抜いた。
夏の間は、成長するまもなく食べられ続け、株は小さくなる一方。そのうち、枝芽が出てきた。構わずそのままにしておいた。そして晩秋を迎えたのだ。
知らないだけで、越冬はそれほど特殊なことではないのだろうと思う。素人の簡単な防寒対策で、できたのだから。でも、何だか嬉しい。横で惰眠を貪る駄犬の代わりに、ヨシヨシと頭を撫でたい心境。
昨年、我が部落の小さな神社の拝殿が再建された。
伝統神道をベースにして村の習慣・しきたりは規定され、廻っている。だから豊作を願い、実りに感謝し、共に祝う。他所から来た我々には、ときに鬱陶しく思われることはあるが、地域に生きようとすると古来からの伝統を受け入れなければならない。
拝殿の再建に伴い、古くなった様々な備品 ―そのほとんどは木製だが― を作り直して欲しいという要望があったのだが、忙しさを理由に断ってきた。
所が年明け早々、近所のおっさんが板を持ち込んで削ってくれという。拝殿で使う文机を作るのだという。広い板は楠。脚にするという材は桜。作ることになると各自が持っている材が集まり、手先の器用なものが制作にあたる。
逃れられそうにもないので私が作ることにした。
とりあえず村の「指物屋」なので、へたな仕事はできない。それが億劫で様々な木工仕事を断ってきたのだ。楠も桜も含水率が高く、ひどい材だが仕方がない。
部落のおっさんは角ものの脚を予定していたようだが、加工時間の差もそれほどないし、何より見栄えがいいので、手持ちの欅を使ってダブテールジョイントを奢った。
新年の初仕事は、神社へ文机の奉納寄進である。ヨロズ神々の御加護ありや?
薪ストーブは快調に機能している。
平均室温は14~20℃。電気炬燵は不用品になった。
越してきておよそ20年間、室内には雪が舞っていたし、冬も障子のまま過ごしていた。
宮城県北部の寒い地から来たせいもあるし、若かったからかもしれない。特別辛いとは思わなかった。
所が、南方生活を経験したせいもあるだろうし、年を取ったからかもしれない。寒さが身にこたえる。
家人の要望で、薪ストーブの導入を決めてから、それに伴う様々な付随作業の完成に結構な時間をかけた。
押入れの撤去改造、床の板張り、ストーブの置かれている居間へのパソコンの引越し、煙突に雨がかからない様に雨樋の交換。薪置き場の増設、等々。
現在、快適な居間で、ストーブを燃しながらソファに横になってDVDを観賞している。炬燵で震えながら熱燗を嗜む昨年が嘘のようである。
一旦快適さを身につけると、以前の生活に戻すことは難しい。
所が、である。
ストーブの燃料の薪の確保が大変なのだ。快適温度を得るためにガンガン燃す。想像以上に薪の消費が早い。消費が早いから乾燥が不十分な薪を燃す。すると、煙突がススで詰まる。煙突掃除キットを買ってきてススを取った。
これではいけないと、薪を干す。家屋の南側は薪だらけで、薪屋敷の様相。
薪を割って、干し、ローテーションで使う。薪のために割く時間が膨大になってきた。早めに大量の薪を確保し、割り、干しておけば快適空間は保障される・・。
しかし、、、。これを毎年続けるのかい?
私:「おーーい。ストレスだよう」
嫁:「がんばり」(クールに)
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